第十三話
タングスの背に乗って、裏町の奥深くへと入り込んだ。物乞いや浮浪者、麻薬中毒の若者たちが廃棄物の陰からアグニたちに荒んだ目を向けていた。
アグニがここまで来る事は滅多にない。ここに集う不道徳で卑猥な連中の思考が少しでも頭に入るのが嫌だったからだ。警備で巡回する時と、仕事の取引でどうしても来なければならいことはあった。それ以外では、近づかないようにしていた。
派手な照明で照らされた看板の店名を確かめ、アグニはタングスの背から降りた。瞳孔の開いた女達がそこら中で客引きしている。
「坊や、遊んでかない?」
待ち構えていた娼婦が、アグニに声をかけた。
アグニは彼女をちらりと見やった。そして、彼女の脇を通り過ぎながら「・・・あんた、妊娠してる。」と静かに教えた。
「・・・・!」
娼婦は目を見開き、自分のお腹に視線を落とした。
タングスを外に待たせ、アグニは狭く短い階段を降りた。鉄扉の前に立つ男にチップを渡し、中へと入った。薄暗い通路が複雑に伸びている。
話しかけてくる女達を無視して、ミアが働くクラブへの道を突き進んだ。その道中、嫌でも目に入る男女の営みに嫌悪感を掻き立てられながらも懸命に耐えた。
左右上下が金網でできた釣り橋のような通路を抜けたところに目的の場所があった。クラブの中は、アグニの耳には騒音としか聞こえない音楽と目の眩む光の反射が四方から交錯していた。石の床は二段に分かれており、金網と手摺で仕切られていた。
「アグニ!」
聞き覚えのある声が、人混みの中からアグニを呼んだ。
アグニはそちらに視線をやった。私服のクードスが、丸い図体を人にぶつけながらスロープを駆け上がってきた。
「珍しいな、お前がこんなとこ来るなんて!」
クードスは、大の親友と意外な場所で再会したかのように驚き喜んだ。
「てめぇこそ、こんな店に入り浸ってたとはな。」
「いや、今日はたまたまだよ。ダチに誘われて・・・。」
アグニは、それが嘘であることをすぐに見抜いた。見抜かれると分かっていて、なぜクードスが自分に嘘をつくのか、アグニはいつも疑問に思っていた。まるでアグニに軽蔑されることを恐れるように、彼はアグニに意見を合わせて都合の悪いことは嘘をついて閉心しようとする。
クードスに2人連れの女が擦り寄ってきた。彼女たちはアグニを値踏みするような目で観察した後、それが色目に変わった。
「彼、すっごくセクシー・・・!」
「クー、紹介してよぉ!」
アグニは彼女たちが手にしているグラスに目が行った。人間の生血で割った酒だ。さらに1人は、目玉と舌の串焼きを持っている。もちろん人間のものだ。
アグニはそれらを見るなり、強烈な吐き気が込み上げてきた。心の準備はして来たものの、実物を目の前にすると我慢できるものではない。
「おいおい、大丈夫か?顔、真っ青だぞ。」
クードスは、女達からアグニを隠すようにして立った。
「そうなるのわかってて、何で無理して来たんだ?」
「・・・ミアに、用事が。」
アグニは冷や汗を拭い、目を瞑って深呼吸した。クードスは彼の背中を擦りながら、女達に向こうへ行くよう指示した。
女達は文句を言いながら去っていった。
「彼女なら、まだ舞台裏だ。もうすぐ出番じゃないかな。」
「・・・・。」
アグニは下の階の中央にあるステージに目をやった。若い踊り子たちが、男客に自分達の肉体を見せびらかすように踊っている。アグニはすぐに視線を逸らした。
「どうせ仕事が終わるまでは、ガードがついてて話せないよ。水、持ってきてやるから座ってろ。」
クードスは顔色の悪いアグニを手摺のそばの二階席に座らせ、ドリンクバーへと急いだ。
クードスは何かとアグニの世話を焼きたがる。彼はアグニより2歳年上だ。両親は他界しており、彼だけで幼い弟2人と妹1人の面倒を見ている。アグニにも、兄貴面をしたいのかもしれない。
アグニはたいして彼に興味がないので、彼が自分に構いたがる訳をわざわざ読心して詮索する気もなかった。
クードスはすぐに戻ってきた。水の入ったグラスをアグニに渡し、隣に座った。
「お前、蛇の目に行くんだってな?明日から。」
またその話題か。
嫌気が差したアグニは、クードスを焦らすように水をゆっくり飲んだ。
「・・・ああ。人手不足のところ悪いけど。」
「何でまた?」
「覚の実力を見込まれて、アマゾナスの高官様が大事にしておられるイカレた少年の読心を頼まれたんだ。」
アグニは、昼間の商店街で何度も同僚に繰り返した台詞を棒読みした。
「ふーん、たいしたもんだな。大出世だぜ!蛇の目なんざ、俺には一生縁の無い場所だ。いいなあ、いい女が腐るほどいるんだろなぁ・・・。」
クードスは顔の筋肉を弛ませて、はるか彼方を見た。
「は?アマゾナスの群れだぜ?暢気にナンパしてる余裕なんざ無いって。」
はっとして遠くから戻ってきたクードスは、眼球が飛び出しそうなほどに目を見開いてアグニを凝視した。
「・・・何だ?びびってんのか!?」
アグニは苦々しく笑った。クードスはアウラの判別を得意とするパイマーだ。故に、彼の前で強がっても無駄だということは承知している。
「びびんねぇ奴がいるかよ。正直、今の自分のままで帰ってこれるか自信ねえ・・・。」
クードスは、アグニが何の事を言っているのかすぐに感づいた。
「まあ確かに、お前は優秀だから種馬にされる可能性はあるわな。〝女帝〟に気に入られちまったら、廃人になるまで搾り取られるって話だぜ。」
同情して深刻な表情をしながらも、クードスの頭の中は官能的な映像で満ち溢れていた。
アグニはクードスの脛を蹴りつけた。
「他人事だと思って、エロい妄想して楽しんでんじゃねえよ。」
「いいだろ、減るもんじゃねえんだし。楽しみがねえと、生きる意味がねえのと同じだぜ。お前は、俺から楽しみを奪う権利があるのか?妄想という、崇高なる快楽を!」クードスはくだらないことを哲学的に言ってのけた。
アグニは呆れ果てながらも、自分にその権利があるかどうかを真剣に考えた。クードスは期待に満ちた表情で、アグニの答え待っていた。
「・・・・無い。」
アグニの味気ない返答に、クードスは椅子からずっこけるふりをした。
「もっと、からめよ!ったく、相変わらずだな。ちったぁ楽しめよ、いつもいつも難しい顔してないでさあ。」
「おれとクードスの楽しみは別物なんだ。」
「じゃあ、何がお前の楽しみなんだよ?喧嘩か?狩りか?」
アグニは、また真剣に考えた。クードスの質問に真面目に考えている自分が可笑しく思い、少し笑った。クードスは、それを見て眉間にしわをよせた。
「そうだな・・・命の危険に晒される事、かな。」
アグニは真剣に答えを出した。
クードスは目を瞬かせた。
「・・・は?」
間抜けな顔をするクードスに、アグニは説明を加えた。
「危ない事に手を出してると、生きてるって実感するんだ。命が危険に晒されれば晒されるほど、ゾクゾクして楽しい。」
「・・・・。」
クードスは目を細め、アグニを見つめた。彼は、アグニの危うい考えに対してどう反応すべきか迷っていた。否定すべきか、同意すべきか。
だがクードスは、明らかにアグニの感覚を理解していた。そのことにアグニは少し驚いた。
「わからなくも無い、だろ?」
アグニは、言葉を探している彼の代わりに答えた。
「ん・・・。」
照明と音楽が変わり、客席から歓声が上がった。
「・・・お目当ての彼女が登場だぜ。」
クードスが冷やかした。
その前にクードスが何かを言おうとした気配があったが、アグニが読心した時すでに彼の思考はステージに夢中になっていた。
「・・・・?」
少し気になりながらも、アグニはステージに視線をやった。
彼はミアを一目見た瞬間、先ほどまでクードスと何を話していたのか忘れてしまった。自分がここに来た目的も、胃のむかつきも、瞬きすることさえも忘れていた。
ステージの上で踊り狂う娘に心奪われ、思考が停止した。