87、真紅の牙
「オーバー……エンハンス?」
ミルレースはグルガンの言葉を反芻する。なんのことか分からず首を傾げた時、グルガンの持っていた魔剣は赤く光り輝いた。心なしかグルガンの目も赤く光り輝き、目から光線でも出そうな勢いだ。
コオォォォッ……
久しぶりの本気にグルガンの魔剣は喜びに打ち震える。もう我慢しなくて良いのだ。全てを吐き出す勢いで刃先が振動しているのが分かった。
「ふんっ!それが何だと……」
チリッ……チリチリ……ジ……ジジジィ……
ミルレースの周囲に何かが焼けるような音が聞こえる。音の鳴る方へ目を向けると、空間にチラチラと光が滲み出しているのが見えた。例えるならば、映写機のフィルムが照射された光の熱で溶けるかのように空間が溶け始めたのだ。
「はぇ?」
こんな光景を一度たりとも見たことがなかったミルレースは目を剥いて成り行きを見守る。その余裕、その悠長さが仇となる。
ゴバァッ
何もなかった空間に現れた熱の収束物は急に破裂し、死の表面を削る。その程度なら先の魔族たちが懸命に撃った魔法攻撃と同様なのだが、似て非なるのは発動の速さと威力である。
ゴバババッバババババババッバッバババババァッ
そこらかしこで連鎖的に空間が爆発する。流動する液体の回復速度を上回る爆破。それも四方八方全てを埋め尽くすミルレースに迫る究極の波状攻撃。空間爆破。
これが剣一本の威力だというのだから、先に攻撃した魔族たちの存在否定にもつながりかねない。世界は全く平等ではないと教えられる。
「はぁっ?!なんですかこれ!?なんでこんなことが……?!」
今まで有利に働いていた死の攻防一体の能力は、グルガン1体に封殺される事態に陥った。魔剣をかざした辺りから一歩も動いていないのに追い詰められるなどあり得ない。
「ここ、こんな能力があるのに何故最初から戦わないのです?!あなただけで済んだではないですか!!グルガン!!!」
「ある程度敵の能力を見てからでないと心配でな。一度でも見られたら対処されると考えるべきだ。絶対に勝てると思うまでは力を見せるつもりはない。初見必殺。それが我が信条よ」
「い、言いましたね?!絶対に勝てると!永久に回復し続ける私にこの程度の……あっ!?」
ゴバァッ
とうとう死を削り切り、ミルレースの腕を吹き飛ばした。続いて腹、足と吹き飛ばす。しかし吹き飛ばしたと同時に再生が始まり、同時に運命の輪が発動しているのを捉えた。
(見えた。やはり奴はあの回復術を素早く何度も発動するためにアルカナを重ね掛けしているに違いない。死しか出していなかったのも出せなかったと見るのが正しい。ミルレース自身が制限されていることを吹聴したと思ったが、あれが真実だと考えると存外素直なことが分かる)
その内、爆破が激し過ぎてミルレースの全身を隠してしまう。グルガンからもミルレースからも爆破の影響で両者視認不可となった。
(チッ……何と面倒な力か。私が動けないレベルの波状攻撃か。封印されたあの日を思い出しますね……)
ミルレースはその美しい顔も爆破で欠損させながら、永久に忘れ去りたい過去の失態がフラッシュバックしてきた。あの時は皇魔貴族はもちろん、精霊王、竜王たちも参戦していた。ここまで追い込まれたあの時もほとんどの者たちがミルレースの力で命を落としたというのに、今はたった1人、たった1本の魔剣で抑え込まれている。つまりあの時の恥を超えたことになる。
(しかしこの攻撃では私の運命の輪=自動化を破ることは出来ませんね。とにかく今ここから抜け出して……)
どうにかして抜け出したいミルレース。常に隙間なく爆破し続けるので死を解除し、別のアルカナで抜け出す方法を考えていると、鋭い斬撃が爆風の合間を縫ってミルレースに向かってくるのが分かった。
「そ、爪刃っ?!」
ドシュッ
ミルレースは爆破の合間に爪刃によって切られる。だが丁度爆破と混同して切られたため、爆破の致命傷と共に回復に成功する。
(くそっ!レッドめっ!!初めて肝が冷えた!発動タイミングの隙を縫われたらどうのしようもない!!)
運命の輪=自動化は無敵ではない。無詠唱で常に自身の命を守り、どんな致命傷でも映像の逆再生のように完璧に治癒するが、能力発動のコンマ数秒の間だけ命に届く。今までこの隙に付け込まれたことはなかったので調子に乗っていたが、まさに今ミルレースは絶命一歩手前まで追い詰められた。爆破で視界を遮られたせいで次の爪刃がいつ来るか分かったものではない。
だがそれはグルガンたちも同じこと。ミルレースがどんな動きをしようとも視認出来なければ邪魔のしようがない。
(ふっ、勝負を焦りましたね。確かにあなたは私の命に届いた。しかし私は勝負にこだわる必要がないのですよ!ここから態勢を立て直して今一度殲滅すれば良いのです。初見必殺ぅ?無理難題なんですよっ!!)
ミルレースはニヤリと笑ってアルカナを発動させる。
「恋人!隠者!」
爆発の合間に呼び出したアルカナ。運命の輪=自動化が解除されてしまうので、本来は2体同時に出すことは愚策なのだが、この2体であれば頷ける。
恋人はミルレースの分身を作り出す力。分身に他のアルカナを使うことは出来ないが、アルカナの恩恵を得ることが可能である。例えば、本物のミルレースの能力向上に合わせて恋人も能力が向上し、アルカナの攻撃対象にならない。その上で視界を共有することが出来る。恋人は基本的に1人しか出せないので、凄まじいまでの戦力にはならないが、身代わりには丁度良い。
隠者は隠蔽能力に長けた力を有することが可能。気配の完全遮断や幻影を用いてミルレースの存在を隠蔽するのだ。
つまり隠者でコソコソ隠れて恋人に傷をなすりつけつつ、そっとこの場を離脱する。グルガンは恋人の気配を追って攻撃し続けるので、恋人はその内消滅するだろうが、本物のミルレースは無傷で脱出出来る。今受けた傷は最後の運命の輪で回復し、この場を抜け出すのはミルレースの最後にして最高のアルカナ。
「世界!」
どれだけ凄まじい攻撃も概念も事象も世界が違えば意味を為さない。まさに最高の脱出方法。ミルレースにはこれがある。昔は弱者に対して逃げるなどあり得ないと意固地になったのが敗因だが、今回は完璧に逃げ切ることが出来る。学んだのだ。屈辱をバネに跳躍する術を。
ミルレースはしたり顔で異空間に逃げ込む。未だに攻撃が続く様を見ながら意気揚々と。
「うふふっ……私は絶対なのですよ」
入り口を閉じるミルレースは心の底から安堵していた。だからだろう、ミルレースの背後に近付く死に認識が遅れたのは。
「おぉっ……本当に来たよ」
「!?」
ミルレースはバッと後ろを振り返る。その時に見たレッドは剣を振りかぶってミルレースに叩き込む寸前だった。
*
「我が攻撃を仕掛ける。ライトは隠れながら我についてきてくれ。最初の合図で我の側に立ち、次の合図で爪刃を撃ってもらいたい」
「分かった。それで爪刃を撃った後はどう動く?」
「それだけで良い。むしろそれ以上は動く必要ない」
「何だと?」
グルガンの策は1人1人のたった1つの動作で全てが解決するという触れ込みだった。
「オリー=ハルコン。貴君はライトの魔力を増幅させ、爪刃の威力を底上げして欲しい。ライトの側を離れぬように移動してくれ」
「……分かった」
オリーは少し考えながら了承し、レッドに微笑みながら小さく頷く。レッドも慌ててそれに返礼し、2回小さく頷いた。その様子にフィニアスが口を挟む。
「グルガン。何故レッドではないのか?爪刃とやらの威力を上げてまでライト=クローラーに攻撃させる理由はなんだ?」
「ミルレースの誤認を誘う」
「誤認だと?」
「ああ。奴は能力を発動するのに隙がある。そこを突く。上手くいけば最初の爪刃で仕留められる。しかし上手く行かなければ奴は逃げに転ずるだろう」
「まるで見て来たかのような口ぶりで語るじゃないか。全てが推測の域を出ていないのだろう?」
「遠目でしか見ていないので不確かなことが多いことは認める。だが勝率は五分。決して勝てないわけではない」
「そこまで言い切るには致命的な弱点を見抜いたと考えて良いのだな?」
「悪いがそれほどのものではない。奴の癖と兆候、それに基づくに至った思考を垣間見たに過ぎん。言うなれば我の勘で策を打つ。不安に思われるかも知れんが、あのレベルの敵に相対するなら直感力でやりあう他ない。そしてこの策で最も重要なのはフィニアス。貴様だ」
「私?」
グルガンは真剣な顔で頷いた。芯の通った眼光にフィニアスは気圧され、唇を巻き込むように押し黙った。
「そう難しいことでは無い。異空間への扉を使用してもらうだけだ。そしてレッド。貴君が異空間に入り、ミルレースが異空間に逃げ込んだ瞬間に倒してくれ。一撃で決めねば面倒なことになる。酷な話だが、確実に仕留めるようよろしく頼む」
「えぇ……俺死ぬとこだったのに、また行くのか……」
「ああ、すまない。これしか道はないのだ。熱いかも知れんが、我慢してくれ」
太陽の影響が未だ異空間に残っているのではないかと考えた時、レッドには申し訳ない気持ちにならないでもないが、女神を倒す奇策はレッドの我慢で成り立つ。
グルガンとライト、そしてオリーの背中を見送り、レッドは早速フィニアスの異空間への扉の中に入っていった。
全ては計画されていたミルレースの攻略法。新たなアルカナを出されることは折り込み済み。全部が全部グルガンの想定通りにことが運ばなくても良いのだ。ある程度上手くいけば、最後はゴリ押しで世界に追い込んだら勝てる。グルガンは囮であり、本命はレッドで間違い無いのだ。
そしてミルレースはまんまと思考誘導に引っかかり、命を守るために世界に逃げ込んでしまった。
レッドの姿を見たミルレースの脳裏にチラついたのは助からぬ未来。今更足掻いてもどうにもならないこの状況を詰みというのだろう。それでもミルレースの口は自然に動いていた。
「運命の……」
「烈刃っ!!」
ボンッ
それは決して斬撃の音ではない。振り下ろしたと同時に巻き起こる衝撃波はミルレースを真っ二つに切り裂いた後、粉々に吹き飛ばした。
ミルレースという災害は今この時を以って絶命した。
死。
それは抗うことの出来ない誰もが最後に辿り着く終着点。どのような生き物であっても、避けられず、遠ざけられない概念。例え女神ミルレースであっても……。
*
──ビキィッ
真っ白に光り輝く空に亀裂が入る。次の瞬間にはガラスのように砕け散り、パラパラと宝石の粒のように地上に降り注ぐ。光の粒は世界各国に降り注ぎ、触れると同時に砂のようにサラサラと粉になった。
「綺麗……」
1人の町娘が発した言葉でこの神秘に皆の心が飲まれる。自然という原始から存在し、変わらずそこにあった風景を超越するこの世のものとは思えない恐怖の事象。それがまるで夜空に降り注ぐ流星のように煌びやかで、雪のように儚く美しく変化した。
女神によって形成された世界終焉の序章はミルレースの死と共に終わりを告げた。




