248、生殺与奪
聖王国の最南端。
ここは神選五党と呼ばれる犯罪組織が塒にしている危険地帯で、魔獣と憲兵隊対策に罠を張り巡らせ、関係者以外の立ち入りを拒んでいる。
しかし犯罪集団と言えどあくまでチンピラが集まっただけの反社会勢力にすぎず、魔障壁の類を用意出来なかったために空からの侵入はいくらでも可能。罠は手作りであり、藁屋根の高床式木造住宅は時代を感じさせる。
ヴァイザーからの命令でやって来たベルギルツの部隊は易々と神選五党を制圧することに成功したのだが──。
「この大バカ者がぁっ!!」
ヴァイザーはベルギルツを怒鳴りつけた。ベルギルツは目を白黒させながら両手を上げた。
「な、なな、何をいきなり? ヴァイザー様がお怒りになられていることが全く理解出来ないのですがっ?!」
「なんじゃとっ!? それならばもう一度言ってやろうっ! 儂はおぬしにこの屑どもを殺せと命令したのじゃっ!! だのになんじゃこれはっ?!」
槍を突き出して男の眼前で止める。「ひぃっ!?」という情けない声で鳴いた男は神選五党で最も力があると言って良い人物ジェイコブ=ウィスル。
元々は平和を謳うマレス教を暴力で横取りし、自らを教祖として崇めさせる猿山の大将。
犯罪組織の元締めである最凶最悪の男『ゲムロン=ウィスル』の実弟であるため、困った時は兄の威光を遺憾なく発揮する卑怯な男。ただ相手が相手だけにいつもの虚勢が出てこない。
それは横並びに座らせられたそれぞれの教祖も同じこと。
メーティル教の教祖トリーシャ=イヴォン。ケルウノス教の教祖ライリー=ローマン。ヒッポプス教の教祖マイクル=ボビート。グノーシス正教の教主スモーキー=モラル。そして女神教の教祖ダスティン=ガム=フルクロード。
どいつもこいつもここから鳴り上がってやろうと画策していたチンピラの親玉たち。特に後がない女神教にとっては最後の機会であり、ダスティンにとっては一発逆転を狙った人生最後の賭けでもあった。
それを魔族によって台無しにされそうになっている由々しき事態。だが、アジトに居る全員で掛かっても瞬殺確定の敵に対して逆らうことなど出来ようはずもなく、ただ自分の身に降り掛かってきませんようにと嵐が過ぎ去るのを乞い願うしかなかった。
これまでは──。
「そんな……っ!? 私たちが何をしたっていうのよぉっ!! 急にやって来て殺すだなんてあんまりだわぁぁっ!!」
トリーシャはヒステリックに泣き叫ぶ。自分の命が助かるのなら誰かを殺すのも、金銀財宝を差し出すのも、魔族に股を開くのも躊躇なくやって見せるが、最初から選択肢が無いとなると話は別である。こうなるともう感情に訴えるほか道はない。
だが顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶのは逆効果である。
「黙れ」
ヴァイザーはマスカラが溶けて黒い涙を流すトリーシャに手をかざす。次の瞬間、トリーシャは喉を詰まらせたように何も言えなくなり、餌を求める鯉のように口をパクパクさせながら倒れた。
驚いたライリーはトリーシャを呼びながら体を揺する。全く息が出来ないのか顔中に血管を浮かせながら喉を掻き毟る。
「い、一体何を……っ?!」
スモーキーの問いに面倒臭そうな顔を見せるヴァイザー。舌打ちをしながら「おぬしも体験するか?」と一言言えば誰しも黙る。トリーシャの暴れる音だけが焦燥感を掻き立てる。
「おお、落ち着いてくださいヴァイザー様! この者たちは使えます! 裏社会にコネを持っているのはアドバンテージでしょう?! 連中の頭領を我々に挿げ替えれば、ゆくゆくは全てが手に入ると……」
「どこまでも間抜けな奴じゃ。このような蛆虫どもを操ったところで意味はない。儂が一言『寄越せ』と言えば全てが転がり込んでくるわい。おぬしのことじゃ、大方人間の私兵を手に入れようと企んだんじゃろうてまったく……いや、待てよ」
ヴァイザーは今にも窒息死する寸前のトリーシャに手をかざしてサッと手を引いた。するとトリーシャの喉に一気に新鮮な空気が流れ込む。いきなり呼吸が出来たことで盛大にむせる。涙と涎と喉を掻き毟って出た血を流しながら四つん這いでひたすら息を吸い続ける。
「そういえば一つ試したいことがあったわい。儂がこやつらをもらう」
「えぇ……ず、ずるい……」
「何か言ったか?」
「い、いえいえ、何も言ってません。やはり私の見立て通り使える連中でしたね。お役に立てて安心致しました」
「勘違いするでない。本来こやつらを生かしておく必要などないわ。むしろバラバラに粉砕して儂の国民を安心させてやる方が理に叶っておる。じゃが面白い使い道を思いついた。おぬしの失態の尻拭いに有効に使ってやるわい」
ニタニタと笑うヴァイザー。その薄ら笑いに身震いする教祖たち。
「せ、精一杯努めさせて頂きますのでどうか命だけは……っ!!」
ここぞとばかりにスモーキーがヴァイザーの膝下に滑り込む。いつもクールに立ち回っているように見えた男が目も当てられない姿になっている。無様を晒してでも自分だけ抜け駆けしようというのか。
この行動につられて神選五党全員が同じように頭を床に擦り付ける。ヴァイザーはそれに暗い喜びを見出しているが、一人だけ頭を下げない様子にギラリと目を光らせた。
「おぬしは? どうじゃ?」
問われたダスティンは一瞬睨みつけるようにヴァイザーを見た後、みんなと同じように頭を下げた。
「……そうか。ならばおぬしも使ってやろう。儂にかかればおぬしらは完全に生まれ変われる。喜びに咽び泣き、神に出会えたことに感謝するが良い」
ヴァイザーの気まぐれによってこの場での命は繋いだが、果たしてこれが本当に正解だったのか分からない。もしかすればここで死んでおいた方がよかったのではないかとすら思える。
その日の夜、ヴァイザーの使用する魔法によって小綺麗で割と大きめなプレハブのような建物が建つ。教祖たちを含めた神選五党はそのプレハブへと押し込まれた。
*
来たる日に備え、爪を研ぐ七元徳の一人『勤勉』のクレイ=グラディウスはグルガンに急ぎ通信機で連絡を取る。
『何? それは本当か?』
グルガンの目は大きく見開かれ、クレイからもたらされた情報に思考を巡らす。
「間違いない。あの世界を揺るがすほどの力を感じた後からか、ヴァイザーの気配が一切感じられないんだ。猊下からも奴が城を離れたと聞いたし、確認のためにいろいろと探ってみたが、戻ってきた痕跡も帰ってくる兆候すら見えない。どこに行ったかまでは分からないけど……」
『くっ……このタイミングか……。一ヶ月の猶予があると高を括っていたが何事も予定通りには進まないものだ。奴の居所はこちらで探っておく……もし今すぐにも戦闘を始めるとなったら貴公ら七元徳は動けるのか?』
「そいつは無理な話だ。こちらにも予定がある。今ここで職務を放棄すれば後々面倒なことになるからな。特に枢機卿の何人かはヴァイザーに服従する意向を固めたようだ。猊下直轄部隊である俺らが居ないと判断されたら猊下暗殺にも乗り出しかねない。国家転覆だけは未然に防がないと……」
クレイの懸念はもっともだ。枢機卿は聖王国のナンバー2の位。教皇の手足にして頭脳でもある彼らは、同時に次代の教皇候補でもある。
教皇になるには教皇が崩御されるか、のっぴきならない事情で教皇が退位した時にのみ行われる『教皇選挙』で選ばれる必要がある。
原則として枢機卿から選ばれるため、イアン=ローディウスを含めた5名の中から投票で次代の教皇が決まるわけだが、聖王国で最も優秀、ガブリエルからの信頼も厚いローディウスが候補の中で暫定1位であり、他の追々を許さなかった。
最初から諦める者もいれば、反対に絶対に諦められないものも出てくる。ついには暗殺にまで手を染めることとなる。
ローディウスがまんまと策に嵌り、暗殺が成功したと浮かれている枢機卿たちだったが、ヴァイザーの台頭でそれも御破算。現在の状況を面白く思っているはずがない。
ガブリエル教皇の気の迷いでヴァイザーを優遇しているが、これを逆手に取って甘い蜜を吸おうと画策するのは想像に難くない。
『ならば仕方がない。少々早いがここでカードを切ろう』
「カード? いったい何の話だ?」
『出来れば取っておきたかった有効な手段ということだ』




