271、一線
「……脱皮?」
グルガンはヴァイザーと戦いながら呟く。
それはヴァイザーに向けて放った言葉ではなく、天秤座に向けて返した言葉だった。
『そう。脱皮ですじゃ。傷も全く見受けられない。先の攻撃が完治しとるように見えまする』
(……恐らくそれは傷を癒す効果ではない。若干小さくなったのも表皮を脱ぎ捨てることでダメージを無かったことにしようとしている。我の推測では体力を削ることで身体機能を戻すことが出来る一時しのぎではないかと見ているが……貴公はどう見る?)
『なかなか良い推測ですな。脱皮が完全回復であるなら攻撃から解放された直後に使用してもおかしくはない。もっといえば外殻を取り除いたことで防御を捨てる代わりに速度を重視した可能性も?』
(うむ。どんなことになろうとも警戒に越したことはない。守護者は全員剣聖や七元徳を援護しろ。配置はリブラ、貴公に託す)
『心得た』
──ビュゥンッ
リブラとの会話が終わった直後、ヴァイザーからレーザーのような光線が放たれる。油断していたグルガンは顔を回転させることでギリギリ回避に成功する。ただ左頬にこすれたような火傷痕が出来ていた。
「ふはははっ! 考え事をしとる場合か? 段々と動きに陰りが見えて来とるようじゃのぅ。決着もすぐと見たわい」
「……なるほど。この一撃で貴公の中に育った我の無敵神話にケチが付いたか? しかし悲しいかな。貴公は未だ我の描いた絵図の上。むしろこの一撃が貴公の未来を決定付けたといっても過言ではないな」
「減らず口をっ!……いや、ならばその絵図とやらを打ち砕いてくれよう」
ヴァイザーは白いガントレットを自身にかざす。
「──知恵、理解、勝利、栄光」
呪文を発するたびにヴァイザーの体がほんのり光を灯す。
背中に背負った日輪のような光『万能環』がより一層の輝きを放ち、ヴァイザーの近くで漂っている『森羅宝珠』もヴァイザーを中心にぐるぐると回り始めた。目には虹の光が色濃く放たれ『目視録』も主張している。高揚感に満ちた顔は絶対的な自信を感じさせた。
(強化か……厄介だな……)
グルガンは顔に出さないように冷静に思考する。わずかな機微に気付いたヴァイザーはニヤニヤと笑う。
「内心焦っておるな? 分かるぞっ。おぬしの考えていることが手に取るようじゃっ! 恐怖を表情に出さぬように必死でこらえるているようじゃなっ!」
「分かるのかヴァイザー? そうとも。我は表情に出さないように必死にこらえている。笑わないようにな」
「キサマっ!!」
宝珠が放たれ、且つヴァイザー自身も強化した魔法を次々と放つ。炎、風、水、雷撃。不可視の攻撃からどんな効果があるかよく分からないものまで使用してくる。
魔力を惜しみなく使用してくる割に全く疲れた様子のないヴァイザー。傍目からは無尽蔵の魔力を持っているのではないかと思わせ、グルガンの敗北を予見させる。
グルガン自身も直撃すれば終わりという状況に曝されながら必死に避け続ける。
疲れぬ敵に対して煽り続けるグルガン。
攻撃が当たらない敵にがむしゃらに撃ち続けるヴァイザー。
終わりが見えないかと思われたこの戦い。だがついに均衡が崩れる。
(……そろそろか?)
グルガンは一瞬下に注意を向ける。それが大きな隙となった。
──バシュンッ
森羅宝珠から放たれた魔法がグルガンの胴体部分に直撃する。「ぐあっ!」と大声を出して痛がるグルガンを見てヴァイザーはここぞとばかりに集中砲火を浴びせた。
──ドバババババババババッ
ヴァイザーは容赦なく執拗にすり潰すように延々と魔法を放つ。
「死ねぇっ!! 死ね死ね死ね死ねぇっ!!!!」
今までの鬱憤をすべて吐き出す勢いで攻撃を繰り出す。
これだけ撃てばぐっちゃぐちゃだ。グルガンが肉体の半分以上を欠損している様を幻視する。
相変わらず視界不良になるほど魔法を放ち、どうなったかが分からないがヴァイザーは既に勝ち誇っていた。
「や、やったわい。ようやく死んだかっ」
ヴァイザーは興奮して息切れを起こしているが、これは魔力を吐き出し過ぎたからではない。『悪魔の右手と神の左手』というガントレットの能力がヴァイザーの魔力の枯渇を防いでいる。
破格の力を持つヴァイザーの前にはグルガンなど小蝿に等しい。
──はずだった。
煙が上がり、視界不良だった前方が晴れると、そこには少しボロボロのグルガンが居た。
汚れを手で払うかのように服を整え、鬣を掻き上げる。
手足の欠損もなく健在。
ヴァイザーの目は見開かれ、あり得ない状況に口がパクパクと言葉を発することなく動いていた。
「バ……バカな……直撃したのだぞっ?!」
「うむ。確かに2発は甘んじて受けた。どの程度の威力かを検証するために……いや、しかし食らうものではないな。かなり痛かったぞ?」
「ほざくなっ!! またしても魔障壁かっ!! 無敵モードも大概にしろっ!!」
ヴァイザーは怒りに震え、魔法を放つ。今度は見逃さないと目視録で凝視していたが、そのせいでさらに訳が分からない状況が生まれる。
──バチィッ
本来であれば魔障壁程度は貫通してしまうヴァイザーの魔法。それを難なく弾いてしまったのは時間制限の無敵状態ではない。
グルガンは煩わしそうにヴァイザーの魔法を手で払い退けてしまった。手に込めた微細な魔力で魔法を相殺したのだ。
思っていたことと違う状況に頭が混乱する。
「……ど、どういうことじゃ? 何故このようなことが……っ!?」
「分からないかヴァイザー。その答えはすぐ目の前にある」
グルガンが指を差したその先を目で追うと白と黒のガントレットに行き当たった。
ヴァイザー自慢の『悪魔の右手と神の左手』。20種の多種多様な能力を使用可能な便利魔法。さらに空気中の魔素を取り込み、ヴァイザーの魔力の枯渇を防いでいる。
「いや……いやいや、そんなはずはない。無限の魔力は空気中から掠め取っているに違いないのじゃっ! 魔素を取り込むことこそが正解なのじゃっ! 儂が……儂が間違えるはずが無かろうっ!!」
「その自信がどこから来ているものなのか分からないが、実際に魔法の出力は下がっている。そのガントレットを使用すればするほどに空気中の魔素は枯渇し、この場所における我と貴公の魔法はどんどん弱くなっていたのだ」
「そんなバカな話が……っ!?」
だがそれ以外に考えられない。百歩譲って知力の面で劣っていたとしても、グルガン如きが自分の魔法を食らって原形を留めていられるとは到底思えなかった。
「これでようやく我にも反撃の機会が訪れたというわけだ」
──ビキビキッ
全身に力を込めて筋肉を膨張させる。一回り大きくなったように見えたグルガンに一瞬ビクッと体が跳ねたが、何のことはない、ヴァイザーは力でもグルガンに勝っているのだから臆することなど無いのだ。
「偉そうにしおってっ!! キサマ如きが儂に敵うはずないわっ!!」
グルガンを迎え討とうと腰を落とし、槍の石突きを高く挙げ、穂先をやや下に下げた大上段の構えを取る。
堂に入った構えだが、グルガンは何となく違和感を覚える。先ほどまで槍を手の延長のように使っているような気がしていたが、こうして構えられると陳腐に見えてしまう。
この違和感の出所は何といっても空中で腰を落としたスタイルだろう。浮いているくせに足場があるように構えているのは、やはりどう考えても変だ。空中で槍を構えた時、もっと適した形があるように感じる。
「……貴公は基本的に槍を戦闘では使わないのだろうな」
「何を言うかっ!? 儂が槍で何度キサマを突いたと思うておるっ!……そうか、儂の槍術に敵わぬと見てまたぶつぶつと時間稼ぎを……」
──シャッ
グルガンはヴァイザーが喋り終わらない内に間合いを詰める。ヴァイザーも負けじと槍を突くが、慌てて槍を突き出したためかよろめいた勢いで体が開いてしまった。グルガンは速度を緩めることなく槍を紙一重で避けるとさらに深く入り込んで拳を振り上げた。
「バカめっ!!」
いつの間に集まってきていたのか、森羅宝珠がヴァイザーの顔面を死守するように拳の前に出た。光を放ち、そのままレーザーでも撃とうかという勢いだ。
──ガチュッ
だからなんだというのか。
グルガンの拳はそのまま宝珠ごとヴァイザーの顔面を殴り抜いた。
宝珠はその威力に砕け散り、破片とグルガンの拳が同時にヴァイザーの顔面を凹ませる。
「ぶぶっ……ぷふぅっ!!」
鼻がへし折れ、血が吹き出す。
2回転ほど宙空でクルクル回った後、顔を抑えるようにしてグルガンを睨みつけた。
「流石に魔神か。アナンシ=ドライシュリッテとはやはり違うようだな」
アナンシとはこの世界に先陣を切るように送られた3魔将がひとり。
グルガンの加減知らずの拳が入って頭を吹き飛ばしたことがあったが、魔神であるヴァイザーには当てはまらない。
ヴァイザーは顔に治癒魔法を掛けながら唸るように呟く。
「殺しゅぅ……殺してやるぅ……」
「そうか。掛かって来いヴァイザー。貴公との戦いもそろそろ終わりにしたいと思っていたところだ」
グルガンは肩を回して力を込める。
ヴァイザーの憎悪は激しく燃え上がった。
デザイアへの恐怖を一時的に忘れるほどの屈辱と怒り。
最後の一線を軽々と超えるグルガンを前にヴァイザーのタガが外れようとしていた。




