第十六話
照りつける太陽の下、2台の四駆に添って走るタングスは久々の遠出に胸を弾ませていた。ファルコの同行を除いての話だ。走るとは言っても、エア・ウルフにとって車の速度に合わせることは、歩くのと同然のスピードだ。それ以下と言ってもいい。
1台目にはターニャの付き添いで来ていたアマゾナス3人と、グールの運転手。2台目に、アグニとリサ、ファルコ、ターニャの4人がクードスの運転で乗車していた。
紅蓮洞からシュバルツ・バルタへは、北西へ向かって砂漠を半日ほど車で走り、塵の内海を船で渡ってトラブルが無ければ約2日で着く。
船着場に着くまで、アグニはほとんど寝ていた。昨晩、家に戻ってからタングスの鞍を調節して荷造りを済ませた時には夜が明けていた。旅に必要なものは粗方ファルコが準備しておいてくれることになってはいたが、アグニはいつ何時どのようなトラブルが起こるかを想定して万全な準備を整えた。
ファルコを信頼してはいるが、それがアグニのこれまでのやり方だった。危険で無茶なことはするが、彼は潔癖といえるほど慎重な少年でもある。ツィンカに、そう育てられたのだ。
長旅ということで、ボンベではなくキューブ内蔵マスクを配付された。紅蓮洞内に通ずるキューブは、大体は有料貸し出しだ。必要な理由と期間を申し出て、それに応じた料金を払う。
すでに金を払っているコロニー内の空気を外で吸うには、さらに金を払わねばならいのは変な話だと、アグニはいつも族長に文句を言っているが諸々の事情で改善されない。今回は、軍事に関わる特別任務ということで無料貸し出しされた。
紅蓮洞を出発する際、アグニはターニャから任務の成功を祈って魔除け効果のついたゴーグル型アバターを2つプレゼントされた。1つはタングス用に調節されていた。
これまでにもアグニとタングスはゴーグル型アバターを所持していたが、ターニャから貰ったものとは比べ物にならないほど質素でデザインの古いものだった。アグニ達はそれで事足りていたのだが、身の安全のためだとターニャに説得され、その高価で珍しい贈り物を謹んで受け取った。
そのアバターは〝ウイング式〟と呼ばれる種類のものだった。双子のデスマスクを基にして作られた2つで1組のアバターで、片方だけでも魔除け効果があるが、2つが近くにある時は強力な結界となる。
タングスはそれがとても気に入った様子で、朝から機嫌よく着用している。アバターをつけるのが嫌いなアグニは、額の上に追いやっていた。
リサは、なぜ自分ではなくタングスに片翼をやるのかと、ターニャに文句をたれていた。それに対するターニャの言い訳は、タングスが要である可能性を考慮してとのことだった。要が、人間とは限らない。その存在は未知数であるというのが彼女の意見だ。
確かに、タングスには謎が多い。人間と同等以上の思考能力を持ち、普通のエア・ウルフよりも身体が大きく霊感も強い。さらにアグニにだけ心を開いているという点が、要の可能性を示している。
タングス自身が、その説に興味を持った。タングスは、これまでずっと自分が何なのかわからないでいた。群れの仲間に傷つけられ追い出されたのも、タングスが他とは違ったからだ。今回の遠出で答えが出るのではないかと、タングスは少し期待していた。
もちろんこの話題は、運転手のクードスには聞こえないところで話し合われた。クードスは、しきりに彼らの輪に入ろうとしていた。
リサのことが気に入ったようで、何かしら彼女の気を引こうと彼なりにユーモアのある話題をふった。リサは笑いのツボが広いようで、クードスの低レベルな冗談でも手を叩いて大笑いしていた。
アグニはリサの大声に度々起こされ、朦朧とした頭で会話に参加した。その度にファルコがリサをやんわりと注意して、アグニに睡眠をとらせた。夢うつつの中、アグニはミアのことを思っていた。
砂漠を越え、塵の霧に覆われた地帯に入った。その直後、前方にぼんやりと船着場が姿を見せた。すでに出港準備を整えた大型蒸気船が停泊している。ハンターや商人、軍人など多くの旅人がその蒸気船に乗り込んでいた。
アグニたちはそれぞれの荷物を持って車から降り、運転手2人に別れを言って蒸気船に乗り込んだ。タングスのことは既に話が通されており、怯えて後ずさる船員たちの間を〝彼女〟は悠々と横切って乗船することができた。
これまで中性体だったタングスはつい先程、自分がメスになったことをアグニに報告した。ガグルは中性体で生まれ、成長の過程で性転換する生き物だ。
アグニは、タングスがオスになると予想していた。メスでタングスという名は違和感があるが、彼女はそのままでいいと言った。アグニはタングスの性転換を心から祝福した。
アグニたちは上層階級者用の空調付き船室に案内され、それぞれに用意された個室に入った。アグニは豪華な部屋を見渡し、個室といっても3、4人は寝泊りできそうだと思った。タングスが寝そべれば丁度いい広さかと、思い直した。
荷物を置き、運ばれてきた食事にありついた。タングスは来る途中で何頭かの昼型ガグルを平らげたため、数日は食事をとらなくても平気だ。彼女は毛皮の絨毯にご満悦で寝そべった。
「よくこんな部屋でくつろげるな。」
アグニはタングスを横目で見た。
彼女は優雅に尻尾を振った。
(いい部屋じゃないか。何が気に入らない?)
アグニは彼女の思考に違和感を覚え、眉間にしわを寄せた。
「・・・お前、反抗的になったぞ。メスになった影響か?」
(不思議な感覚だ。妙に頭がすっきりしている・・・また霊感が強まったようだ。)
「・・・・。」
(自我の完全なる覚醒、といったところか。私自身の存在が、これまでになくはっきり感じられる。アグニに影響を受けていた思考や感情が、今は確実に自分自身のものになった・・・。)
タングスの小難しい思考に、アグニは少々困惑した。
「要するに、自立して大人になったって事だな。」
(そういう事だな・・・そんなに落ち着かないのか?外を歩いてきたらどうだ?私は少し眠る。)
そう言って、タングスは眠りに落ちた。
アグニはさらに困惑して、彼女をまじまじと観察した。これまでアグニのそばを離れようとしなかったタングスが、自らアグニを遠ざけるような提案をしたのだ。
アグニは、嬉しいような寂しいような複雑な思いになった。これが親心というやつかと、アグニはしみじみと実感した。
「・・・じゃあ、お言葉に甘えて。」
アグニは寝息を立てているタングスに囁きかけ、船室を出た。
碇が上げられ、汽笛が鳴った。ゆっくりと港を離れ始めた大型蒸気船の甲板には、流れ者のハンターと船員が集っていた。
何やら熱心に話し込んでいる。アグニは好奇心をそそられ、樽の上に座って彼らの話し声に耳を傾けた。
つい先日、この内海付近で途轍もなく巨大な生物の影が目撃されたという話だった。そして内海を行き来していた何艘かの貨物船が、神隠しにあったかのように次々と姿を消し去ったという。
それが実話である確証は浅く、地元のハンターが悪ふざけで怪談を言いふらしているだけだろうというのが船員たちの意見だった。ハンターの間では、その怪談を信じている者が多いようだ。巨大生物を目的に、船に乗り込んだ屈強な連中もいた。
「恐らく神獣だね。」―――「!?」
突然の真横からの人声に、アグニは驚いて樽から転げ落ちそうになった。いつの間にか、アグニの隣で1人の男が船縁にもたれ掛って立っていた。
(エア・ウルフ並みに、気配を断ってやがる・・・!)
その男は灰色のフードを深く被り、白い鼻筋をした黒い獣のアバターをつけていた。服装から見てグールではない。パイマーかどうかは分からないが、ガグル・ハンターには間違いないようだ。ガグル狩り用に改良された大型ライフルを背負っている。
アグニは、その男に警戒すると同時に強い関心を抱いた。
「・・・神獣?あんた、それ目当てでこの船に?」
アグニの質問に、男は肩をすくめた。
「まさか。もう二度とあんな怪物には会いたくないよ。」
「出くわしたことがあんのか!?」
アグニは思わず身を乗り出した。
男は、瞬時に身を引いた。
どうやらグールに偏見を持っているようだ。
「・・・うん。この辺で目撃された奴とは別だけどね。」
流暢に南アクの共通語で話しているが少し訛りがある。北アク民の訛りとは全く別物の独特な抑揚だ。バルタナ出身者だろうとアグニは予想した。
「出るかな?この航海中に。」
アグニは不謹慎ながら、わくわくしていた。
「出るかもね。」
男はあっさりと、その可能性を認めた。
「紅蓮洞のアグニだ。あんた、通り名は?どこのコロニー?」
質問しつつ、アグニは男に波長を合わせた。
その男の思考は、ばっちり閉心されていた。
「通り名は、カフ。コロニーは教えられない。というか、ほぼ無所属だ。」
アグニは潔く読心をあきらめた。
「ほぼ、ねぇ・・・わかった。ギルド・メンバーだな。」
ギルドとは、出身を問わずにガグル・ハンターの間で友好関係を結び、ガグルの情報交換や狩りの相互援助を有効にする目的で結成された中立組織だ。
「ご名答。いい得物持ってるね。」
カフは、アグニが背負っている幅広の革帯で無造作に巻かれた可動式チェーンソー・エッジを興味津々に眺めた。
「君は、パイマーの匂いがぷんぷんしてるけど・・・その剣は、どう見ても対人用じゃないね。ハンターなの?それとも人間をミンチ肉にして食べるのが、君の好みなのかな?」
グロテスクなことを自然な口調でさらっと言ってのけた彼に、アグニは好感を抱いた。カフは、グールを軽蔑しているわけはないようだ。
他人とは一定の距離を置く質で、先程はとっさに身を引いたのだろう。善悪に無頓着で、相当な変わり者に違いない。彼とは気が合いそうだと、アグニは思った。
「こいつはナンパの道具だよ。おれはパイマーで、狩りもするし・・・他にも仕事はいろいろある。」
カフは低い声で笑い、アグニの額にあるアバターのベルト部分をちらっと見た。
「ナンパ用にヒート・エッジぶら下げて、さらに片翼をヘアバンド扱いとは・・・君、ただの雑用兵じゃあ勿論ないよね。」
「へぇ、何かと詳しそうだな。あんたこそ、ただのハンターじゃないだろ。パイマー?閉心がうまいけど・・・。」
アグニの軽はずみな発言に、カフは一瞬ぴたりと停止した。
「・・・何処の馬の骨とも分からない相手に、自分の特殊能力を気軽に晒さない方がいいんじゃないかな。ボクは無能者だ。」
「・・・・。」
カフの言うとおりだ。迂闊だった。
アグニはそう思いながらも、ますますカフに興味が湧いた。
「次からは気をつける・・・なあ、あんたが出くわした神獣の話、もっと詳しく―――。」
「アグニ!」
緊迫した鋭い声に呼ばれ、アグニは素早く振り返った。険しい目をしたファルコが、アグニ達から少し離れた場所に立っていた。彼は、カフを酷く警戒していた。
「こっちに来い。」
ファルコは低く唸るような声で、アグニに命令した。
いつもの冷静で穏やかな彼ではない。
「え・・・。」
「いいから、来るんだ!」
アグニが躊躇すると、ファルコは苛立って声を荒げた。
「・・・・。」
アグニは、カフに後ろ髪を引かれながらも渋々ファルコに従った。
甲板を離れて船内に戻ったアグニは、機嫌の悪いファルコを恐る恐る見やった。彼がアグニに対して、先程のように厳しく命令するのは初めてだった。ファルコは、アグニを険しい表情で見据えた。
「・・・アグニ、もう少し自粛しろ。自分が何なのか分かってるだろ。」
彼はいつもの落ち着いた声で、アグニに忠告した。
「族長は、お前を信用してる。だから自由に歩きまわれるんだ。本来なら、人目につかない場所に隔離される存在だということを、もっと自覚しろ。気安く、素性の知れない奴と話すな。もしそれが敵で、お前の力が見破られたとしたら・・・分かるな?」
「・・・・。」
ファルコの辛辣な指摘は、アグニが頷くことしかできない正論だった。
邪神である自分は、身方にとっても敵にとっても危険かつ重要な存在だ。アグニが紅蓮洞で身の自由を保障されている理由は、族長の信用ただその一点に尽きる。信用を失うような行動をとれば、アグニは枷を嵌められて閉じ込められる。
「ツィンカを悲しませたくなかったら、よそ者とは距離を置け。近づくなら充分に警戒しろ・・・他人を、もっと疑え。」
〝他人〟というファルコの言い回しにアグニは引っかかった。よそ者を含め、アグニ以外の者すべてを指しているニュアンスを感じた。アグニがどれほど軽率かを分からせるために、極端な言い方をしたのだろうか。
それとも、もっと深い意味があるのだろうか。
「・・・ああ。」
いまいち釈然としなかったが、アグニは了承した。ファルコはアグニの頭を軽く撫で、彼を部屋へ戻らせた。
(ファルコも、たまにはいい事を言う。)
アグニが部屋に入ると同時に、タングスが唸った。
「・・・寝てたんじゃないのかよ。」
(つい先程まで眠っていたさ。だが、アグニの様子が気になるから〝耳〟だけは起こしておいた。)
タングスはすました表情で思考した。
「器用なもんだな、恐れ入った。」
アグニは、ベッドの上に勢いよく倒れこんで息をついた。
(・・・そんなに、カフとの会話を邪魔されたのが気に食わないのか?)
「だって、面白い話聞けそうだったのに・・・バルタナ人なんて、滅多に会えるもんじゃねえし。あのガッツリ改造されたライフルも、もっとよく見たかったし・・・。」
アグニは拗ねた子供のように愚痴を吐いた。
(アグニがそこまで興味を持つ人物とは、珍しいな。要の可能性があるのでは?)
「ファルさんに出会った時と、同じような感じがした・・・どっか似てるけど、でも全くの別人種だ。」
(ふむ。それは、相対する存在だということでは?光と闇、天と地・・・善と悪。)
アグニは、タングスの気障な思考に嫌気が差した。
「お前は、どっちを悪役にしたいんだ?」
タングスは赤い目を細め、彼女なりに微笑んだ。
(・・・アグニ、悪が必ずしも一方とは限らない。相対しあう悪と悪、善と善が存在すると思わないか?)
「・・・・。」
個室の戸が勢いよく開き、リサが顔を見せた。
「アグニ!カードやろうよ、ターニャと3人で!」
「・・・パイマー同士で、カードゲームする意味あんの?」
ベッドの上で怪訝そうに顔を顰めるアグニを見て、リサは何が可笑しかったのか分からないが爆笑した。
アグニは、ちょっとしたことですぐに笑える彼女が少し羨ましく思った。
「もちろん、ただのカードじゃないよぉ!パイ・カード!」
「パイ・カード・・・?」
アグニはとりあえず、彼女の部屋へ行ってみることにした。