273、神罰形態
ヴァイザーは生まれながらの強者である。
魔導世界『ルーンヴェルト』の支配者であり、自分を神の如き存在だと考えていた。何故なら挫折を味わったことがなかったためである。
傷つけられたこともなければ転んだ試しもない。常に頂点にいて常に持て囃される一生。
だから何をしても許された。
何をしようと誰も文句を言えないし、誰も逆らわない。
注目を集めるのが好きだった。
崇め奉られることが気持ち良かった。
誰よりも上であることが心地良かった。
媚び諂われることは何よりも嬉しかった。
自分よりも凄いと言われることが嫌だった。
自分よりも尊い存在は消えて欲しかった。
自分よりも強い存在は居て欲しくなかった。
自分に逆らうものなど生まれてこないことを望んでいた。
傲岸不遜、自己中心的で自己愛が強くおまけに嫉妬心剥き出しの老害。
そんなヴァイザーの治世に我慢出来なかったのは魔導世界『ルーンヴェルト』での対抗馬、黒影のアーベント。
打倒ヴァイザーを掲げ、グングン力を取り入れる対抗馬に対し、ヴァイザーは目の上のタンコブのように苛立っていた。
力をつけたアーベントとの直接対決。ついにヴァイザーにも挫折の時が来るかと思われたその時、デザイアが急に姿を現した。
「──私に跪くか死ぬか。どちらか選べ」
アーベントも2mを超えるでかい男だった。筋骨隆々で魔力量もヴァイザーに比肩し、ヴァイザーと違って努力して這い上がってきた叩き上げで、おまけにカリスマ性もあった。支配者としての器はアーベントの方が確実に上回っていた。
だからこそ両者が顔を見合わせ対立している中、突然現れたにもかかわらずデザイアがヴァイザーよりもアーベントを注視し、優先して誘ったのだろう。
正直意味が分からなかった。
3mはある漆黒の鎧の塊がマントをつけて突然現れ「さぁ跪け」など誰が理解出来るのか。
そもそもヴァイザーの治世に嫌気が差していたアーベントが受け入れるはずもない。
「貴様に跪くくらいなら死んだ方がマシだっ!!」
「そうか。なら死ね」
──バッ……チュンッ
デザイアが手をかざしたその時、アーベントは自分の腹の底に吸い込まれるように死んだ。
局地的なブラックホールでも出来たように一瞬で小さな点のように丸くなり、ビー玉サイズの肉の塊は空中で四散したのだ。
「……え?」
それがヴァイザーの感想だった。魔導世界『ルーンヴェルト』で双璧を成す黒影のアーベントは自分の力を使う間もなく消滅したのだ。
ヴァイザーならば出来ただろうか。いや、出来るはずもない。
直接対決の直前まで倒し方を模索していたくらいだった。
「お前はどうだ? 私に跪くか?」
デザイアはヴァイザーに視線を向けた。その時にはすでにヴァイザーは片足を突いてデザイアに首を垂れていた。自分の意思とは関係なく無意識の内にそれを行っていたようだ。
「ふむ。良き力を有している。期待出来そうだな。……名は何という?」
「ヴァイザー……ヴァイザー=イヴィルファイド……です」
「そうかヴァイザー。私について来い」
踵を返すデザイアの背中の何と大きなことか。ヴァイザーの初めての挫折はデザイアとの出会いだった。
*
「……儂は最強じゃ。儂こそがデザイアを下し、本物の神となるのじゃっ!!」
ヴァイザーは槍を掲げ、唸り上げるように叫ぶ。
「神槍『真理』よっ!! 我が力を解放し、勝利を我が手にっ!!」
──ビキュウゥゥッ
ヴァイザーの持つ槍が光り輝く。その光は体を包み込み、ヴァイザーを変貌させようとしていた。
「やはりまだ隠していたか。──ファイアボール」
グルガンは手をかざし、火の玉を放つ。光に向かって飛んだ火の玉はかなり手前で焼失し、その代わりにグルガンに収束した光が放たれる。反撃を予期していたグルガンはサッと躱し、光の行末を追う。貫かれた雲が光を中心に大きく円を描くように晴れるのを見て頷いた。
(ヴァイザーの白と黒のガントレットでこの場の魔素は薄らいでいるはずなのにこの威力とは……)
グルガンはヴァイザーを見る。未だ光を放ち続けている。
「どんな些細な攻撃であろうと反撃は大きい、か。変身を邪魔することは出来なさそうだな……」
少々残念そうに呟く。
敵は更なる力でこちらを圧倒しようとしているのに、それを邪魔することが出来ないとは残念の極み。
完全究極体となった時、一体どうなるのかはグルガンにも推し量れない。
(天秤座。聞こえるか?)
『聞こえてますじゃ。こちらは獣を破壊し、勝負がつきましたわい。合流しときますかのぅ?』
(待機だ。我が地上にヴァイザーを誘導する。皆に準備をしておくように伝えてくれ)
『かしこまった』
リブラに指令を出した後、ヴァイザーの光が消えるまでグルガンも待機する。
──ズビュルッズビュルッ
光に包まれたヴァイザーだったが、その姿は見る間に変わっていく。
まず体の大きさが膨れ上がり、グルガンが見下ろすだけの身長しかなかったヴァイザーが見上げるほど巨大になっていく。その大きさは単純に元の大きさの約5倍。
その上、ウネウネと動くミミズのようなものが体から生え、虫のような多脚まで生えてきた。
光の中で変貌していく姿はその形の時点で化物と呼ぶにふさわしい。
──ズアァッ
ヴァイザーが槍を振ると光が晴れ、正体が顕となる。
胴から上が人間のようであり、下半身は蜘蛛の姿をしている。
見た目はアラクネと呼ばれるモンスターに近い。
腰が曲がり髭の生やした老人が元のヴァイザーだが、背筋が伸び、艶のある若者となっていた。
その全身を何故か鱗が覆っている。魚でも爬虫類でもないのにビッシリと生え揃った鱗はちょっとやそっとでは傷つくことなどない。魔法ばかりで近接格闘が苦手な印象だったヴァイザーだが、この姿からはむしろ近接格闘こそが本領とも言うべき筋肉量と脅威を感じられた。
一歩角が鋭利に尖り、背中から触手が生え、体液が溢れ出ているのか体表にヌメヌメとした粘液が全身を覆っている。
この世の終わりに地獄の底から這い上がってくる黙示録の怪物を想起させた。
異形。それに尽きる。
「何と……醜き姿なんだ……」
グルガンも慄く気色の悪さ。特にイソギンチャクかと思わせる背中に生えた触手の群生は生理的嫌悪を誘発させる。
「儂の姿に恐れ慄いたかっ? これは儂の力を余すことなく使用する最強の姿『神罰形態』。この姿を見て生きて帰ったものはいない」
「それが本来の姿ということか。その姿をガブリエル教皇に見せてやりたいところだ。もっとも、もう教皇ではないが……」
「何ぃ? キサマあやつに何をしたっ?!」
「いや、正確には我ではないが、教皇の座を下りてもらった。聖王国エデン教徒の相違であると認識している。このような外道の化け物を神と崇めるトップなど願い下げだろう?」
「……なるほど。影でコソコソと動く虫が儂の大事な宝石を齧っておったとは……。だが良いことを聞いた。キサマらを屠り、聖王国に戻った暁にはガブリエルを教皇の座へと戻し、今度こそヴァイザー教を浸透させよう。そして儂がこの世界の神として君臨する。その世界にキサマら虫どもは必要ない」
「……いや、その時は来ない」
グルガンは魔剣を構える。
「貴公はここで滅ぶ」
ヴァイザーも槍をかざした。
「ふんっ。キサマさっきこの戦いもそろそろ終わりにしたいと言っておったな? 望み通り終わらせてやろう。キサマらの敗北でなっ!!」




