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第二話

 黒い岩山が連なるゾスキアナ山脈の奥地に、グールのアジト〝紅蓮洞〟が忽然と姿を現す。その全貌は、上空からでしか確認する事はできないだろう。溶岩が冷え固まってできた岩山と谷に溶け込むようにして築かれたコロニーは、巨大な蟻か蜂巣を思わせる。


 頑丈な鉄扉の前に立つ太った大柄な見張り役は、音も無く突然目の前に現れたエア・ウルフに驚き、悲鳴を上げて尻餅をついた。


 「・・・脅かすなよ、アグニ。」


 エア・ウルフの背中から飛び降りたグールを捉え、見張り役は安心したようにため息をもらした。アグニは短く鼻で笑った。


 「それでよく見張りが務まるな。」


 見張り役の男は、鼻にしわを寄せてアグニを睨みながら鉄扉を開いた。アグニは足早に扉の中へと進む。彼の後を、タングスは当たり前のように追っていく。見張り役はいやな顔をしながらも、タングスの巨体が扉を抜けるのを無言で待った。


 先を急ぐアグニを、見張り役は遠慮がちに呼び止めた。


 「アグニ・・・飯は食ってるのか?」


 アグニは肩をすくめた。

 「もちろん。」


 見張り役は彼をまじまじと見つめた。


 「・・・お前、また痩せたぞ。」


 アグニは見張り役を下から上までわざとらしく観察して唸った。


 「お前はまた太ったな、クードス。」


 クードスは同僚の嫌味に一瞬むっとしたが、やつれたアグニの顔を見ると切り返す気にもなれなかった。


 「いつまで意地を張るつもりだ?」


 「そうだな、餓死しそうになったら真っ先にお前んとこ行くよ。それまで、しっかり太っておいてくれ。」


 いつになく真剣なクードスを、アグニは軽く冗談であしらった。クードスは本気で自分を心配している。アグニにとって、それは堪らなく不愉快なことだった。

 まだ何か言いたそうにしているクードスに背を向け、アグニは酸素の溜め込まれた内部へと急いだ。


 酸素が漏れ出さないように何重にも扉が設置された通路を抜けると、左右に家畜小屋が並ぶ裏路地へ出た。檻の中で縮こまっている連中と目を合わせないように注意しながら早足で通り過ぎる。


 鉄板のつぎはぎで建てられた一件の店の前でアグニは足を止めた。岩壁からせり出したトタン屋根の下、年老いた店主が馴染みの客に気付いて顔を上げた。

 「・・・お帰り。収穫はどうだ?」


 アグニはガスマスクをとって曖昧に笑んでみせる。

 ベルトを外し背負いのボンベを店主に渡した。

 「満タンで。」


 ボンベを受け取った店主は重い腰を上げ、巨大な鉄製のタンクから無造作に垂れたチューブを手にした。手馴れた手つきで小型ボンベの注入口にチューブを差込み、バルブを回す。シューッという音を立てて酸素がボンベの中を満たしていく。


 屋根から吊るされた瓶の中で、発光する小型ガグルが甲高い鳴き声をあげている。店主が作業している間、アグニはぼんやりと生きた照明器具をながめていた。


 「ちょっとした騒ぎになってたんだぞ・・・」


 店主はアグニの後ろで大人しく座っている巨大なエア・ウルフをちらりと見やった。

 「お前さんの相棒が、檻をぶち破って逃げたせいでな。」


 タングスは素知らぬ顔をしている。


 アグニは苦笑いした。

 「怪我人はいないんだろ。」


 店主は呆れたように首を振った。


 「アグニ、お前さんはどうかしてる。」

 「わざわざ教えてくれて感謝するよ。それいくら?」


 アグニは戸棚の上に置かれた布袋を指差した。


 「・・・今晩の飯だ。言うまでもなく、わしのな。」

 

 アグニの腹が、緊急を要するように大きな音をたてた。それを聞いて店主は目をぱちくりさせ、大袈裟なため息をつく。やれやれといった様子で布袋を手にとり、無邪気な笑顔を見せる若い客に投げて寄越した。

 「バル爺、あんたは命の恩人だ。」

 アグニは意気揚々と布袋からヘビの燻製をつまみ出し、噛り付いた。


 店主のバルボは、その様子を複雑な思いで見守っていた。


 「・・・また痩せたな。」


 アグニは嫌気をさして顔をしかめた。


 「クードスにも同じこと言われた・・・疲れてるだけさ。悩み事があって。」

 「悩み?お前さんが?」


 バルボは目をみはった。

 「聞かせてみろ、相談に乗るぞ。」


 アグニはハッと短く笑った。


 「遠慮しとく。どうせキチガイ呼ばわりされるのがオチだ。」

 「・・・・。」


 不満げな表情をうかべる店主から小型ボンベを受け取ったアグニは、お代を払って店を後にした。



 皆、同じ目で自分を見る。人肉を受け付けない変わり者を哀れむ目。アグニは、これまで何度も北アクに移住することを考えた。バース圏内では、人肉を食べることは大罪だという。アグニにはそれがまともな事だと思えてならない。ここで暮らす者たちと同じように、人間を餌として捉えることがどうしてもできない。


 敵対している北アクに渡ることは反逆行為であり、見つかれば処刑される。うまく逃げ切ったとしても、北アクで自分がどのように扱われるか分かったものではない。バースへの不信感を抱く今となっては特に、楽観的には考えにくい。


 アグニが南アクを離れたくても離れられない理由は大きくわけて2つ。そのひとつは、移住が〝危険な賭け〟だということ。


 そして、もうひとつの理由―――母親だ。アグニの母ツィンカは、ガグル・ハンターの夫を11年前に失ってから、変わり者の息子を手放す事無くひとりで育てた。


 貧しい生活の中、人肉以外の食料を手に入れることは困難極まりない。にもかかわらず母は身を粉にして働き、自分を養ってくれた。その恩は、この先一生を費やしても返すことのできないものだとアグニは思う。


 アグニは、5歳のころにはすでに働きに出ていた。主な仕事場はコロニー増築の工事現場。仕事といっても雑用を頼まれ、小遣いにもならない駄賃をもらうくらいだった。7歳になると他の男児と一緒に戦闘訓練を受け、10歳になるころには戦闘の才能を買われて傭兵を勤めた。


 今は常備軍の下級兵を担い、非番の日は仲間とガグル狩りに出る。アグニの稼ぎなどしれていて、高い年貢を納めねばならない紅蓮洞での生活は決して豊かではない。母に少しでも楽をさせるため、アグニはどんなに危険な仕事でもこなした。


 ガグル狩りが危険であることは言うまでも無く、怨霊の蠢く洞窟でのハオマ草探しやキュービーの飛び交う巣に忍び込み太陽蜜を採取するのは、どれも命懸けの大仕事だった。



 それらよりもさらに恐ろしく、危険なものにアグニは手を出していた。紅蓮洞の地下街で毎晩行われる〝デスマッチ〟だ。ファイターとして出場し、勝ち残れば賞金がもらえる。今晩は記念すべき10戦目。母には話していない。反対されるのは目に見えている。


 デスマッチとは言っても、どちらかが死ぬまで戦うわけではない。一方が降参するか、戦闘不能になれば勝敗がつく。だが、頻繁に死者は出る。


 アグニは地下街へと続く薄暗い階段を下りていった。その途中でふと足を止める。行く手には、壁にもたれかかって自分を待ち構える人物がいる。

 赤紫色に染めた長い髪、黒く滑らかな肌。艶かしい容貌をしたその娘は、緑色の瞳を鋭く光らせてアグニを見据えた。


 「・・・今夜も出場する気?」


 「・・・・。」


 アグニは彼女を無視して通り過ぎようとした。娘は、踊るような身のこなしで彼の前に立ちはだかる。アグニは、迷惑だといわんばかりにため息をついた。


 「ミア・・・邪魔するな、急いでんだよ。」

 「ツィンカに話してないんでしょ?猛反対するよ、絶対。」


 アグニの鋭い視線に怯むこと無く、ミアは毅然とした態度で意見した。


 アグニは冷たい目でミアを見据えた。彼女は露出度の高い踊り子の衣装を着ている。


 「お前には関係ない。とっとと仕事場に戻れよ。」


 ミアは、彼の刺のある言葉に一瞬傷ついた表情を見せた。だがすぐに気を取り直し、アグニの真後ろにいるエア・ウルフを見やった。


 「タングスも何か言ってやってよ、あんたの親友でしょ?アグニにあんな危険なことさせていいの?」


 タングスは、困ったような唸り声をもらした。


 ミアにはタングスが何を考えているのか具体的には分からないが、タングスの視線と表情でなんとなく言いたいことはわかる。


 「ほらね、タングスだって反対してるじゃん。」


 アグニはタングスをちらっと睨んだが、すぐにミアに向き直って彼女の目をまっすぐ見つめた。ミアは身構えた。

 「な、何よ。」

 「・・・ミア、おれたちはもう子供じゃないんだ。自分がやることは自分で決める。」


 真剣な目をしたアグニにたじろいだミアは、思わず視線をそらした。


 「意見するぐらいの権利はあるでしょ・・・幼なじみとして。」

 「そうだな・・・。」


 アグニは、ウエーブのかかったミアの髪に手を伸ばした。ミアは身を強張らせる。


 「おれがミアに、今の仕事をやめろっつてもやめないだろ?」

 「・・・・。」


 「・・・前の色の方が好きだった。」


 ミアの髪に触れながら、アグニは独り言のように呟いた。


 ミアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 「客にはウケがいいのよ。」


 不愉快そうに顔をしかめるアグニ。

 ミアは面白がるように笑った。


 「これはウイッグ。地毛じゃない。」

 「・・・そっか。そりゃよかった。」


 ミアの機嫌がよくなったのを感じ、アグニはこのささやかな争いが自分の勝利であることを確信した。


 「心配してくれんのはありがたいけど、必要ない。」


 彼は不敵な笑みを浮かべ、片目をつぶってみせた。


 「おれは絶対、へまをしない。」


 ミアは肩をすくめた。


 「その自信はどこからくるわけ?予知夢?読心術?」

 「まあ、そんなとこだ。」


 アグニは彼女の髪から手を離した。

 「もう行くよ。」


 ミアは不満げに口を尖らせたが、あきらめたようにため息をついた。

 

 「賞金入ったら、何かおごってよ。それでツィンカには黙っておいてあげる。」

 「任せとけ。」


 アグニはミアに背を向け、騒がしい人声のする地下街へと下りていった。



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