第十四話
ミアの踊る姿は、愕然となるほど綺麗だった。
悩ましく動くしなやかな肢体、思わず触れたくなる艶やかな肌、熱っぽく潤んだ緑色の瞳、純度の高い濃厚なアウラ。
今晩はウイッグをつけていない。濡れたような深い紺碧色の美しい髪が、彼女の色気を際立たせている。
男なら、誰もが手を伸ばして彼女を欲しがるだろう。
ミアは、無心で踊っていた。何かを振り払うように、狂おしいほど激しく。男客がステージの下から、チップをミアの衣装に挟み込みながら彼女の身体に触った。
それでもミアの精神は一切の動揺を見せず、さらに誘惑して客からチップを巻き上げた。あまりにも露骨な客には、すました顔をしてブーツの踵で蹴った。
彼女が少しでも動じるようなことをする客がいれば、アグニは跳び出していってその客を殴り倒していただろう。
だが、彼女はどんなに下心丸出しのしつこい客に対しても落ち着き払って対応した。
ミアは普段とは別人のように大人びて見えた。アグニは焦燥感に駆られた。自分がどれだけ子供じみた考えをしていたか痛感させられた。ミアは、アグニが思っていたより遥かに強かった。
「今晩はいつにも増して気合入ってるな。まあ、これで最後のステージだから当たり前か。」クードスが感慨深げに言った。
それを聞いてアグニは、ミアに釘付けになっていた目をクードスに向けた。
「・・・あいつ、ここやめるのか?」
「あれ、知らなかったのか。お前、見納めに来たんじゃなかったんだな。」
拍手喝采の中、踊り終えたミアは輝く笑顔を客席に向けた。汗ばんで息を切らしながらも、彼女は生き生きとした表情で客に礼を言って回った。踊り子仲間の娘たちが、彼女に造花の花束を渡して抱擁した。
ステージから降り立ったミアは、客と店員にもまれながら店を見渡した。その時、後ろの席にいるアグニと視線が合った。
彼女の顔から見る見るうちに笑顔が消え、絶望感と恐怖で凍りついた。
「・・・・っ。」
アグニは弾かれたように立ち上がり、ミアに背を向けた。
そして、その場から逃げるように立ち去った。
「・・・ア、アグニ!?」
ミアは、自分に詰め寄る人々を押しのけて慌てて彼の後を追った。
金網の通路を抜け、狭い岩壁の路地を早足で歩いていくアグニの背を、ミアは息を荒げて全速力で追いかけた。
「アグニ!ちょっと、待ってってば!待ってよ、もうっ!!」
ミアの怒鳴り声に、アグニはびくっとして立ち止まった。
恐る恐る振り返った彼の表情には、困惑と後悔が滲んでいた。
ミアも立ち止まり、しばし息を落ち着かせた。
「・・・何も、逃げる事ないじゃない。」
ミアは肩で息をしながら、非難がましくアグニを睨んだ。
「だ・・・だって、お前。おれ見て酷い顔しただろ。だから、また怒らせたと思って・・・反射的に。」
アグニは彼女の思考を読み、自分の早とちりだったことに気がついた。
「驚いただけよ!あんただって、さっき相当酷い顔してたわ。だから、軽蔑されたんだと思って、それで・・・。」
「何で、おれがミアを軽蔑すんだよ。」
「そりゃだって・・・。」
ミアは、アグニが彼女の仕事ぶりを見て不愉快に感じたと勘違いしていた。彼がのこのこ会いに来たことで気を悪くした訳ではなかった。
そのことが分かり、アグニは安堵して思わず笑った。アグニの表情を見て、ミアもまた早とちりだったことに気がついた。
(何で、見に来たりしたのよ?)
「お前が、それ聞くのかよ。」
アグニは彼女の次の言葉を先読みして、つっ込んだ。
アグニは悪戯する子供のように、無邪気に赤銅色の瞳を輝かせてミアを見つめていた。ミアの中で様々な文句が浮かび上がったが、彼のその目に毒気を抜かれて何も言い返せなかった。
「・・・もう知ってるだろうけど、あたし今晩であの店を止めるから。ママに言ったら、すんなり許してもらえたんだ。」
ママといっても、血の繋がった母親ではない。クラブの経営者であり、捨て子だったミアを拾って育てた女性のことだ。
「別に止めなくても・・・ミアは楽しそうだったし、すごく綺麗だった。もったいないよ。」
「・・・・。」
ミアは顔をしかめて、視線を泳がせた。
アグニに綺麗だったと言われ、照れている。彼女にとっては聞き慣れているはずの言葉なのに、他の誰でもないアグニに言われたことが利いたらしい。アグニは、それに気がついて彼女以上に照れた。
「お、おれの言った事は気にすんなよ。ミアが、したい事をすればいいんだ。」
「・・・もう決めたの。こうだと決めたら、絶対に貫き通すのが、あたしよ。知ってるでしょ。」
「・・・・。」
アグニは、ミアが踊りをやめることを残念に思った。自分の発言でミアから大事なものを奪った気がして、後ろめたくも感じた。
ミアは彼の顔を覗き込み、魅惑的に微笑んだ。
「アグニの前でなら、いつでも踊ってあげる。だから、反対するのは止めて?」
「・・・・おう。」
彼女の大胆な言葉に、アグニはたじろいだ。
ミアは、彼の初心な反応を見て笑いをかみ殺した。
「・・・ファルコがね。夕方、あたしに会いに来たの。」
「!!」
その事実を聞いて驚いたアグニは、彼女の思考を先読みしようとした。だが、うまく集中できなかった。
ミアに度重なって動揺させられたせいで、アグニの感覚は鈍っていた。精神的に強いストレスを受けることで、アグニが一時的に読心できなることをミアは知っている。
ミアの策略にちがいないと思いながら、アグニは彼女の次の言葉を待った。
「〝うちの店で、是非とも歌って欲しい〟って、懇願された。あたしの歌のこと、アグニが彼に言ったんでしょ?」
ミアは、怖い顔をしてアグニを見据えた。
「・・・うん。」
アグニは彼女の顔色を窺いながら、正直にうなずいた。
ミアは、げんなりしたかのように大きくため息をついた。
「やっぱり・・・それで、ついオーケーしちゃった。」
「・・・・!」
「勘違いしないでね、奴の監視がメインの目的だから。給料が馬鹿みたいに高いのも、魅力的だったんだけど・・・お店も、素敵だったし。昼間の飯屋は、あの騒動で即クビになっちゃったし・・・歌で食べてくのが、子供のころからの夢だったし。」
「・・・知ってる。」
歌を歌わせてくれるという条件が、あれだけファルコのことを嫌っていたミアにとって大きな誘惑になったようだ。
他にも様々な思いがミアの中に駆け巡っていた。彼女が警戒しているのはファルコだけではなく、リサも含まれている。リサに危険性を感じたのではなく、アグニが彼女とどういう関係なのかが気になっていた。
理由は何にせよ、ミアがファルコの店で働いてくれることをアグニは素直に喜んだ。そして、ミアが夢をかなえられることが彼女と同じくらい嬉しかった。胸の痞えがひとつとれたような気がして、アグニは気持ちが少し楽になった。
ミアは、少し気まずそうに辺りを見た。路地の陰から、何組かの男女の連れがこちらの様子を興味津々に窺っている。
「ちょっと、歩かない?いい場所があるの。」
ミアはそう提案して、アグニの手をとった。