262、迷宮の最奥
「私の名前はモラクス。この迷宮の主をさせていただいております。以後お見知りおきを」
モラクスと名乗った牛頭は、先のミノタウロスなど及ばないほどに礼儀正しく知性にあふれていた。
絹の布を幾重にも重ね、皮ベルトで固定した古風な出で立ち。纏う布の間から見える筋肉は引き締められた鋼の輝きを見せており、肉弾戦も出来る文武両道の存在であることがうかがい知れる。
「あ、これはご丁寧に。俺はレッド=カーマインと申します」
自己紹介をされたので反射的に応答する。特に何も考えてはいなかったが、チームを代表して答える形になってしまった。
「レッド=カーマインさんでございますね。お連れの方々共々、誰一人として欠けることなく踏破されるとは感服の至り」
モラクスはレッドたちを頭を下げつつ褒めたたえる。
レッドたちの合流と共に出現した黄金の扉。
中には迷宮の主が鎮座する最下層があり、他の階層と違って掃除が行き届いているのか、まったく埃っぽくない上に凄く広い。
中は壁一面が本棚のように窪みがあり、その全てにミッチリと本が並ぶ。
中央に囲いがしてあり、その囲いの天井付近に魔法陣や幾何学模様のエネルギー体が球を為してクルクルと回り、絶えず光り輝いている。きっとこのダンジョンの維持に必要なものなのだろうと推測出来る。
他にも豪華な彫像や専門の場所に持ち込めば凄い値が付きそうな魔道具の類など、上げ出したらキリが無いほどに多くの調度品であふれかえっている。
これが巨万の富なのだろうかと邪推してしまうことからも、ここが最下層で間違いないだろう。
しかしこの状況とモラクスの対応に全く納得がいかないティオは訝しみながら尋ねた。
「待ってください。私たちはまだそんなに階層を下りてはいません。50階層以降はランダムでどこに飛ばされるか分からないとはいえ、いきなり最下層に辿り着くなんてそんな都合の良い話があるはずが……」
「え? ランダム?」
レッドは首を傾げたが、モラクスはニコリと笑って手を広げた。
「このギミックを解かれましたか。流石でございますねぇ」
「いや、そんな……誰でも分かることですから……」
ティオの言葉にレッドは黙る。
「しかし、そうであれば何もおかしいことなどございません。階層をランダムに変更しているのですから、遅かれ早かれいずれ最下層に着くのは当然のこと。ダンジョンマスターである私が意地悪をしない限りはどんな方であろうとも皆一様に辿り着けます。……理論上は」
「まぁ、それはそうなんですけど……」
「ふふっ。納得されていませんねぇ。なかなか鋭い御方だ。真相をお話しすると、ミノタウロスたちを外に出さないための措置でございます」
「ミノタウロス……あの、斧を振り回していた……?」
モラクスはコクリと頷き、半身になって誘導したい方向に手を差し出した。
「こちらへ」
モラクスの後について行くと、大広間の端っこにに巨大な何かが鎮座していることに気付く。見上げるほど大きな何か。それを囲うガラスような透明な何かで閉じ込められているように見える。ここだけやたら影が落ちていて視認することは難しい。
モラクスが宙に手を振り、何かを操作する動きを見せるとパッと明かりが点いた。そこに居たのは10mをゆうに超える巨大なミノタウロス。しかしレッドたちが戦ってきたミノタウロスとは体の大きさはもとより、筋肉もツノも毛並みも質が良い。
「私の息子です」
「む、息子っ!?」
巨大すぎる牛頭の怪物に驚き戸惑う。
どんな番が居たらこんな大きさになるのか気になるところだが、話を聞いてみるとどうも違うことが分かってくる。
「我が師ソロモンの命を受け、この世界の平和と安寧をもたらすことを目的として生み出した存在。それこそがこの荒魔王オディウムでございます」
「こ、荒魔王オディウム……?」
「あなた方の追い求める『比類なき力』に該当いたします」
「えぇっ!? ま、まさかっ!? これがそうだというのっ?!」
シルニカが大げさに驚くのも無理はない。巨大すぎるのもそうだが、そもそも平和と安寧を求めてからの巨大ミノタウロスはコンセプトが違うように思えてくる。
モラクスは続けて話した。
「神話と呼ばれるほどの大昔、この世界で大きな戦いが起こりました。人と魔の世界大戦。終始魔族が優勢であり、人族は滅亡の一途を辿っておりました。そんな折、この世界を憂いて降臨したのが我が師ソロモンでございます。ソロモン様のお力添えにより、人族に勝利をもたらしましたが、今後また巨悪が生まれぬとも限りません。故に私を召喚し、次なる戦いに備えるよう役割を与えてくださいました」
モラクスはオディウムを見ながら一拍を置いて続ける。
「しかし平和になれば今度は人族同士で争うのが世の常。ソロモン様を出汁に無制限に要求する人々の欲に辟易し、与えられた役割とは異なることに疑問を覚えた私はこのダンジョン『ラビリントス』を創造し、最奥に閉じこもりました。『このダンジョンを攻略せし者に『巨万の富と比類なき力』を与えよう』という文言を残して……。ですがこのダンジョンを真面目に攻略しようとしたのはほんの一握りの方々。道中に転がった小粒程度の宝に目を奪われ、気力を失くした冒険者たちは徐々にダンジョンから遠のきました。当時は酷く落胆しましたが、単純に難しすぎたのではないかと今では反省しております」
「まぁ99階層もあれば誰も攻略したくなくなるでしょ」
「99? その様な半端な数字を誰が言い出したのでございましょうか?」
モラクスの疑問に4人とも不思議がってお互いの顔を見やった。シルニカはやっぱり盛りすぎてたのではないかと耳打ちしている。レッドが恐る恐る尋ねる。
「……違うんですか? だって俺たちは最初に門番に……」
「ええ、間違っております。正しくは100階層ですので」
「増えてるっ!!」
シルニカはたまらず大声で叫んだ。
「クリアさせる気が無いじゃないっ!! こんなの嫌がらせにもほどがあるわっ!!」
「落ち着いてください。私もやり過ぎだと思っております。実はこれには訳がありまして、それこそが先のミノタウロスと繋がるのでございます」
「はぁ?!……聞こうじゃないのっ!」
「よろしいですか? 私はダンジョン作成後、オディウムを生み出しました。純粋な戦闘能力と特異能力であるスキル『無限の軍勢』により、構想通りの『比類なき力』として良く仕上がったと思います。しかしオディウムは創造主である私にすら反抗的で言うことを聞かず、挙げ句地上に出て人族を滅ぼそうとまでしました。私はソロモン様から頂いた神具でオディウムを拘束し、この部屋の端に縛り付けることにしたのです。ですが面倒なことにスキル『無限の軍勢』の効果までは拘束の対象外。オディウムは私への嫌がらせのためにミノタウロスを召喚し続けました。そこで私はダンジョンの階層を増やし、ミノタウロスを地上に出さないために階層をランダム変更にして閉じ込めたのです」
長々と語るモラクスの言葉をかみ砕きながら理解出来る範疇を脳に押し込めていく。
「……あんた今『無限の軍勢』って言ったわよね? 無限だとあっという間にダンジョン内がパンパンになるんじゃないの?」
「ある程度増えたら間引けるように魔法を組んでありますのでご安心を」
「全然安心出来ないわよっ! 人間には過ぎた力でしょこんなのっ! あの数の暴力を見たら誰だってそう思うわっ!」
「いえ、非戦闘員が戦いに巻き込まれることのないようにするには何よりも物量が大事でしょう。それを思えばこそ、やはり比類なき力には尽きぬ兵力を持たせるべきと……」
「何が比類なき力よっ! こんなもの願い下げだわっ!!」
51階層以降の各フロアでのことを思い出せば、シルニカのようにキレても文句は言えまい。
「敵にまわれば恐ろしいを地で行ってしまったようでございますね。確かにこんな暴れん坊が攻略報酬であるなど以っての外。ここにいらしたのが常人であるならば私もこの力の存在を隠し通していたでしょう。しかしあなた方は……特にレッド=カーマインさんの実力は計り知れない。私の魔法で間引くよりも早くミノタウロスを倒してしまうという離れ業を見せられては、これ以上の受取手はないでしょう」
「はぁっ?! あんた話を聞いてたわけっ!!」
「どうかお静かにお願い申し上げます。……レッド=カーマインさん。私はあなたにこそ息子を託したいのです」
「絶対ダメよレッド!」
シルニカを遮り、レッドに懇願するモラクス。シルニカはプンプン怒りながらレッドに受け取りを拒否するように促す。レッドは目をぱちくりさせながらシルニカに問う。
「……あの大軍が怖いという話ですよね? ミノタウロス自体が怖いというわけではなく」
「そうよっ! あれが国になだれ込むのを想像してみなさいよっ!」
「……ですね。モラクスさん」
モラクスは諦めたようにレッドに視線を移す。
「このオディウムと話してみたいんですがよろしいですか?」
「え、ええ。もちろんでございます。ただ……」
「ただ?」
「荒っぽいので口汚く罵ってくるやもしれません。そこだけご注意いただけたら……」
「あ、はい。分かりました」
モラクスは宙に何かを描くように手を動かし、オディウムの周りを囲んでいた透明の結界を解いた。するとそれと同時にオディウムの目がギョロっとモラクスたちを睨みつける。
「グハハッ! ようやく開けおったかモラクス! この俺様の声を遮断するとは生意気な奴めっ! ん? そこにいるのは人間か? 俺様を出汁に観光業でも始めるつもりかっ?」
「オディウムよ。落ち着いて聞け。今日からお前はこの方、レッド=カーマインさんの元で生きるのです」
「血迷ったかモラクスっ!! この俺様を人間如きに譲渡するつもりかぁっ!!」
──ゴゴゴゴッ
オディウムの怒りで空気が揺れ、今にも拳が飛んできそうでシルニカは気が気でない。
「ちょ、ちょっと! まだ受け取るだなんて一言も……!」
「まぁまぁ……良いですかオディウム。人間ごときなどと言いますが、最初からそのつもりで生み出したのです。今まで良き貰い手に巡り会えなかっただけですよ。ですが今日、ようやくお目見えしたのです。挨拶なさい」
モラクスの言葉にオディウムの目が血走り、レッドに向く。
「あ、こんにちは。レッド=カーマインって言います。どうぞよろしく」
レッドは臆することなく挨拶した。




