第十七話
そのカードは、精神力を込めている間だけ数字とマークが黒い面に発光して浮き出る仕組みだった。
「・・・重いな。」
カードを一枚発動させてみて、アグニはぼやいた。
ターニャがクスクスと笑った。
「アマゾナスの間では、これを使って子供たちに精神力を鍛えさせてるの。とはいっても、まだ開発途中なんだけどね。」
確かに鍛えられそうだ。絵柄を一枚確認するだけでも結構な精神力がいる。
「今、私達のコロニーでは、より強靭なパイマーを育むため様々な方法を取り入れているわ。有望な幼子には、特別な教育施設での・・・。」
「んもう!難しい話は抜きにして、楽しもう!」
長話になりそうなターニャにリサが痺れを切らし、カードゲームが開始された。
絨毯とベッドの上に、黒いカードが広々とばら撒かれた。ルールが単純で最も精神が鍛えられるゲーム〝神経衰弱〟だ。カードに触れれば触れるほど精神力が削られていき、集中力も散漫になっていく。
普通のカードよりも絵柄の種類と枚数が多いため、アグニは予想以上に苦戦した。ターニャとリサは慣れた手つきでカードに触れ、アグニがその複雑な絵柄を認識する前に消してしまう。
徐々にカードの絵柄を覚え、認識速度が彼女たちに追いつきだしたころには1ゲームが終わった。もう1ゲーム終えたころには、カードに触れて絵柄を確認して消すまでに1秒かからなくなった。
3戦目では、アグニの並外れた動体視力にターニャとリサの目が追いつかなくなった。だが、ターニャの記憶力とリサの直感がずば抜けているため熱戦となった。
3戦やり終えた時には、アグニは無意識に蜜飴を一袋分食べてしまっていた。気だるく、頭が重たかった。
カードを片付け、ターニャとリサがチェスで対決するのを見学した。アグニはルールを全く知らなかったので、この機会に覚えようと熱心に2人の手元を観察した。
日の暮れ始めた塵の内海に、大型蒸気船が黒煙を上げて灰色の波を裂いて走る。海上に風はほとんどなく、不吉な塵の霧が辺り一面を覆いつくしている。
薄暗く煙る甲板の上には、一般船室から溢れ出た流れ者のハンターやコロニー不定の商人たちが荷物を抱えてうずくまっていた。
船縁を背に座り込んでまどろんでいたカフは、自分に近づく何者かの気配を感じた反射で腰に提げたマグナムを俊敏に握った。
それは彼の習性であり、自分の意思で操作できる範囲の動作ではなくなっている。
「・・・・。」
カフは、ハクビシンの面を徐に上げて相手を見た。前方に立っているその男は、自分に害を与える気は今のところ無いようだ。
カフは静かにマグナムから手を離し、相手の出方を窺った。グールにしては身なりのいい男で、先程知り合った少年の保護者係りだ。色つき眼鏡とガスマスクだけで、アバターらしきものは身につけていない。よほど腕に自信のある能力者だろう。
「・・・さっきは邪魔して悪かった。一杯、おごらせてくれ。」
ファルコは、相手の警戒を解くように極めて穏和な口調で話しかけた。
従った方がいい。カフの本能がそう囁いた。
船内にある申し訳程度の酒場で、2人は素顔になってカウンター席に座った。カップに注がれた琥珀色の酒を、カフは物憂げに眺めてからゆっくり飲んだ。
ファルコは、カフが胸元に垂らしているアバターを興味深げに見ていた。
「珍しいアバターだな。妙な力を感じる・・・どこでそれを?」
「六感を鈍らせる妨害波が出てるんだ。〝ジャミング式〟アバターっていうビンテージ物だよ。北アクで仕事をしてた時、雇い主に報酬の一部として貰った。」
カフはアバターについては詳しく説明したが、どこで手に入れたかは曖昧に答えた。
「以前、ランシードで同じ型を見かけたよ。」
ファルコは軽い調子で、彼を挑発した。
そのコロニーの名を聞いて、カフは感慨深げな笑みを浮かべた。
「ボクの古巣のひとつだね。君が見たのと同一の物じゃないかな?これを着けてたのはバース・ヒルスのパイマーで、キラって通り名の女の子だ。今は、どこでどうしてるか知らないけど。」
「・・・・。」
あっさりとバース・ヒルスタンとの関係を認めたカフに、ファルコは少し拍子抜けした。
何を思っているのか知れないカフの灰褐色の虚ろな目は、生物が持つはずの生への執着心が欠けている。
ファルコが近づいたときの彼の行動は長年の癖であり、自らの命を意思的に守ろうとしたわけではないようだ。カフはファルコの危険性を感じ取りながらも、全く恐れていなかった。
この男は、すでに人生を全うしている。ファルコはその事に気づいた。
「・・・金髪の、少女だった。」
「うん、間違いないよ。奇遇だね。元気にしてるかなぁ・・・あの子、命狙われてたからな。それにやたらと無茶する子だったから、今頃もうこの世にいないかもね。」
カフは以前行動を共にした仲間を懐かしみながらも、今の自分とは完全に切り離した者として捉えていた。僅かに愛着心は残っているが、彼女がどうなっていようと特に興味がないようだ。非情といってもいい。
彼とバースとの繋がりがすでに途絶えていることは事実に違いない。ハクビシンのアバターが邪魔していることを差し引いても、嘘とは到底思えないアウラの落ち着きぶりだった。
「あ、さっきの少年のことを怒らないでやってくれ。ボクが、先に近づいたんだ・・・彼の雰囲気が〝あの子ら〟に似てたから、急に懐かしくなってね。」
ファルコが一番聞きたかったことを、カフは聞かれる前に答えた。話の流れからすると、彼が言うアグニに近づいた理由は納得できなくも無い。アグニのことで何かを掴んでいる様子もない。どうやら、杞憂だったようだ。
ファルコは緊張を和らげた。
「・・・言われてみれば、似てたような気がする。」
カフは、彼のはっきりしない物言いを貶すように軽く笑った。
「ホントによく似てたんだ。人を観察する時の、邪念のない真っ直ぐな目とか・・・好奇心旺盛で、命知らずなとことか。」
ファルコは笑って頷き、カフの主張を認めた。
「確かに、それらはアグニの性質だ。あんたの目に狂いは無いよ。」
カフは満足したように微笑み、酒を飲んで一息ついた。
「君たちは、今からどこへ?」
「シュバルツ・バルタだ。あんたは?」
ファルコが質問し返すと、カフはもったいぶるように少し間を置いた。
「んー・・・はっきり決めてないんだ。バルタナ諸島に向かいつつ、適当に寄り道する。」
「諸島まで?随分と、長い旅路だな・・・。」
バルタナ諸島と聞いて、ファルコは正直に驚いた。遥か彼方、塵の海の中に僅かに残った大地の跡だ。コロニーが存在するのかさえ疑わしいような偏狭の地である。
「うん、ボクの生まれ故郷なんだ。ほとんど人は残ってないけどね・・・平和な場所だよ、アクラシアみたいな諍いがない・・・もう面倒に巻き込まれるのは御免でね。のんびり旅して、島に帰って余生を送りたいんだ。」
「・・・・。」
カフは裏で何かあることに感づいた上で正直に答え、自分の身の潔白を明かした。そして、それに対して自分が介入しない事を宣言した。無責任なほどきっぱりと。
一時期でも気を許しあった相手の身の心配は一切せず、生死への固執から解放された自身の自由気ままな生活を邪魔されたくないがために、無情にも見捨てた。
くえない野郎だ。
ファルコは、心の中で冷笑した。
「話せてよかった。」
「こちらこそ。」
ファルコはバーテンダーに金を多めに渡して立ち去った。カフは彼の親切に甘え、しばし独りで酒を味わった。
「―――贖罪の山羊が砂漠に1匹、か。」
「・・・・。」
不可解なことを呟いたカフに、バーテンが眉を顰めた。
カフは気に留めず、芳醇な酒を口の中で転がした。