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第十二話

 家に戻ったアグニは、買い込んだ物資を広げた。タングスの成長に合わせて鞍の調節と、ヒート・エッジの整備、銃器類の手入れに荷造りと、明日の出発までにやることは山ほどあった。


 アグニはひたすら無言で作業した。帰った時から、彼の様子がおかしいことにツィンカは気付いていた。彼女が話しかけても、反応がほとんど無く生返事だけが返ってくる。アグニは、何かに憑かれたように黙々と作業し続けていた。


 「・・・ミっちと、また喧嘩したか。」

 「・・・・。」


 ある時ツィンカがぼやき、アグニは一瞬手を止めた。

 だが何も言わず、再び手元に集中した。


 「図星ね。わかりやすい子だよ、ほんと・・・原因は?」

 「・・・・。」


 アグニは完全に無視を決め込んでいる。ツィンカはため息をついた。今回は、かなりの痛手を負ったようだ。


 「母さんの独り言よ、気にしないで。」


 無言のアグニに断りを入れ、ツィンカは整備の済んだバイクに寄りかかって腕を組んだ。


 彼女はコンクリートの低い天井を見上げた。発光する小型ガグルが、瓶の中から逃れようと暴れている。悲壮な鳴き声を上げて揺れる照明を憂鬱そうに眺めながら、彼女は独り言のようにアグニに語りかけた。


 「・・・明日から、何週間か何ヶ月かわからないけど、アグニはここを離れる。ミアと仲直りしとかなくていいのかな。彼女はとっても魅力的だから、アグニがいない間に他の誰かにとられちゃうかもよ?」

 「・・・・。」


 「ちゃんと、捕まえとかなくていいの?後になって後悔しても、今日は戻ってこないんだよ。時間は、あっという間に過ぎていくんだ・・・いつ何時、互いに何が起こるかわからない世の中で。一緒にいられる瞬間を、もっと大事にしないと・・・。」


 アグニは手に持っていた銃身を乱暴に置き、今まで息を止めていたかのように大きく息継ぎした。


 「・・・おれは、ログみたいにはならない。死んでまでツィンカを捕まえとくような真似を、ミアにしたりしない。」

 「・・・・。」


 「ミアのことは好きだ。彼女の気持ちも知ってる。でも、おれとミアは顔を合わせれば喧嘩になる。一緒にいないほうが、傷つけあわずに済む。

 他にいい奴ができたらその方がいい。ミアとは距離を置くべきなんだ・・・そうすれば、もしも互いに何かあった時に痛みが少なくて済む。」


 彼女の名を口に出すたびに、アグニの胸に鋭い痛みが走る。お互いの思いは、ずっと前からわかっていたことだ。だからといってそれまでの関係で、近づくことも離れることもできずにいる。


 アグニは、ミアに触れるのが怖かった。ミアもまた、アグニに触れることに抵抗感があった。引かれ合う中身とは裏腹に、表面では反発し合う。


 今朝見た夢が、アグニの脳裏に蘇った。あの夢は、アグニへの警告だ。彼がミアに触れれば、彼女を失うことになるという告知に違いない。


 ミアを失うことを想像するだけで、息ができなくなる。

 アグニは、もう一度深く息をついた。


 ツィンカは、微かに震えている彼の顔を覗き込んだ。


 「・・・ほんとに、それでいいと思ってる?」

 「ああ。」


 アグニは即答した。


 「・・・じゃあ、その涙は何かな?」

 「・・・・。」


 アグニの頬を、いつからか涙が伝い落ちていた。アグニは自分の涙腺を責めるように、乱暴に目を擦った。

 「・・・ほっとけ。」


 ツィンカは大袈裟にため息をついた。


 「その様子じゃ、距離を置くにはもう手遅れだと思うけど。」

 「・・・・。」


 アグニは何も言い返さず、再び作業に戻った。ツィンカは、棚に置かれた夫の写真に視線をやった。


 「これだけは言っとく。わたしはログと出会って、彼と結ばれてお前を産んだことを、これまに一度も後悔したことない。それから、ログがわたしを捕まえてるんじゃなくて、わたしが彼を捕まえてるのよ。今も、まだね・・・。」


 「・・・・。」


 「毎回、アグニが先に折れるんでしょ?今回だって例外じゃない。いつも通りの、ただの喧嘩よ。何を弱気になってんの、お前らしくない。アグニがこのまま身を引いて、それで本当にミアが幸せになれると思うのか?」


 ツィンカは何もわかっていない。

 そう思ったが、アグニは口に出さなかった。


 「そこの物騒なやつは整備しといたげるから・・・ミアんとこ、行っておいで。」

 「・・・そんなこと言って、こいつを修復不可能になるまで分解する気だろ。」


 ツィンカは眉を吊り上げた。


 「そうね、それはいい考えだよ。思いもつかなかった。教えてくれて感謝する。」

 「でも、そうはさせない。」


 アグニは、壁に立てかけていたヒート・エッジに手を伸ばした。


 ヒート・エッジを手入れし始めたアグニを、ツィンカは非難がましく睨みつけた。彼女は小さな声で悪態をつきながら、作業場の奥にある寝室へ入っていた。



 アグニは刃で手を切らないよう慎重にエッジにこびり付いた古い油をふき取り、錆びを取り除いた。届かない部分は分解しつつ、新しいオイルを注した。手に伝わる振動の原因となっていた緩んだ螺子をしっかり締めなおし、カクを装填する出力装置の汚れも入念に取り除いた。


 ひと段落がついて、アグニは固まった身体を伸ばした。そのとき、椅子の背もたれに押されて腰に何かが触れた。

 手を後ろに回し、留め金付きのポケットから手探りでそれを取り出した。違和感の原因は、小さな布袋に収まった首飾りだった。アグニはため息をつき、それを机の上に放り投げた。


 「・・・・。」


 しばらく、それを見つめた。


 目を離し、思い直してもう一度見た。


 「タングス。」


 アグニは、シャッターの向こうにいるタングスに声をかけた。


 「今、あいつ何処にいる?」


 タングスは間を置かずに思考の中で返答した。アグニが聞く前に、すでに彼女の居場所を特定していたのだ。嗅覚、聴覚、遠距離透視による人物探しはタングスの十八番だ。


 「・・・さんきゅ。」


 彼女はいつもの仕事場にいる。アグニと喧嘩して気が変わったようだ。彼女のそこでの仕事姿を、アグニは見たことが無い。彼女がそれを嫌がるからだ。今行けば、きっとまた喧嘩になる。


 もっと期間をあけて会った方がいい。だが、もしも二度と会えなかったら?ツィンカの言うとおり、いつ何処で何が起こって命を落とすかわからない世だ。

 特に自分は今、危険なものに関わっている。飯屋で激怒した彼女が、この世で見る最後の彼女の姿だとしたら?


 (アグニの魂は未練を残して、この地を彷徨うことになる。)

 タングスが答えた。


 「・・・・。」


 自分は、醜く無残な地縛霊になる。

 パイマーの霊は特に強烈だ。


 「ミアに、取り付くかもな・・・。」

 アグニは冗談のつもりで言った。


 だがタングスは(笑い事じゃない)と、真剣に思考して低く唸った。


 アグニは、自嘲するように鼻で笑った。


 「じゃあ、どうしろってんだ?」

 (もう、答えは出ている。)


 アグニの無駄な質問に、タングスは素っ気無く返答した。


 「・・・そうだな。ツィンカにやるには勿体ないし。」


 アグニは、机の上の布袋を鷲づかみして立ち上がった。




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