215、諸教派
「おぉ……すごっ……!」
レッドは目を輝かせながら呟いた。
その目に映るのは天を衝く白い塔の様な城。聖王国のシンボルである教会兼教皇の居城。
随分前から見えていたが、近くに寄ればその壮大さはよく分かる。
「確かに凄いな。ルオドスタ帝国でも思ったことだが、遠い彼の地でこれほどの建造物を見ることになろうとは……正直驚いているよ」
レッドたちの中で誰より歳を重ね、経験豊富なグルガンであっても絵物語や絵画でしか見たことがなかった巨大な城が目と鼻の先にあるのだ。モニターに映る白く美しい城を見れば見るほどに感嘆のため息が漏れる。
「首都は後回しだ。観光している暇はないからな」
しかしそんな感動など無視してローディウスは冷たく言い放つ。踵を返し艦橋を後にするローディウスの後ろ姿を眺めていたルイベリアはグルガンを見る。
「……焦っているように見えたけど大丈夫なのかい?」
「いや、かなり冷静だ。少なくとも教皇を庇っていた時に比べれば雲泥の差と言える。……調子を取り戻してきたのかもしれないな」
グルガンはおどけるように肩を竦めて見せた。ルイベリアはその言動に微笑み返すが、ずっと大人しくしていた魔法使いのシルニカが不満そうな顔で声を上げる。
「あの。私も街に降りたいんだけど……」
「ん?」
シルニカの声に便乗して「私も」「私も」と声が上がる。今し方ローディウスから『観光している暇はない』と言われたばかりなのだが、せっかく人の街に着いたというのに一歩も外に出られないのは辛いものがあるだろう。ガス抜きも必要かとグルガンは考える。
「……良いだろう。但し安全が確保された場所時間厳守でだぞ?」
元よりそういう話で付いてきているのだから至極当然のことだ。かなり制限こそあるが、シルニカたちはグルガンの了承が得られたことで手を叩いて喜ぶ。
その様子を傍から見ていた操舵手のオリーは確認のために質問する。
「それじゃソルブライトとかいう街に先に行くということで間違いないな?」
「あ、うん。頼むよオリー」
「分かった」
レッドに返答をもらったオリーは頷きながら承諾し、船の進路をソルブライトに固定する。
しかしすぐにグルガンが手をかざして制止する。
「待ってくれオリー。このまま街の上空に行けば反感を買う。少し離れて着陸してくれ。デザイア軍と同一視されるのは避けたい」
「?……考えすぎ……ということもないか。分かった。手前で着陸しよう」
グルガンの判断で戦艦ルイベーはゆっくりと街の外に着陸した。
*
聖王国に現れた浮島に関する会合はソルブライトでも開かれた。
「ふざけているのかっ!!」
バンバンと机を叩いて怒りを顕にする年配の男性。
ふさふさの口髭と切り揃えた顎髭が特徴的で、かなり後退した前髪と額に浮き出る青筋が男に掛かるストレスを物語る。
彼の名はハワード=ガストン卿。エデン教『諸教派』の代表の一人である。
「落ち着いてくれハワード。私はふざけてなどいない」
対するはハワードよりも若く、髭を綺麗に剃り、髪を整えた清潔感溢れる男性。
彼の名はエイブラハム=アースノルド卿。彼も諸教派の代表を担っている。
「これが落ち着いていられるかっ! お前たちの言っていることが仮に事実なら、既にエデン正教は魔の手に落ちたことになるではないかっ! こんなことになるならさっさと攻め入るべきだったっ! そうだろうエイブラハムっ!!」
「暴力で解決の道を探すなど魔族と同じだと何度言わせるつもりだ? 我々の歴史を辿れば、苦境に立たされた時こそ皆が力を合わせることが何より大事だと教えてくれる。支配ではなく共存、暴力ではなく友愛。まして人間同士で戦うなど本末転倒だろう?」
「何を今更っ! ではこの現状をどう見る?! お前のような理想主義に乗っかるとこのざまだっ! お前に戦って勝ち取って来た者たちの苦労など分かるまいっ!」
「話をすり替えるなっ。それに私は現実主義だ。同じ人間同士、お互いが譲り合えば拳を使わずとも歩み寄れると説いているだけのな。魔の者に首都を取られたと思われる芳しくない現状に譲歩しようなどとは一言も言っていない。それに……」
エイブラハムは隣に座る女性にチラリと目を移す。
彼女の名はアリーシャ=クラウ=セントルーゼ。エイブラハムを守護する『原初魔導騎士』という珍しい肩書を持ち、エデン教を信奉する聖女でもある。
よく手入れされたホワイトブロンドの長髪を臀部まで伸ばし、白いオーラで身を包んでいるような侵しがたい神聖性を持つ美しい女性だ。美しい顔立ちや完璧な体形。気品と華やかさを感じさせながらも一つだけぬぐえぬ異様さがあった。それは両目を赤い布で隠している点だろう。
一見すれば見えているのかも定かではないが、エイブラハムの視線に気付いたアリーシャは少し顔を向けてコクリと頷いた。
「……ガブリエル教皇に謁見をお願いし、直接状況の確認をするつもりだ」
「ふんっ……殺されに行くも同義ではないか」
「今は見立てであって完璧な情報ではない。魔の者が支配しているとして、どのくらいの浸食率なのかは把握する必要がある」
「そんなの書状で何とでもなる。脅されているならそれなりの書き味になるからな」
「書状では言いたいことがあっても検閲されるだろうし、正確には読み解けない。その場の雰囲気や空気感からしか得られない情報もある。浮島の主に何らかの脅しを受けているなら、問題解決に貢献して協力関係を結ぶことも出来るはずだ」
「元より我々は奴らと対立しているのだぞっ?! 協力関係を結べたとて、それは利用されているだけにすぎんっ! 後々背後から刺されるのがオチだっ!」
「ではどうするというのだハワード。いきなり仕掛けるつもりか? 七元徳はどうする?」
「だから私は書状を送れと言っているのだ! 切羽詰まった状況ならその都度対応を考えるとなっ! 奴らに命を預けるのは何としても避けるべきだっ!」
ハワードはどんな状況でも正教側と馴れ合うつもりはないし、対立の姿勢を貫くつもりだ。普段から怒鳴り散らしているのを知る者たちにとってはそろそろ血管が切れるのではないかと心配になる程。
思想がかなり偏っているためかハワードが率いるガストン派閥は強硬派とされ、平和裏の解決を求めるエイブラハム率いるアースノルド派閥は穏健派として知られている。
話が堂々巡りになり始めたその時、ハワードの側に立つ真っ黒な全身鎧の男が割って入る。
「……もう良いでしょうアースノルド卿。先ほどから聞いていれば、譲歩譲歩と鳴き声のように仰る割にさも自分の方が正しいとハワード様に押し付けているようですが、これはいかがなものかと思いますよ?」
エイブラハムは内心ため息が出る思いで鎧の男に目を向ける。
フルフェイスヘルムで隠された顔から表情を読み取ることは難しい。肩幅が広く、190cm前後の長身。刺さるのではないかと思われるほど鋭利な鎧のおかげで体に厚みがあるように感じられるが、外見から算出出来る鎧の構造を考えれば中身はどちらかというと細見。禍々しい見た目と醸し出す邪悪なオーラから男は闇の眷属だとアリーシャに言われたことがある。
『暗黒騎士』フィアゼス=デュパインオード。それが彼の名前だ。
アリーシャがエイブラハムを守る騎士ならば、彼はハワードを守る騎士である。
「ハワード様が仰るように敵陣のど真ん中にその身を晒し、首を垂れるなど自殺そのもの。書状で出方を伺うのは安全が保障され、且つ現状もある程度把握出来る優れた戦略。考えていただいたら自明の理ではありませんか?」
「それでは遅い。上の連中だけならともかく、首都に住まう民衆のためを思えばすぐにでも行動すべきだ」
「別に良いではありませんか。相手は正教の人間。教皇を神の代弁者と祀り上げる不届き者どもなど、いくら犠牲になろうと痛くも痒くもない。こちらは諸教派などと揶揄されていますが、各個人が神を信奉するのは当たり前の教義。自由意思を否定するような考えなどそろそろ終わりにしてはいかがでしょうか?」
「教義以前に人間性の問題だな。……いや、すまない。他意はないのだがね」
エイブラハムの言葉にフィアゼスはギロリと睨み付ける。先に無礼を働いたのは自分だということを忘れて。
「もう良いっ!」
ハワードはイライラしながら立ち上がる。
「座れハワード。まだ話は終わっていない」
「いいや終わりだっ! とにかく書状で決定としろ! 謁見など許さん! 絶対に勝手なことはするなよエイブラハム!」
「勝手はどっちだっ! いい加減にしろハワードっ!」
ハワードの勝手な言い分にエイブラハムも立ち上がる。そしてタイミングを見計らったかのように両開きの扉が開かれ、苛立ちと疑問が混じった全員の目がそちらに向く。そこには黒い衣装を見に纏う年配の男性が立っていた。見てくれから牧師で間違いない。
「会合中に申し訳ありません。御二方にお会いしたいと訪問された方がおりまして……」
「見て分からんのかっ!! 後にしろっ!!」
「……失礼ながら。今、会われた方がよろしいかと」
牧師は気圧されることなく鋼の意思でハワードを見据える。エイブラハムが牧師から漂う緊張感を見て衣服を正す。
「分かりました。お会いしましょう。それでどなたですか? 名前は伺っていますか?」
「ええ。エデン正教の枢機卿、イアン=ローディウス卿にございます」




