216、正と悪
レッドは椅子に座って悶々としていた。
なぜ自分がここにいるのか理解が及んでいないからだ。
街に着く少し前、シルニカたちが街を散策したいと言い出した。
グルガンの反応は概ね良好で、安全が確保されていることと時間をしっかり守れるなら許可するとのことだ。
こういった場合、当然彼女たちに護衛を付けようという話題が出てくる。
ライトに万が一の時は彼女たちを守ってほしいとお願いされていたレッドは「ようやく出番のようだ」と護衛を買って出た。
しかしいざ到着してみれば街は活気に溢れ、平和そのものといった感じだった。肩透かしを食らった一同はローディウスに自由に散策すればどうかと提案を受け、最終的に護衛無しでの散策を許される。
思えば彼女たちもプロの冒険者。護衛など付けなくても自分で問題を解決出来る凄腕揃い。元より自分の出番はなかったとレッドはすごすごと引き下がる。
(……そうだそうだ。俺はスロウを警護しなきゃダメだったな)
レッドは気を取り直してスロウに声をかけたが、先の誘拐の対策でスロウの部屋の中に常時の能力を発動させ、近寄らせない対策を講じると極戒双縄から突っぱねられた。
「私のことは心配しないで~。良かったらレッドも街を歩いてきたらどう? あ、一緒に寝る?」
「姫様っ!?」
「滅多なことは言わないでくださいよっ! レッドはとっとと出ていけっ!!」
レッドは急に手持ち無沙汰になって立ち尽くす。そんなレッドの肩にポンッと手が置かれた。その手の主はグルガン。
「大丈夫だレッド。貴君には護衛よりももっと重大な任務がある」
「え?」
こうしてレッドはグルガンとローディウスに挟まれつつ、エデン教諸教派の会合の席に共に座らされることになった。
会合の席などに自分の出る幕はない。委縮してこじんまりとしている様は借りて来た猫のようだった。
「それで? これはどういうわけですかな? ローディウス卿。こちらは大事な会合中です。急に来るなど失礼ではありませんか? あなたの管轄では約束を取らずに勝手に入るのは当然のことなのでしょうが、こちらでは絶対にないことなので少々困惑しましたよ。……こう言っては何ですが、あなた方の非礼を超える何かがあるとこちらは期待したいのですがねぇ?」
挨拶もそこそこにハワードは態度悪く切り出した。噂で聞いていた以上に尊大な印象にローディウスも苛立ちが湧き上がる。
「……貴公は目上に対する態度というものがなっていないようだなガストン卿。いつまでもお山の大将ではついて行く者たちも苦労する」
「なんだとっ?」
血気盛んなハワードは拳を握り締めて立ち上がった。その時、グルガンが横入りする。
「やめよ2人とも。我々は喧嘩をしに来たわけではない」
「なんだ? 誰だお前はっ?! ローディウスの護衛ごときが私に話しかけるんじゃないっ!」
ハワードがグルガンに指を差して牽制する。こんな風にグルガンを頭ごなしに否定出来るのは人間に変身しているせいである。聖王国に降りるにあたって元の姿はインパクトがありすぎるためだ。この姿なら人間の町で暮らすことはおろか、長年冒険者チームを率いれるくらい常人では本当の姿を看破することなど不可能。
「ハワード様。ちょっと……」
「ぬ?」
だからこそすぐ隣に立っていた護衛のフィアゼスがハワードの肩に手を置き、こそこそと何か言い含める動きをしたのはグルガンにとっては予想外の行動だった。
「ほぅ? 分かるのか。我のことが……?」
グルガンの質問に口を開いたのはアリーシャだった。
「──ええ。あなたが魔族であることと、その姿が獅子であるということ。私にはよく見えています」
「っ!?……そこまで看破されるとはな。同じ魔族相手でも騙せるほどの擬態だというのに……」
グルガンは変身を解き、本来の姿を眼前に晒す。フィアゼスは即座にハワードを下がらせ、カタール型の魔剣をいつの間にやら装備してグルガンを警戒する。
「暗殺に来たわけでもないぞ?」
「そんなこと分かりませんよ。何かあってからでは遅いので。それに……その姿には何故だか嫌悪感が湧く。私との相性は最悪のようですね」
フィアゼスは武器に力を込める。それに気づいたエイブラハムは慌てて止めに入った。
「やめろフィアゼス!! まだ何も分からぬ内からこんな……っ!!」
「少なくともエデン正教の重鎮が魔族を引き連れて我らの懐に飛び込んできたことだけは確かでしょう? ならば攻撃の意思ありと見て先手を打つのは理にかなっております。下がっていないと怪我をしますよ? アースノルド卿」
聞く耳を持たないフィアゼスに「やれやれ」と呆れるグルガン。レッドはいきなり戦闘になりそうな空気に内心焦りながらもそっと剣の柄に触る。
一触即発。今すぐにでも斬りかかりそうな雰囲気にアリーシャが声をかけた。
「──この方に敵意はございません。武器を仕舞い、お座りください」
フィアゼスはその言葉に即座に反応し、目にも止まらぬ速さで魔剣を仕舞う。
「そうでしたか。そういうことならばちゃんと伝えていただかないと困りますねローディウス卿。まったく、アリーシャが居なければどうなっていたことか……」
「危害を加えるつもりがないことは既に伝えていたが?」
「あれでは伝わりませんよ。アリーシャぐらいの説得力がなければ、ね?」
フィアゼスはアリーシャを意識するように何度となく視線を送りつつ、椅子を引いてハワードを座らせた。
戦いの空気から解放され、ようやく落ち着けるようになったレッドもホッとして剣から手を離す。
「……ところで彼は誰です?」
フィアゼスの警戒網に一切引っかからず、どうでも良い存在として認識されていたレッド。一癖も二癖もありそうな2人の誤解が解けたと同時に急に何の特徴もないレッドが気になった。
どうしてこの部屋に居るのか。何故この2人の間に挟まれているのか。
フィアゼスの言葉にアリーシャも首を傾げた。
「……え? あ、俺? 俺はレッドです。レッド=カーマイン」
「名前なんて聞いてないですよ。あなたも魔族なのですか?」
「いや、俺は人族です。一応剣士やってます」
「はぁ? はぁ……お話になりませんね……」
呆れ返ったフィアゼスは肩を竦めてため息を吐く。レッドはフィアゼスが結局何を知りたかったのかよく分からず、焦ったり困惑しながらもそれ以上何も言わないように黙ることにした。
「──あの……申し訳ございません。レッド=カーマインという方は今どこにいらっしゃるのでしょうか?」
その言葉に全員の目がアリーシャに向かう。その目は赤い布で覆われており、視界が閉ざされている。一見すれば目の病気を患っているようにも見えるが、グルガンの姿を言い当てたり、目が見えるように振舞っているのも確認済み。
レッドも何らかの方法で感知しているのだろうと思っていたので、凄い2人に挟まれているから目立ってなかったのではないかと推察した。
「あー……ここです。ここに居ます」
少しでも目立つように手を振ってみる。しかしアリーシャには見えていないのか、顔を傾けて耳でレッドの位置を探ろうとしている。
アピールが足りないと感じたレッドはグルガンとローディウスに申し訳なさそうに会釈しながら立ち上がり、机を回り込んでアリーシャに少し近付く。これにはフィアゼスも我慢ならずに立ち上がった。
「待った。そこまでにしてくださいよレッド=カーマイン。そこから一歩でも踏み出せばどうなるか……」
「──静かに」
ピシャッと言い放ったアリーシャの言葉にフィアゼスの体がビクッと跳ねる。アリーシャもゆっくりと立ち上がり、レッドの方へと歩み寄る。
しかしやはり見えていないのかレッドの斜め前で立ち止まり、前に手を伸ばして泳がせる。それは暗闇で必要な物を探る動きに相違ない。耳でレッドが立った位置を知った気になっていたが、アリーシャの聴覚ではこれが限界。手を伸ばすもその手は届かず。
「そんなバカな……ア、アリーシャが見えないはずは……」
エイブラハムは自分の目の前で起こっている事態に困惑する。エイブラハムだけではない。アリーシャを知るハワードもフィアゼスも目を剥いて驚いている。
──パシッ
アリーシャの泳ぐ右手をレッドは掴んだ。その手の感触でビクッと体が跳ね、レッドの手から逃れる。
「あ……す、すいません。……声くらい掛ければ良かったですよね……」
その申し訳なさそうな悲しみに満ちた声を聞いたアリーシャは罪悪感を感じて引いた手を差し出した。今度はレッドも間違えない様に「ふ、触れますね?」と言いつつそっとアリーシャの手を取った。
「──はわぁ……」
声にならないため息が漏れる。長い間共に過ごしたエイブラハムも聞いたことがない声だ。アリーシャはレッドの手を握り返し何度もすりすりと撫で回し、しまいに両手で揉み始めた。
「──本当に……ここにいるのですね? あなたはレッド=カーマインなのですね?」
「は、はひっ。俺はレッドですっ」
「──私はアリーシャ。アリーシャ=クラウ=セントルーゼと申します」
「アリーシャ……さん?」
「──そうです。その通りですレッドさん」
柔らかくスベスベの手。こうして揉まれていると小さい頃に母親に手を両手で包まれた日のことを思い出す。尤も、母の手は農作業で苦労していてスベスベとはいかなかったが、それでも愛情を感じさせてくれた。
そして思い出以上に恥ずかしさが勝ち、顔を真っ赤にしながらもどうしたら良いか分からずにされるがままになっている。
「──あの……もう少し先を触れさせてただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、その……ど、どうぞ。俺なんかで良ければ……」
アリーシャの手は手の先から腕へと伸び、肩を経由して胸板に手を添えた。
──ギリッ……ミキッ
奥歯を噛みしめる様な音が部屋に木霊する。同時に刺す様な殺意がレッドに飛んだが、2人だけの空間の前に霧散する。
「──声でそうではないかと思っていたのですが、殿方で間違いなさそうですね」
「は、はい。おと……男です」
「──よく鍛えられています。殿方にこうして触れるのは初めてです。このままお顔を拝見しても……」
アリーシャの手がレッドの顔に触れかけた瞬間、フィアゼスがレッドの服を掴んで強制的にアリーシャからひっぺがした。「──あっ」と残念そうな声が漏れる。
「こんなことをしている場合ですかっ? 出来れば早く本題に移っていただきたいのですがねぇ?」
体から立ち昇る黒いオーラが彼の我慢の限界を物語る。その漆黒のオーラに既視感を覚えるも、本題に移ろうというフィアゼスの言葉はグルガンにとっては渡りに船だった。




