74、エデン正教
「女神復活が近いだと?……あり得んな」
角ばった顔に白ひげを蓄え、確かな歳月を感じさせながらも背筋がシャキッと伸び、ギラリと鋭い眼光が年を感じさせない。白を基調とした清潔で豪奢な衣装がただ者でないと感じさせる。
彼はエデン正教の枢機卿イアン=ローディウス。エデン正教の聖騎士ヘクターからの報告書を鼻で笑って机に投げた。
「何故女神教を泳がせていたと思う?不可能だからだ。女神復活という世迷い言を大義名分とし、信者を集めたとて皇魔貴族はどうにも出来ん。人間では勝ち目など存在せんのだからな」
「おやおやぁ?ローディウス卿は女神復活どころか皇魔貴族も知っていたのですねぇ。信徒として鼻が高いですが、冒険者の立場から言うと怒りが込み上げてきますねぇ……」
「知らぬ方が良いことも時にはある。この件もまたその1例であろうな。端的に言えば皇魔貴族にとって我らは敵にすらならない。今回の呼び出しで何が狙いかを知りたかったのだが……上手くいかぬものよ」
「僕たちの命を以って情報を引き出そうと?ローディウス卿は情がございませんなぁ」
ヘクターはヘラヘラ笑っているがその目は鋭く輝いていた。ヘクターの物言いが気に入らない司教はヘクターに食ってかかる。
「貴様!ローディウス様に失礼であろう!」
「でも〜そう思いませ〜ん?情報と〜命。どちらが大切ですか〜?僕は後者ですので〜死にたくないんですよ〜」
「その間延びした喋り方は何とかならんのか!不愉快だ!」
その時、ローディウスはスッと手を上げた。その動作に場が静まる。
「卿の言うことは最もだが、私を笠に着てヘクターを責める真似は感心しないな」
「なっ!?け、決してそのような……!!」
「もう良い。下がれ」
司教は言い訳もさせてもらえないまま苦々しい顔で部屋から出て行った。同時にローディウスはスッと立ち上がってヘクターに背を向ける。意図を汲み取ったヘクターは2回ほど頷いて唇を尖らせた。
「……2人きりでお話しされたいことがあるようですねぇ。皇魔貴族の話でしょうか?それとも女神関連?出来ればすべて聞かせていただけるとひじょ〜にありがたいのですが?」
「少し長くなるが良いかね?」
「ええ、ええ。時間はた〜っぷりありますから」
肩越しにヘクターを見たローディウスは意を決したように振り向いた。
「遥か昔、エデン正教は皇魔貴族と手を結んでいた。いや、正確にはある魔族に服従していたのだ。人間はいかなる場合においても魔族に弓引くことなく、ただひたすらに恭順し、黒を白と断じて絶滅を免れていた。当然正教内部に不満が生じ、背教するものたちも後をたたない。ただルール無用の世の中になっても魔族にだけは誰1人手を出さなかった。首の皮一枚で命を永らえた混迷の時代。我らの行く末は暗く淀んでいたのだが、ある日1つの転機が訪れる」
「女神……ですかね?」
「そうだ。女神ミルレース。鬱屈としていた我らにとっては、まさに救世主たる存在だと考えられる。しかし実態は少々違っていた。魔族を攻撃し始めたところから人間の味方だと思われていたそれは、我ら人間にも牙を剥いてきたと文献に記録されている。誰の味方をするでもなく暴れまわる邪神。皇魔貴族を倒せる力を保有していることから、人間では相手にならず、嵐が過ぎ去るのを待つしか道はなかった」
「何と情けない話でしょうか。同じ人間として恥ずかしく思いますねぇ」
「うむ。同感だが話はここからよ。女神の力を脅威と感じた魔族にとって、戦力となるものは是が非でも確保したい貴重なものとなった。しかし人間は力が弱すぎて不十分。消去法により普段手を取り合うことのない皇魔貴族が一丸となって女神に戦いを挑み、何とか封印に漕ぎ着けた。戦いに一切関与しなかったことで我ら人間は傷一つ付くことはなかったが、同時に女神の情報を得ることは出来なかった。その後、ひとときの平穏が訪れるも魔族内部で仲違いが起き、我らが服従していた魔族は討伐され、皇魔貴族との関わりは絶たれた」
そっと机を撫でながらため息をつく。
「もう何百年も昔に終わった話だがな……」
「はぁ〜なるほどねぇ。皇魔貴族が人間を襲わなかったのは取引の賜物かぁ。でもその取引したっていう皇魔貴族が討伐されたのなら、それと関わっていた僕らも被害を被るでしょ?昨今まで魔族に関することは特に何もなかったし、何も対策は練られていないように思うのですけど?」
「隠れ潜んだ奴隷にまで目を配るほどあちらも暇ではないということだろう。それゆえにこちらの対応も外にではなく内側に焦点を絞った。箝口令を敷くことはもちろん、当時を綴った歴史書は禁書庫に保管。大司教、高司祭、そして私枢機卿の協議の末の承認、さらに教皇のお許しを経て初めて閲覧許可が下りる徹底ぶりだ」
「ほぉ~?だとするなら僕に語った今のこれは越権行為では?」
「分からんか?皇魔貴族が女神復活を掲げ、脇目も振らずに出てきたのだぞ?……解禁だよ。とはいえ、情報の開示は選ばれたものだけの特権であると言えるがね」
ローディウスは追い出した司教の後ろ姿を幻視するように出入り口に目を向けた。
「……2、3質問があるのですが宜しいでしょうか?」
「ん?なんだ」
「もしやと思いますが、エデン正教から棄教した元信徒たちが女神教を立ち上げたのではありませんか?」
「気づいたか。その通りだ。皇魔貴族に対する劇薬として女神を利用するために設立したと聞いている。女神教創設者のメンバーリストにエデン正教に居た司教たちの名前が連なっていたから間違いない」
「女神が封印され、皇魔貴族の支配から解放された昨今、女神教との関わりは我々が知らされていないだけで実はかなり変化したのではないですか?」
「変わらん。むしろ奴らはさらに力を求め拡大し、設立メンバーの意図を超えて暴走している。そのような邪教に関わることなど時間の無駄だ」
「あ〜……そうですか〜」
「ガッカリかね?」
「いえいえ、そういうことではないですよ。今回の件に我々は一切関与していないということが分かったことへの安堵ですよぉ。これで遠慮なく邪教として叩き潰せるというものです」
「ふっ……その時が来たなら真っ先に卿にその任を与えよう」
2人で静かに笑い合う。しばしの沈黙が流れ、キュッと表情を固めたローディウスは顔を上げた。
「さて、ヘクターよ。卿に別件で任務を与える。聖騎士を召集せよ」
「全員?でも皇魔貴族には勝ち目はないのでは?」
「どうあっても皇魔貴族との対立は避けられん。その上で今回の件に深く関わる存在にアプローチをかける」
ヘクターは目を細めて意図を読み解こうとする。彼が自力で辿り着く前にローディウスは口を開いた。
「レッド=カーマインを叩く」
「ふふっ……何のために?」
「皇魔貴族が重要視する人間だぞ?理由を知りたいと思わないか?」
ローディウスの真意は分からなかったが、ヘクターはその任務を受諾した。




