88、黄昏れ
女神復活は世界を震撼させ、同時に平和をもたらした。かつて復活を目指し、女神復活の折には世界は我が物となるとする奇特な集団、女神教の解体である。
御神体を失い、且つ復活したはずの神の不在が信徒に不安と混乱を招いたためだ。
「神は何処に御座す?!私の信じた神は何処に御座すっ?!!」
女神教を運営していた司祭は祭壇に向かって叫んでいた。世界が自分の物となることを本気で信じていた彼はミルレースを恨む。
女神は居た。本当にこの世界に存在し、世界に脅威を振り撒き、恐怖を煽り、信徒を大いに期待させた。
だがそれが不味かった。奇跡の存在が居たことによる反動は大き過ぎた。
世界は結局何も変わらなかった。代々続けてきた女神への信仰心は消え、発狂する狂人だけが教会で嘆き、破壊衝動に身を任せて物を破壊する。
エデン正教は長年放置してきた女神教への弾圧を強め、大目に見ていた布教活動そのものに締め付けを行う。『女神教は悪の枢軸であり、世界に混沌をもたらす存在』であると公的に糾弾し、様々な国で解散命令を発令した。
このままでは殺されると危惧した者、利権にしがみつきたい幹部連中は新たな宗派を立ち上げるべく女神教を棄教。過去の栄光が忘れらえない者たちもそちらについていくことになる。さらに元々一般市民からは嫌われていたので、此れ幸いと弾圧に参加する一般人も増え、あっという間に女神教は消え失せた。
エデン正教の益々の発展を祈る晩餐会を盛大に開き、正教の力をさらにアピールした。
晩餐会と称する祝勝会の裏でエデン正教の枢機卿イアン=ローディウスは1人体調不良を訴えて部屋にこもっていた。
「ふんっ……女神教を潰したからどうなる?女神が倒れたとてその裏には皇魔貴族が居るのだぞ?」
グラスに入れた葡萄酒を一気に飲み干し、叩くように机に置いた。ローディウスは酔った勢いからか、机の上に広げた羊皮紙を弾き飛ばした。
「人族の頂点に君臨したところで意味はない。全生物の頂点に立てぬならいつ滅ぼされても文句など言えぬではないか。今後の対策もまともに考えぬ青二才共が……」
デキャンタを傾けてグラスに酒を注ぐ。グラスを手に椅子に深く腰掛け、酒の色を光に透かして眺める。
(レッド=カーマインを敵に回すべきか、懐柔すべきか……あれが今回の女神騒動に関わっているのは間違いないが、しかし……光の柱といい、空が白くなったことといい……あれに触れるのは無用な怪物を目覚めさせてしまいそうで怖い……)
不安がローディウスの中で渦巻く。レッドのことを恐ろしく強いというくらいしか知らないこと。それ以外は全くの空虚であり、改めてレッドには何も無いことを思い知られる。『触らぬ神に祟りなし』とは今この時に使うべきではないだろうか。
「ふぅ……しかしこれもまた憶測でしかない。ヘクターが真正面から奴を見た時、どのような意見が出てくるのか……それ次第か……」
ローディウスは思考を放棄し、またグラスを一気に空にする。全てを聖騎士に任せ、自分はエデン正教の発展に勤しむのみと決断を後回しにした。
*
長きに渡る戦いはようやく終戦を迎え、女神という呪縛から解かれた魔族たちは自領に戻り、心の底からの安堵を享受していた。
この戦いで多くの同胞を失った皇魔貴族は数多くのダンジョンに空きが出てしまったことを知り、これを機に自領を広げようと画策するものもいたがフィニアスの一声で踏み止まる。
「空きとなった領地を私が召し上げ、功績に合わせて領地と地位を与える」
女王の命令は絶対である。加えて公爵への裏切り行為を働いた者たちの処分に話が移り、一部は降格、主犯格のベルギルツは爵位を取り上げられた。
しかしこの話はまだ本人には伝わっていない。女神復活の折、皆が命を懸けて戦っているゴタゴタに乗じて逃走したベルギルツは、そのまま雲隠れしたために行方が分からなくなってしまったのだ。ダンジョンの最奥ももぬけの殻の状態だったので、亡くなった同胞たちのダンジョンと共に召し上げられた。
「うーむ……継承権を持つ魔族が不足している。領地をバラまいてもほとんどを遊ばせることになりそうだぞ?」
「それもまた仕方なきこと。今はただ、女神討伐に酔いしれていたいからな……」
フィニアスは肩の荷が下りたと深く腰掛け、脱力して玉座に体を預けた。
「ふむ。ならば我に1つ考えがある。適当な領地を我に寄越してくれ」
「?……構わんが、何に使うつもりか?」
「ああ、それはな……」
フィニアスにその使い道を教え、彼女の瞳に理解の色が見えた時、グルガンは心底楽しそうに笑って目を伏せた。
*
レッドは女神ミルレースとの出会いと別れを心で反芻しながら丘の上で黄昏ていた。
旅の中で何度か心の支えとなったことや、喧嘩したこと、笑い合ったことや慰めてもらったことも記憶に新しい。鬱陶しいこともあったが、居なくなって初めてミルレースという存在の大きさに気づく。すべては自分が復活したいがためのゴマすりだったのだが、かけがえのない仲間だった。
「世界の危機だったんだ。レッド、君が心を煩わせることはない」
ライトはレッドの背中に声をかける。レッドにもそんなことは分かっている。でもそれ以上に仲間だと思って容赦していた分、焼き殺されそうになったのが頭にきて剣を躊躇なく振り下ろせるようになった自分に少しの嫌悪を覚えたのだ。
ミルレースは悪い奴だった。でも何か方法はあったのではないかと終わった後に考えてしまう。もう過ぎた時間は戻ってこないのに考えてしまう。
「ライトさん……」
「なんだレッド」
優しい声だった。包み込んでくれそうなほど包容力にあふれた声にレッドは涙ぐんでしまう。
「俺はさ……夢があったんだよ。ミルレースと一緒にさ……ご飯を食べたいって。ほら、体が出来たら一緒にご飯が食べられるって思ってさ。楽しみにしてたんだよ。でも……もう……」
「……ああ、そうか……」
「レッド……」
側で聞いていたオリーも居た堪れなくなってレッドを見つめた。肩を震わせていたレッドは意を決して立ち上がり、涙を拭いて振り返った。
「ご飯にしよう!」
レッドの笑顔にライトとオリーは微笑み、2人で目配せをする。
「ああ、いっぱい食べよう!!」
「そうだな。ミルレースが羨ましがるくらいうんと食べようじゃないか!」
女神復活という目標を終わらせ、ミルレースを失った悲しみを乗り越え、レッドはオリーとライトと一緒に歩き出す。
まだ他にもやることはあるだろうが、今はただ、お腹を満たすことだけで頭がいっぱいだった。




