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前編:第一話

 末暦2045年1月



 どこまでも続く赤く荒れ果てた大地の地平線に、ゆっくりと確実に沈みゆく太陽。塵で濁った空に、じわじわと闇が侵食していく。


 切り立った崖の上に、1人の少年が片膝を立てて座り込んでいる。獣の皮と鉄屑をつなげて作られた衣服。露出した腕は浅黒く、痩せてはいるものの強靭さが見て取れる。

 前方を見つめる赤銅色の眼は、人のものというより餓えた獣に近い。瞳と同じ色をした長い髪は、複雑に編みこんで後頭部で束ねられている。


 少年の名は、アグニ。本人が望もうと望むまいと、彼は人食い族〝グール〟である。彼ら、グールは自分たちの事を人間とは区別している。人間を捕食する別の種族として。肉体そのものは人間であり、人間と同じ習性を持つ。もっとも、人を食べるという習性以外は。


 人を狩って食べること、それはこのエスで生き抜くために選んだ道。彼らグールは、それは必然であり進化だと信じている。一族のうち1人を除いて。


 (おれがイカれてんのか、それとも連中がイカれてるのか。)


 アグニは物心ついたときから14歳になる今まで、この疑問を毎晩延々と繰り返してきた。グールの父母から生まれ、グールのコロニーで育ち、家畜の人間を世話して、夜には人間の丸焼きを皆で囲む。そのひととき、皆は飢えの苦しみから解放され歓喜に満ちた表情に変わる。


 記憶も無いほど幼い頃は、きっと食べさせられていただろう。自分の記憶が正しければ、3歳ですでに拒絶していた。7歳になる頃には、毎晩の宴の時間にはコロニーを離れ、岩山の上でひとり飢えに耐える習慣がついていた。


 家畜どもの苦悶に満ちた表情。恐怖に青ざめ、助けてくれと訴える目。あの目と目を合わせると、胸に鈍器の一撃を食らったように息ができなくなる。


 「・・・・っ。」


 アグニは胃袋に不快感を覚え、顔を顰めた。空腹からか、人を食べる仲間の姿を想像して吐き気を催したのか。どちらも当てはまる。

 腰に吊るされた袋から琥珀色の塊をとりだし、ガスマスクをずらして口の中へ放り込んだ。胃袋が、不満げに唸った。


 彼の背後に、黒く大きな影が忍び寄っていた。その生き物は、足音と気配を消して慎重にアグニとの距離をつめる。灰色の毛でおおわれた長い鼻面が、アグニの頭のすぐ後ろまで迫った。裂けた大きな口から、鋭い牙がのぞく。


 「!」


 俊敏に振り返ったアグニの顔を、その生物は長い舌でべろんとなめた。不機嫌そうなアグニを、少し首をかしげて血のような赤い眼で得意げに見つめている。長く尖った2つの耳、2対の長い足、せわしなく揺れるふさふさの尾。

 のどの奥から甘えるような唸り声をもらすガグルを、アグスは睨みつけた。


 「・・・タングス。」


 顔にべっとりと付いた唾液をぬぐい、素早い動きでガグルの太い首に腕を回して絞めた。ガグルはびくともせず、嬉しげに頭をアグスにすりつける。


 彼らグールは、ガグルを飼い慣らす術を長年の試行錯誤によって生み出した。種類は限られており、いくら飼い慣らしてもなつくことは決してなく、危険なことには変わらない。グールは、ガグルを道具として、あるいは武器として扱う。頑丈な轡をはめて鎖でつなぎ、用の無いときは檻の中に閉じ込めている。


 アグニとタングスは、唯一の例外。タングスは凶暴で知能も高く、飼い慣らすことのできないガグルの一種〝エア・ウルフ〟である。

 タングスは、群れからはぐれて怪我をして倒れていたところ、アグニに拾われた。それ以来、タングスはアグニのそばを片時も離れようとしない。アグニ以外の者には、その体に触れることすら許さない。


 アグニは、タングスの首から垂れる引きちぎられた太い鎖を解いた。皆がタングスを恐れているため、鎖でつないで檻に入れておくよう族長に命じられたのだ。


 「見事な脱走だな、相棒。」


 アグニは、ハスキーな声でタングスに話しかけた。それに答えるように、タングスは誇らしげに唸った。


 「お前が我慢できるなんて、端っから期待してなかったさ。誰も傷つけてないだろな?」


 タングスは咳き込むほうに短く吼えた。

 アグニは犬歯をみせてにやりと笑った。


 「ならいいんだ。族長に叱られることくらい、お前がおれのダチを食い殺しちまうことに比べたらたいした事じゃない。」


 不満げに唸ったタングスに、アグニはため息で答える。


 「・・・そうだな、殺してほしくないような奴はほとんどいない。おれが言いたいのは、もし誰かを傷つけてお前が処分されるようなことになったら、もっと酷いって事さ。」


 納得したように、タングズは息をついた。


 アグニには、タングスの思考が手に取るようにわかる。それは、アグニがパイマーであり、読心術が使えるからである。


 タングスにも、アグニの思考を理解することができた。人の言葉を音声で聞き分けて理解しているわけではない。

 エア・ウルフは強い霊感を持つガグルであるが、タングスの霊感はその中でも極めて強く、頭もいい。そして、アグニ同様に読心することができる。

 アグニが声に出して、相棒のエア・ウルフに話しかけるのは癖である。黙って会話していると、コロニーの皆に不気味がられるからだ。


 アグニ以外にも、読心術が使えるパイマーはコロニー内に何人かいる。だが、タングスの思考を読み取ることができるのはアグニだけだ。

 それは、タングスがアグニ以外の者に〝閉心〟しているからである。閉心は、読心術者に心を読まれないようにするだけではなく、本名を知られたときに魂の呪縛や様々な催眠術、不本意な送心への対抗策になる。


 「てか、お前・・・またでかくなったな。いったいどこまで成長するんだ?」


 アグニは、自分を囲うようにして寝そべるタングスの大きな身体をまじまじと見た。


 エア・ウルフの体長は大きいものでも2m。しかしタングスの体長は3mを超えていた。タングスは自分の成長ぶりなど興味なさげに、首をひねって前足で耳の後ろを不器用に掻いた。アグニが手を貸してやると、気持ちよさげに目を細める。


 「・・・何のことだ?」


 アグニはタングスの頭の中に浮かんだ疑問に顔をしかめた。タングスは横目でちらりと彼を見る。


 「とぼけてねぇよ。別に悩んでも・・・ああ、ちょっと気になることがある。」

 アグニはあきらめて認めた。


 タングスはすべてお見通しだ。

 アグニの閉心術では、タングスを誤魔化すことはできない。


 アグニは、タングスの弾力のある毛で覆われた横腹にもたれかかり空を仰いだ。どこまでも黒に近い灰色の空。いつのまにか、周囲は暗闇が支配していた。夜行性の凶暴なガグルが岩山の影からいつ飛び出してきてもおかしくない。

 アグニはたいした武器を身に着けていなかったが、何も不安は感じなかった。タングスほど巨大なエア・ウルフに近づこうとするガグルなど、この地帯にはいないからだ。


 アグニは、この数週間ずっと繰り返し見てきた同じ夢を、頭のなかで思い描いた。タングスは静かに、その思考を読み取った。


 「服装からして、バースのパイマーだ。間違いない。」


 独り言のようにアグニはつぶやいた。バースという単語を発した時、彼の目に憎しみが滲む。タングスがなだめるように唸った。


 北アク、バース・ヒルスタン。

 バケモノじみたパイマーどもの巣窟。


 グールと同盟を結んだ女部族アマゾナスは、北アクへの領地拡大を目的にバースと数ヶ月に及び争ってきた。

 約1ヵ月前、アマゾナスとグールの同盟軍は決定的な大敗を喫した。最初から勝算のある戦いではなかった。バースとの〝力〟の差は歴然だった。少なくとも、アグニはそう考えていた。


 バースに対抗すべく、アマゾナスは彼女たちが占領するコロニーから多くの呪縛兵を生み出した。自らの意思とは関係なく戦に駆り出される呪縛兵たちを、バースは救済しようと試みる。呪縛兵の解放を条件に、アマゾナスとの和解を持ちかけてきた。

 だが、野心深いアマゾナスが聞く耳を持つはずはない。バースは前にも出ず後ろにも下がらず、アマゾナスから逃げ出す南アクの難民たちを保護し、忍耐強くアマゾナスが折れるのを待ち続けた。

 その姿勢がアマゾナスをさらに刺激し、バースに統轄される北アクへの敵意は燃え上がる一方だった。


 アグニは、あの夜のことを忘れるとはない。バースが痺れを切らし、ついに前へと出たあの夜のことを。これからの一生、あの悪夢のような光景は彼を苦しめ続けるだろう。


 身の毛がよだつファミリアの軍勢。トランスにより魔物と化したバースの武官。逃げたくとも逃げられぬ呪縛兵の悲鳴。死体で埋め尽くされた荒野。


 アグニはこれまで、自分の身内であるはずのグールにも、同志であるはずのアマゾナスにも情を抱いたことはない。むしろ嫌悪感を抱く。バースに憧れさえ感じていた。自分と近い者たちだと思っていた。

 バースが哀れな呪縛兵を救い出し、アマゾナスとグールを正しい道へといざなうことを、アグニは夢見ていた。バースに占領されることで自分は救われる、そう信じていたのだ。

 

 あの夜、その思いをすべて吹き飛ばされた。裏切られた気分だった。戦場にいたアグニは、恐怖よりも絶望に打ちひしがれた。


 何がバースを突き動かしたのかは知らない。やむを得ぬ理由があったのかもしれない。それでも、アグニの中に広がった絶望感からバースに対する怒りが湧き上がった。

 それはアグニだけではない。あの夜の一戦は、これまでアマゾナスとグールを恐れ憎んでいた南アクの多くの住人たちの心に、アグニと同じ変化をもたらした。


 思いもよらぬバースの猛攻に、こちら側は引かざるを得なかった。バースは深追いしてはこなかったが、いくつかの南アクのコロニーが彼らの手に渡ることとなった。それから1ヵ月、両者は距離を置き、干渉しあうことを避けている。


 バルタナとの友好関係を結び、物資に恵まれるバースにとって、レゴリスの浸食が進む南アクは重要な土地ではない。今後、バースが南アクに手を伸ばすことがあるとすれば、土地以外の別の理由によるだろう。アグニには思いもつかないが、族長は何かを思い、バースを恐れている。


 アマゾナスの頭領もまた、バースがいずれこちら側に干渉してくることを確信している。バースがその気になって攻め込んでくれば、今の南アクに対抗する力はない。

 にもかかわらず、アマゾナスはこのまま引き下がるつもりも、バースに降伏するつもりもないようだ。アマゾナスの頭領は、バースに対抗するための何らかの策をグールの族長にもちかけているようだ。族長は乗り気ではない。だが彼女たちに意見できるほど、両者は平等な立場ではない。それは、若いアグニでも知っている。


 アグニは不安に燻られていた。とてもよくないことが起きそうな予感がしていた。毎晩見るあの夢が、何らかの警告をアグニに伝えているような気がしてならない。


 夢に出てくるのは、傷つき血をながすタングスとバースのパイマー数人、そして怒りに震える自分。両者は、互いの命を奪うべく戦う。燃え上がる敵意のアウラをぶつけ合いながら。


 その間に突如割ってはいる少女。


 輝く黄金の髪、白い肌、左右色違いの神秘的な瞳が何かを懸命に訴えている。その場に渦巻いていた不のアウラが、彼女が放つ強烈な光のアウラで一瞬にして吹き飛ばされる。アグニが振りかざした大剣は、自らの意思で止めるには遅すぎた。


 心臓が止まる。敵意の無い無防備な少女に、制御の効かなくなった大剣が襲い掛かる―――


 いつもそこで目が覚める。破裂しそうなほどの鼓動は、怒りのせいではない。傷つけたくない者を傷つけてしまう恐怖が、自分の心臓を痛めつけるように圧迫しているからだ。


 夢のことを思い出し顔をしかめるアグニに、タングスは頭をすり寄せた。


 「・・・そうだな、心配しすぎだ。」

 自分に言い聞かせるように、アグニは呟いた。


 「おれの〝予知夢〟ほど、気まぐれなもんはない。」


 同じ夢を何度も繰り返し見ることは、これまでにも何度かあった。夢の内容に近い事件は起きても、夢の通りに進んだためしは無い。それはアグニ自身が夢を気にして、現実にならないよう事前に行動しているからである。


 アグニが見る予知夢はごく限られている。自らが事前に予防できる凶事。自分の力ではどうしようもない事は、どんなに大きく自分に関わる災難であっても夢に見ることは無い。


 金髪の少女の夢は、予知夢には違いない。いつも通り、その時がきたらアグニ自身の力で最悪の結果を免れるはずだ。

 そうは分かっていても、アグニは何かを見落としているような疼きに苛まれていた。この不安感は、予知夢で見る出来事に繋がるもっと大きな凶事を知らせているのではないだろうか。自分の力ではどうしようもできない、何らかの災いを。


 はっとして、アグニは腕に巻かれたメーターを確認した。メーターの針は、背中に負った小型ボンベに残る酸素がもう少ないことを示している。すぐコロニーに戻らなければならない。アグニと同時に立ち上がったタングスは伸びをして、アグニに目で合図した。


 アグニは身軽な動きで、タングスの背に飛び乗った。鞍をつけていないタングスに乗るのは気が引けたが、自分の足ではコロニーに着くまでに酸素が尽きてしまう。考えに耽り、思った以上に時間が過ぎてしまっていた。


 アグニがしっかりつかまったことを確認したタングスは、身をかがめ4本の足に力をこめた。筋肉が強張り盛り上がった次の瞬間には、ふたりの姿はすでに無く、土煙が中を舞っていた。





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