199、あだ花
ガルムの言葉で玉座の間に緊張が走る。
剣聖たちの必死の抵抗の末、結局は最悪の譲歩を引き出す。
誰か死なない限り終われない戦い。
「……ゃっぱ、逃げるのが正解だった、なぁ……」
セオドアは身体中に走る激痛で口の端から泡を吹きながらもニヤリと笑う。獰猛な獣が牙を剥き出しにするような表情を横目にブルックはフッと自嘲気味に笑った。
(確かにその通りだ……)
本来の実力は剣神を一瞬で消し飛ばすほどに強い。それを今の今まで手加減して殺さないように立ち回ってくれていたのだ。もしかしたら数さえ揃えば勝てるのでは無いかと思わせてくれるほどにのんびりと打ち込みを受けてくれた。
1人か皆殺しか。脅し文句のように突き付けたこの問いも、ガルムなりの慈悲の心であると思えば良心的と言える。これだけ非礼を与えたというのに、1人死ねばチャラにするという。
ブルックは腹を押さえながら何とか立ち上がろうとする。
せっかく与えられた慈悲に答え、みんなの命だけは助けてもらおうと考えてのことだ。
だが足がもつれて腹這いに倒れ込んだ。手をついて倒れ込むのを防ごうとしたが、激痛が走ってそれどころではなく無様に倒れ伏す。
白銀の鎧が床に強打することを防いでくれたが、その代わりにガシャアァッと盛大な金属音が周りに鳴り響いた。黒いマントが体を覆い、無様に投げ出された体だったが確実に前には進んでいる。
「ブルック……っ!! あんた……っ!!」
レナールは痛みを堪えて叫ぶ。自らを犠牲にしようとしたブルックに対して怒りをあらわにした。そんな勝手なことは許さないという怒り。
レナールは誰とでも分け隔てなく酒が飲め、人情に溢れた姉御肌の剣聖。誰もが一度はレナールの優しさに触れ、大半は好意を抱く。結婚適齢期でありながら未だ身を固めないのを良いことに、レナールの夫を目指す剣師やルグラトスのように股間を苛つかせる男たちも多い。
しかし誰にもなびかず、酒飲みで大らかなくせに身持ちが硬いのは1人の男に強い好意を抱いているからだ。
ブルック=フォン=マキシマ。
昔、因縁の敵との戦いの折、命を救ってくれた男の中の男。レナールの心の中に残った微かな乙女心が刺激され、ブルックのことが気になって気になって仕様がなくなってしまった。
この気持ちを伝えれば関係が拗れるかもしれないという思いから言い出せなかったが、そんな時にブルックに忘れられた大陸への特殊任務が与えられた。
自分がもたもたしてる内に長期間の出張となるブルック。送り出す時は気丈に振る舞い笑顔で送り出したというのに、本心では離れたくないと心の中で泣きながら縋り付いていた。
出立後、毎日空を見上げては無事に帰ってきてくれるように祈っていた思い人。
任務とは言え、長いこと故郷を離れていたブルックがようやく帰ってきたのだ。もう二度とこんな思いはごめんだというのに、ここで永遠の別れなどありえない。
しかしレナールの叫びを無視して這いずってでも前に出ようとするブルック。
「1人の……犠牲なら、安いものだ……」
ブルックは自分の考えを曲げるつもりはない。
そのバカな考えを燃えたぎる恋心からやめさせたいが、デュランもブリジットもアレンも意識が飛んでいて制止に参加するのは無理そうだ。
この結末になった原因と呼べるディロンは既に命を張って攻撃を止めていたせいで立ち上がるのは困難、というか立つことは不可能。
頼みの綱は第一剣聖のアシュロフ=ミニッツ=ベスターのみ。
──ザキッ
床に剣を突き立て、カチャカチャと金属音を鳴らしながら何とか立ち上がろうとする熊のような男がいた。
「……アッシュ……っ! ダメだっ!私が……出るっ!!」
「いいやっ!! これは俺の仕事だっ!!」
全身の痛みを我慢しながらガルムを見据えるアシュロフ。
「ふーっ……ふーっ……俺のように老いさらばえた男にはな、命の使い所というものがある。どうせ近い内に引退することも考えていた。ここが……ぐっ……ここが俺の引き時。あだ花で終わるくらいなら……お前たちのために散らせてみせるっ!」
これといった戦果もなく、剣聖の中での実力も平均のど真ん中。ブルックやセオドアなどの輝かしい戦果の後ろに隠れながらも、決して侮られることなく剣聖筆頭としてあり続けた中心人物。
だからこそ生意気なセオドアも最年少剣聖に任命された才能あるブリジットも一目置く存在であり、剣聖の歴史の中にこの人ありと刻みつける縁の下の力持ち。
ある日帝国に舞い降りた大災害で妻子を失い、失意の中にあったアシュロフは同じく家族を失ったレナールを瓦礫の中から救出。失った子供と同い年くらいのレナールに同情して育てることにしたアシュロフだったが、レナールも助け出された恩義からその好意を受け取り、剣を習う内に何の因果か共に剣聖として働くことになった。
大災害の時の苦しみは未だに残っている。子を失った悲しみをレナールで埋めようとする悪辣さに反吐が出る時もあった。
しかしその悲しみを払拭してくれる人物が現れる。それこそがブルックだ。
レナールと自分に降り掛かった大災害の元凶たる最強の存在『炎龍』。
2人の因縁の敵である炎龍にトドメを刺してくれた最も信頼厚き人物であり、レナールに最も相応しいと感じさせる男。
この2人が共に歩き、未来を紡いでくれるのはアシュロフの願いである。
「アッシュ……」
「ちょっ……嘘だろ、旦那……っ!」
「アシュロフっ! うぅっ……ぉ父さん……っ!」
ブルックとセオドアは困惑し、レナールは育ての親であるアシュロフに届くことのない小さな呟きで胸を押さえて嗚咽した。
アシュロフは皆のために立ち上がる。魔剣を杖代わりに最初の一歩を踏み出そうとするが、全身から警報のように絶え間なく襲ってくる激痛がこれ以上動くことを拒絶する。
「ぐぅっ……最後くらい……格好を、つけさせてくれても……良いではないか……」
そう自分の体に言い聞かせると激痛で震えていた体がピタッと止まった。
激痛の裏に死の恐怖が隠れていたようだ。
本気の覚悟は本能をも屈服させ、死を受け入れる。
「……ああ、それで良いんだ。やっと……追いついたな……」
アシュロフの覚悟を見てガルムは目を閉じる。
仲間のために命を捨てる。ある意味最も美しい瞬間だ。
ガルムは何度かこの瞬間に立ち会っている。その度に思うのは何故自分たちを追い詰めるのかということ。
わざわざ勝ち目のない戦いに身を投じずとも、支配を受け入れ粛々と従っていれば良い。
(どうせなら生き汚く押し付けあえば良いものを……)
勝手に仕掛けておいて、勝手にこういった雰囲気を作るのはいかがなものかとため息が出る。
だがこの提案をした時からガルムの中では十中八九アシュロフが出てくるだろうと予想していた。ついでブルックだが、アシュロフに邪魔されることは折込済み。
これはいわばシナリオ通り。決定事項に近い。
ガルムは通過儀礼を済ませるために目を開けた。既に目の前まで出てきているであろうアシュロフに引導を渡す。
しかしこの予想は大きく外れることになる。
そこに立っていたのは剣聖の誰でもなく、忘れられた大陸の冒険者ライト=クローラーだった。
「……え?」
意外すぎる人物に素っ頓狂な声が誰からともなく発せられる。
あれだけあった美しくも悲しいドラマチックな空気は消し飛び、異物と言える人の形をしたゴミがそこに立っていた。
しかも帝国とは何の関係もない、一番最初に弾き飛ばされて以降出番のなかった男がここに来て存在を主張する。




