第二十話
日の出と共に、一行はシュバルツ・バルタを目指して再出発した。
アマゾナスの本拠地である壮大な大峡谷を、ひたすら北東へ向かって走り続けた。その大地の割れ目は、大蛇のようにうねりながら南アク大陸を横断している。
峡谷周辺にはアマゾナスのコロニーが幾つも建てられている。その中でシュバルツ・バルタが蛇の目と呼ばれる理由は、大峡谷を蛇に例えて見たとき、頭部にあたる位置に在るからだ。
昼前に、目的地に到着した。切り立った赤土の崖に囲まれた谷間に、黒っぽい石の建造物がぽつぽつと現れ、人影が見え始めた。それは徐々に込み合った石造りの町となった。建築材と道に敷き詰められている石はすべて浸食に強い人工石で、どんなに強い風や酸性雨もこの町を蝕むことはできない。
町中は、血気盛んな女たちがそれぞれ店を構えていた。一見は賑やかで明るい町に見えた。だが、どこか陰湿な空気が立ち込めていた。
それは生気の無い表情で徘徊している奴隷男児の存在によるものに他ならない。彼らを取り囲む、濡れたような暗い色合いの人工石が、彼らの暗雲としたアウラをさらに引き立てていた。
大通りを抜けると、岩壁を背にして荘厳な石の宮殿が立ちはだかっていた。カマーフを奴隷の男たちに預け、アグニたちは開け放たれた分厚い石扉の中へ足を踏み入れた。
外から見えている建物はただの飾りのようなもので、宮殿の本体は岩壁の中にあった。
鏡のように磨かれた黒い石壁のいたるとこに、奇怪な青紫色の松明が灯されている。武装した大女たちに好機の目を向けられる中、アグニたちは仄暗い宮殿の奥へと進んでいった。
宮殿内に立ち入ることを許されている男は極めて限られている。どこを向いても女、女、男に見えたがよく見るとやはり女。幾つかの扉を抜け、前を行くターニャがマスクを外したのを見て、アグニも外した。
「あの子、可愛い・・・!」
「まるで子犬ね。」
「綺麗な顔してる。細いし、女の子みたい。」
至る所から、アグニに向けられた好意的な囁き声が聞こえてきた。アグニにとっては、馬鹿にされているように感じる言葉が多かった。アマゾナスの女戦士たちは、アグニのことをか弱い小動物や未成熟の女児に例えて喜んでいた。その合間に、冷静沈着な声もあった。
「確かに、ハルに似てるわ。」
「将来有望そうね・・・。」
アグニは女帝〝シルアイラ〟に御目通りするため、禊ぎをする必要があった。アマゾナスの女帝は神聖な存在であり、男児が近づく時は冷水で身を清めねばならない。今回はアグニだけ特別に女帝と面会することになっており、ファルコとリサは客間へ案内された。
タングスはアグニに付いてこようとしたが、ターニャに説得されて渋々ファルコたちと行動を共にした。ターニャから翼を貰ってから、タングスは彼女をある程度尊重している。
アグニはターニャに連れられ、宮殿の中央に備わる人工池に足を運んだ。石柱の陰からの幾つもの視線に耐えながら、彼は裸になって冷たい池に入った。2人の幼い少年に身体を洗われた後、その子たちに手伝ってもらいながら黒革の正装に着替えた。
見違えるようなアグニの秀麗な姿に、ターニャは暫し絶句して見入った。アグニは不愉快そうな表情で、首もとを締め付ける襟を引っ張って緩めた。
まさか女帝に直接会うことになるとは思っていなかったアグニは、徐々に不安になってきていた。女帝は、滅多に人前に姿を現さない。彼はこれまで彼女の姿を遠目からでも一度も見たことがなかった。女帝がどのような女性なのか想像もつかない。
今回は、女帝自らアグニに会いたいと言っているそうだ。アグニは、嫌な予感がしてならなかった。クードスの言葉が頭にちらついてしかたない。
ターニャも何やら心配していた。アグニに覚られまいとはしているが、彼女はアグニと女帝との面会を快く思っていないようだ。
「・・・完璧。」
ターニャはアグニの肩を軽く叩き、最高の褒め言葉を彼に贈った。
天蓋付きの丸い玉座の中に、彼女は座っていた。
「・・・近う寄れ。」
アグニが彼女の御前で突っ立っていると、彼女は面白がるように手招きした。
シルアイラがアグニと2人で話をしたいとのことで、ターニャもその他の側近達も部屋から追い出された。
体格のよい大柄な中年女性を予想していたアグニは、それとは大きくかけ離れた女帝の姿に衝撃を受けて固まっていた。
シルアイラは、アグニより年下の少女だった。白い子馬のアバターをつけているため、顔はわからない。その身体と声から察するに、10歳前後だ。
「・・・・。」
彼女は、人間の子供とは思えない異常なアウラを放っていた。それが、アグニの足を竦ませていた。
アグニは震えて言う事の聞かない足を強引に動かし、玉座に一歩近づいた。
むせ返るような強烈な彼女のアウラで、アグニは気を失いそうになった。血が滲むほど歯を食いしばり、それに耐えた。
そこから彼女の姿を今一度よく見た。腰まで伸びた銀髪、ゆったりとした簡素な白い衣から露出した肌は青白く、病的なほど痩せている。その憐れな容貌から、邪悪なまでのアウラが濛々と発散されていた。
異端児。
その言葉が彼女にぴったりだ。
「このような幼女が女帝であることに、さぞ驚いたであろう・・・ただのお飾りじゃ。政はターニャたちが全て担っておる。わらわは、彼女たちが求める力を与えるだけの都合のよいパイマーじゃ・・・。」
幼き女帝は鈴のような愛らしい声で、アグニの同情を引くように自分の身の不幸を話した。
アマゾナスには事実上、長は存在しない。階級はあるが、頂点に権力を持つ1人の人物を置くことのない共同体だ。外向きには代表となる者が必要なため、名目上の長は常にいる。
アマゾナスの女戦士は、自分の主は自分自身であるとし、仲間は肉体の一部として捉えている。彼女たちは単独で動きながらも仲間とリンクし合い、集団としてのまとまりを崩すことは決してない。
アグニは女帝に会う直前、ターニャにそういった話を聞かされた。だが、たとえ名目上の長がアマゾナスの女児なら誰でもよくても、シルアイラは色々な意味で相応しくないように思えた。
「アグニといったな。わらわは、そなたの顔がもっと近くで見たいのじゃ・・・近う寄ってたもれ。」
「・・・・。」
アグニは、慎重に彼女に歩み寄った。全身全霊に気合を込めて。今にも意識が飛びそうになりながら、彼女の直ぐ前までいって跪いた。
シルアイラは小さな白い手でアグニの頬を挟み、うつむき加減の彼の顔を上へ向かせた。その冷やりとした感触に、アグニは鳥肌が立った。
彼女は物珍しい品を観賞するように、アグニの顔をまじまじと観察した。子馬のアバターに空いた2つの穴から、彼女の目が覗いていた。
その瞳は、どこまでも透明に近い淡い水色だった。銀色とも言える色合いだ。
「・・・・?」
彼女に触れられているうちに、アグニは頭が熱に浮かされたかのようにぼんやりとしてきた。
「ほんに、ターニャの言っていた通りじゃ・・・そなたの〝精気〟は、炎と全く同じ〝味〟がしおる!」
その時、ターニャが血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「シルアイラ様、その手をお放し下さいっ!」
彼女は、声を裏返して女帝に鋭く忠告した。
シルアイラは瞬時にアグニの頬から手を離し、ターニャの怒気に怯えて身を縮めた。
「・・・そう、怖い顔するな。ちょっとだけじゃ。ちょっとだけ、味おうてみただけじゃ。」
アグニは朦朧とした頭で、立ち上がろうとした。
「・・・・っ。」
だが、どういう訳か身体に力が入らない。床に手をついて再度立ち上がろうとしたが、麻酔でも打たれたかのように肢体が言うことを聞かなかった。無理やり踏ん張ろうとして、ついにバランスを崩した。
ターニャが素早く駆け寄り、転倒しそうになった彼の身体を支えた。彼女はアグニを慎重に起こしながら、シルアイラを睨んだ。
「これの、どこが〝ちょっと〟なのです?彼を殺す気ですか!」
アグニは聴覚もおかしくなっていた。真横にいるターニャの声が、遠くの方から聞こえてきているようだった。
そして、とても寒かった。身体が凍えて震えていた。
「そ、そのような気は微塵もないっ!炎は、わらわの好物ゆえ・・・ちょっと夢中になってしもうただけじゃ!」
シルアイラは、拗ねたようにそっぽを向いて言い訳した。
アグニは、うまく働かない頭で彼女たちの会話の意味を考えた。
(シルアイラは、おれの精気を吸い取った・・・。)
精気は、魂魄に直結したエネルギーだ。精神力を奪われるよりも遥かにたちが悪い。そして炎のエレムには、人間の精気と共通点が1つある。熱だ。
(熱を食べる・・・それが、彼女の特殊能力・・・。)
「・・・アグニ?しっかりしなさい!アグニ、アグニ!」
遠くから、ターニャが何度も繰り返して呼んでいた。
アグニは彼女に答えようとした。だが彼は闇の引力に抵抗しきれず、深い淵の底へと引きずり込まれていった。そして、そのまま意識を失った。




