189、脱走兵
ガルムに戦いを挑んだ4人の剣聖たち。
しかし帝国が誇る剣聖は全員で8人。
残り半分は玉座の間から離れ、中庭に出ていた。
「止まれ! 2人共!」
デュランはセオドアとルグラトスを呼び止める。ルグラトスは肩越しで睨み、セオドアは首筋を掻きながら振り返った。
「しつこいなぁ……追ってくんなよハゲ」
「誰がハゲだ!」
「お前だよ」
セオドアは怠そうにため息をつきながらデュランに呆れ返る。デュランはセオドアの態度にイライラしながらも間合いを詰めすぎないよう注意している。いきなり斬りかかられても対処出来る様に冷静さを保っているのが分かった。
踏み込んでくるなら暴力も辞さない覚悟だったが、デュランはとにかく対話を求めているようなので戦う気はないと見える。そこでセオドアは頭ごなしに突き放すをのやめて、諦めてくれるように相手の土俵に上がることにした。
「……良いか? 俺たちはガルムに寝返ったんだ。裏切り者の俺たちなんざ放っておいてブルックたちの元に駆けつけてやれよ。そんでとっとと死んでこい。自殺志願者のお前らと違って俺たちには未来があるんでな……」
魔剣の柄に手を掛けながら脅すように刃先をチラつかせる。ルグラトスもマントを翻しながら振り返り、芝居掛かったように両手を広げた。
「まったくだな。貴様らは頭が悪すぎる。一時の感情に支配され、死を選ぶなど言語道断。生きることを考えれば前皇帝のジオドールのように恥も外聞も捨てて床に這いつくばり、全力で許しを乞うべきだ。私たちはその必要がない。何故なら然るべきタイミングで沈みゆく船から降りたのだからな……」
意気揚々と喋るルグラトス。その表情は柔らかく、笑みすら浮かべていた。誰より優位な立場に立っていると分かれば、油を差したかのように口も滑らかだ。
その上、普段から主張したいこと、したかったことを聞いてもらえず、我慢させられていたことも相まって言葉が濁流のごとく流れ出る。
「ふっ……まぁ、もしレナールとブリジットが心変わりし、やっぱり死にたくないと懇願するのならば、この私が仕方なく口利きを買って出よう。私の命令には『時間場所問わず』『何でも』『必ず従う』という条件付きだがな。ただしデュラン。貴様はそのハゲ頭を床に擦り付け、しっかりと土下座をして命乞いをしてこい。恐怖のあまり汁という汁を垂れ流す無様を晒せばきっと生かしてもらえるだろう。望みは薄いがな。……良いな? 分かったらとっとと戻って死んでこい!」
言いたいことを言って気持ちよくなったルグラトスは細く鋭い息を吐き出し、デュランを威圧するようにハンドサインで『地獄に落ちろ』と指し示した。
あまりの言動にデュランの我慢も限界に達する。血管を浮かせ、腰に下げた魔剣に手を伸ばした。
しかし魔剣が抜かれることはない。直前でアシュロフの大きな手がデュランを遮るように制した。
「……ルグラトス。彼女たちは心変わりなどしない。そしてお前の主張には誰も共感しない」
「っ!? アシュロフ……!」
デュランの背後からぬぅっと姿を現したアシュロフはデュランよりも前に歩み出る。
「待ちなよ旦那。そこは俺の間合いだぜ?」
「争うつもりはない」
「なら武装を解除してくれよ。俺だってあんたと戦う気はないんだからさぁ」
「出来ぬ相談だな。これより魔神ガルム=ヴォルフガングとの一戦がある。武装解除をしていては余計な時間を取られてしまう。今は一刻を争うのだ」
セオドアはムッとして眉を顰める。アシュロフの言葉にルグラトスの頭は沸騰する。
「ならば退がれアシュロフ!! 第一剣聖であることに執着し、未だ我らの上に立っているつもりか?!」
「……質問がある。デザイア軍に入ってどうなる? 奴らに与することで得られるものはなんだ?」
「私の質問を無視するなっ!!」
ルグラトスは魔剣を抜いて切っ先をアシュロフに突きつけた。セオドアはそんなルグラトスの肩を掴んだ。
「まぁ待てよ。俺たちだって怪我するのは本意じゃねぇだろ?」
「し、しかし……!」
「まずはこっちの質問からだぜ旦那。俺らは裏切り者だよな? そんな俺らにあんたは命令を下せない。どっちかっつーと脱走兵として問答無用で切り捨てるのが筋じゃねぇのかい? なのに対話を図るってことはだ、こんな俺らにまだ期待をしているってことかよ?」
その問いにアシュロフは静かに頷いた。セオドアはルグラトスに「だとさ」と言って顎で下がるように指示を出す。セオドアの言動は容認し難いものであり、ルグラトスのしかめっ面により多くのシワが刻まれたが、アシュロフから一応返答を引き出せたので素直に下がった。
「それじゃ今度はあんたの質問に答えるとするわ。あいつらの仲間になることで得られるものは『時間』だよ。あんたがさっきから俺たち以上に気にしている奴さ。……ああ、言わなくたって分かってるよ。時間そのものじゃねぇよな? でもそれこそ野暮ってもんじゃねぇか? 長生き以上に必要なものなんざ存在しねぇ。死んじまったら終わりだからよぉ」
「生きることだけが全てではない。命あるものはいずれ死ぬ。だが、限りある時間の中でどう生きたかが重要になるのではないのか?」
「太く短くってか? あんな化け物を敵に回すよかさっさと頭を下げて身の振り方を考えた方が賢いだろうが。どんな恥辱が降り掛かろうと生きてやり過ごせばチャンスは巡ってくる。旦那もまずは生き延びることから始めたらどうだい?」
セオドアの提案にデュランは首を傾げた。
「ん? ちょっと待て。自分が何を言っているか理解しているのか?」
「あ? 何だよそれ。なんかおかしいこと言ってるか……?」
デュランに指摘された自分の言葉を反芻しながら考え込む。ルグラトスも首を傾げながら「理解していないのはハゲの方だ」というスタンスを取り始めた。
2人の疑問を余所にアシュロフは大きく頷いてデュランを肯定する。
「その通りだデュラン。セオドアは自覚していないだけだ。そういう意味では間違いなく剣聖の1人なのだと実感したよ」
「まだ言ってんのかよ。話を勝手に進めんなよなぁ。ったく、もう飽きたぜ……」
「いや、お前の本質は俺たちと何ら変わらない。今のままでは勝てないと悟り、打開策を考えて行動に移した。誰だってこんなところで死にたくない。ルグラトスのように自分についてくる仲間がいれば別のアプローチが取れる。『生きてやり過ごせば必ずチャンスは巡ってくる』だな」
アシュロフの言葉に閉口するセオドア。しかしすぐに体を揺らして笑い始めた。
「クカッ……カッカッカッ……考えすぎだよ旦那。言葉の綾って奴さ。俺がそんな殊勝な男に見えるってのか? ガルムを何とかするためにタイミングをズラしただけって、そんな都合の良い解釈が……」
「ある。お前は誰より俯瞰から物事を観察し、状況を判断している。言動は乱暴でも冷静さを失わずに常に平常心を心掛け、正しい選択を取ろうとしてくれている。……理想の調整役だ」
「……買い被りすぎだぜ」
「だが、今回に限っては愚直で実直で無謀な俺たちには受け入れられなかった。俺たちはここで命を落としてでも奴に対抗する。お前はそんな俺たちを馬鹿だと罵るだろうが、意固地になったお前には次の策があるのか?」
セオドアはじっと真っ直ぐ目を見つめるアシュロフから視線を逸らし、緊張からか下唇を噛んだ。ルグラトスは訝しさと苛立ちの混ざった顔をセオドアに向けた。
「どうした!? 言われっぱなしかセオドア!」
「……」
「チッ……もう良い! 問答無用!!」
ルグラトスは目の前の2人を相手取ろうと魔剣を構えた。
その時、破裂音のような耳を劈く音が響き渡った。
戦いの激化。それが中庭にまで聞こえてくる。
タイムリミットはすぐそこまで来ている。
デュランは冷や汗を滝のように流す。アシュロフはグッと奥歯を噛み締めて冷静さを保ち、目を見開いているセオドアを見据えた。
「……どうする? セオドア」
その問にいつものヘラヘラ顔をキュッと引き締めた表情を見せた。その後すぐに頭を掻きむしりながら大きくため息を吐く。
「はあぁぁ……っ! 俺も焼きが回ったもんだぜ。あんなもんとやり合ったら死んじまうだろうって分かってんのによぉ……っ!」
一歩たりとて引き返そうとしなかったセオドアは気怠そうにアシュロフの下に歩く。ルグラトスの呼び止める声を無視しながら、目と鼻の先に居るアシュロフを睨み付けた。
「……今戻ったところで何が変わるわけでもねぇぜ? 旦那ぁ」
「そうでもない。お前が戻って来てくれるなら万の軍勢に匹敵する」
「へっ……生きて勝てたら特別褒章を要求するぜ」
アシュロフの脇をすり抜けるように背後に回り込み、そのまま城内に入ろうとする。
「待てと言っているだろうがセオドアっ!! 貴様さっきまで奴らを私と共に蔑んでいただろうがっ!! 何故ここに来て……っ!?」
「悪いなルグラトス。俺は当然逃げる方が良いと思ってるよ。今戦ったって勝ち目はねぇし、ブルックやアシュロフの旦那たちがバカだって主張を変えるわけでもねぇ。お前が言ってた子を成すってのも一つの手だ。俺たち以上に才能ある次代のガキどもが化け物を倒してくれるんじゃねぇかって思わねぇこともねぇ。……いやまぁ、丸投げってことを考えたらちょっと無責任かもしれねぇが、生き残ればいろんな可能性に恵まれる。それが俺の本心だ」
「ならば……っ! そうであるなら何故……っ!?」
「俺もそれが分からねぇんだっ。死ぬ間際には悟れっかも?」
「はぁ?!」
「ルグラトス! 俺たちが死んだ後はお前が帝国を背負うんだぜ! そうすりゃ俺たちの理論は正しかったんだって満足して逝けるからよぉ! 死んだ後のことは全部お前に託すわっ! じゃあなっ!」
セオドアは振り返ることなくルグラトスに後世を託す。
死を覚悟した男の背中。それを見たルグラトスにほんの一瞬だけ憧憬の念が沸き上がったが、それは人生最後の輝き。ろうそくの炎が焼き切れる寸前に見せる最大火力。誰もが一度は憧れ、感動する瞬きの美しさに魅せられたに過ぎない。
そしてそれが自分に置き換わった時、感動は絶望へと変貌し、地位も名誉も投げ捨てて命を取る。生き物として普通のことであり、デュランやアシュロフがやっていることはカルト宗教で集団自殺を強要することと何ら変わらない。
セオドアの快活な別れの言葉とは裏腹に、次にアシュロフから放たれたセリフでカルト臭さが顕著になる。
「ルグラトス。ここから先はお前の自由だ。逃げることも許容しよう。だがお前が共に戦ってくれるというのなら俺は歓迎する」
自由意思を尊重しながらも戦いに誘う姿勢にルグラトスは嫌悪し、プイッとそっぽを向いた。それを見越していたのかアシュロフには諦めが見え、デュランの目はつり上がる。
「私は断るぞアシュロフ。この下劣な輩には心底愛想が尽きた。どこへなりとも行くが良いっ! そして二度と私の前に顔を出すなっ!!」
デュランは怒りに震えて叫ぶ。それを制するようにアシュロフは手をかざす。
「……我らが死した折はお前にすべてを託す。それはお前がやるべきことだルグラトス。それではいずれまた」
2人は心変わりしたセオドアの後を追って城内へと入っていく。ルグラトスはその背中すら見ずに1人でひたすら自己弁護し、帝国から去っていった。
玉座の間に戻る際中、アシュロフはデュランと別方向に走り出した。
「っ!?……どこへ行くアシュロフっ!」
「切り札を斬る。奴が余裕をもって我らを通してくれた今、使えるものは全部使わねばなるまいよ」
その言葉とアシュロフの走り去る方向を見て納得したデュランはセオドアを追って玉座の間に急いだ。




