183、アンナチュラル
「本当にやるのディロン? あいつ強そうだけど……。」
ウルラドリスはディロンを心配する。そんな彼女の頭を包み込むように撫で上げた。
「俺の方が強ぇ。」
ディロンはライトにウルラドリスを任せてリックの眼前に立つ。
魔族に変えてもらった体は人間時の体よりもひと回り大きくなっているが、まだディロンの方が背が高い。
見上げるように睨むリックと見下ろすディロン。両者の視線が交差し、戦いの火蓋が切って落とされる。
──ドンッ
踏み込みはほぼ同時。しかし剣を抜く速度よりもディロンが繰り出す拳の方が速かった。胸部を抉るように殴られたリックは剣を抜こうとした体勢のまま勢いよく吹き飛んだ。
玉座に続く階段に背中を強かに打ちつけ、そのままホコリ一つなかった階段にめり込む。
「ぐおっ!?」
無様な声を上げながら床に手をつく。ハウザー戦のディロンから実力を更新出来ていなかったために完全に油断していた。魔族と化した自分よりも速く動けるなんて想像すらしていない。
「どうだクソ野郎。俺の拳は痛ぇだろ?」
「……言うだけはある。あんたを甘く見ていたよ。まさか魔族へと昇華した俺よりも速く動けるなんて思わなかった。ああ……実力の大幅な更新が必要だな。」
「そうして人間を捨てた先にあったのは何だよ? 答えてみろよ。」
「くくっ……人間を捨てた先だって? 元のままの俺ではあり得ないほどの力の解放だよ。感動的なほどにね。」
「へっ!バカが。本来の自分を捨てて得られる力なんざタカが知れてるぜ。」
「知った風な口を……!天武の才だけで戦って来たあんたと一緒にするなっ!いくら努力したって超えられない壁があるんだっ!!」
バッと立ち上がって剣を抜く。床を踏み抜き一直線にディロンとの間合いを詰め、瞬時に三度斬りつける。
しかし全て空振り。
武器を持たないディロンは鋭利な刃物を紙一重で避ける。リックが遅いわけではない。ディロンの動体視力がそれに勝っているのだ。
「クソがっ!!烈刃っ!!」
ボヒュッ
当たればただでは済まない攻撃も、当たらなければ何ということはない。
空ぶった剣の振り下ろしに対し、ディロンは頭上から思いっきり振り下ろす左の拳でリックの顔面を強打する。
床に顔からダイブし、同時に叩きつけられたリックの自慢の剣が中ほどからへし折れる。床と接触事故を起こしたリックは反動で少し浮き上がり、それを見越していたディロンが鼻筋にサッカーボールキックをお見舞いした。
ゴッ……ガッ……
跳ね転がりながら黒くどろっとした体液を撒き散らす。それが魔族になってしまったリックの血液なのだと気づくのに時間は掛からなかった。
「……不味いぞっ」
先ほどまで静観していたブルックは組んでいた腕を解いて剣を握る。その言葉に当てられ、ブルックを師匠として尊敬するアレンも腰を落とす。
剣聖たちはそれぞれディロンに対して何らかの措置を取ろうと考えるが、それを敏感に察知したリックが吠えた。
「動くんじゃねぇっ!!これは俺の戦いだっ!!」
剣聖たちはその声に全身を硬直させる。
「……あぁそうだ。それで良い。分かってんだろ? 俺の命令には絶対に従うんだよ。」
口元の血を拭いながら立ち上がる。折れた剣を投げ捨て、ディロンを睨み付けた。意固地になるのは同じ大陸で一時期憧れていたディロンに対する執着に他ならない。
人間を捨てて得た今のこの体こそが正解なのであって、それ以外は不正解のはずなのだ。それを証明するために魔族となったこの力で勝たなければ意味がない。
「おいおい。剣士が剣を捨てたら何が残るってんだ? 」
「教えてやるよ。俺自身が最強なんだってことをなっ!!」
リックは全身の筋肉を膨張させる。メキメキと体が悲鳴を上げるように力を倍加させ、全てを粉砕するために底力を引き出す。
その体はディロンの身長に並ぶほど大きくなり、筋量はディロンを超える。
「ぶち殺してやるっ……!!」
思う存分力を引き出したリックはディロンに接敵し、先ほど一発も当たることがなかった攻撃を当てることに成功した。肉を叩く感触が何とも心地よく感じる。
顔面と腹を一発ずつ殴ったところでディロンも反撃をし始める。限界まで力を高めたリックはディロンの攻撃に吹き飛ぶことなく耐え切り、ディロンも同様に前のめりに拳を繰り出した。
お互い踏ん張っての殴り合いに発展する腕力と腕力のぶつかり合い。
しばらく殴り合ったが、先に根をあげたのはディロンの方だった。少し下がって間合いを開ける。
「ガハッ!ゴホッ!」
ビチャビチャと口から溢れ出る血を吐き出し、膝に手を置いて少し休憩する。
リックもそれに合わせて肩で息をしていた。ほぼ互角だが、リックの方が上回っている。このまま殴り続ければ確実にリックの勝利となるだろう。
これに対して今度はライトたちが焦りを覚える。ディロンが打ち負けるのは誰の目にも明らか。邪魔をすべきかどうかを模索するが、ウルラドリスの言葉にライトは踏みとどまる。
「大丈夫。ディロンは勝てるよ。」
リックは勝利を確信してニヤリと笑った。
「くくくっ!どうした? さっきまでの威勢はっ? これが本来の自分とやらを捨てて得た力だよ。思い知ったか?」
「けっ……こんなもんか? 以外に大したことねぇじゃねぇか。」
「はいはい、強がるなよ。あんたも本当は分かってんだろ? もし俺と同じように力を得られるなら手に入れようとしたはずさ。俺たちの本質は変わらないんだよ。なぁディロン。」
「オメーは自分自身からも逃げたくせに何で威張ってられるんだよ? こいつは純粋な疑問だぜ。人間でいられなかったくせに人間のフリをするなよ化け物が。」
ディロンの言葉にカチンと来たのか眉間にシワが寄る。イライラしながらも、ここからどうやっても勝ち負けがひっくり返らないことに口角が上がる。
「筋力では俺に負け、武器も防具もないあんたにもう勝ち目はない。大人しくじっとして抵抗せずに俺に殺されろ。そうすればライトとあんたが大事そうにしてる女の子の生命は保証してやる。」
「あ? 何勝手に勝った気でいるんだよカス野郎。武器ならここにあるぜ。こいつを使えば、筋力も防具も全て揃う。そしてオメーを殺せる。」
武器を持っているようには見えなかったというのに、おもむろに胸に手をかざして武器を持っていると豪語する。
傍から見れば、ディロンの言動は『心と身体が武器なのだ』と示しているようにしか見えない。
「あんた……意外とロマンチストなのか? そんなもんじゃ実力差は埋められないんだよっ!!」
リックはディロンに迫る。すぐにも決着をつけてやろうと攻撃を仕掛けたのだ。
上から叩き潰そうと右腕を振り上げ、ディロンの頭へと振り下ろす。下手に防御の姿勢を取れば頭ごと持っていかれるような凄まじい力。
しかしディロンに避ける力は残っていない。
万事休すかと思われたその時、ディロンの胸が光り輝いた。
──ズンッ
リックの大振りの攻撃を受け止めたディロンの左腕は、びっしりと隙間なく生えた鱗で覆われていた。よく見ればその鱗は全身に行き渡っているように見え、顔にも一部生えているのが確認出来る。
いきなりのことに衝撃を受け、頭が混乱しながらもリックはすぐさま連続攻撃に切り替える。
優勢だった今の今までが嘘のようにひっくり返り、連続パンチもディロンにすべて捌かれる。
「バ、バカなっ!? なんで……!なんだそれはぁっ!?」
パニックに陥ったリックは大振りの攻撃を仕掛ける。それを待っていたかのようにディロンはリックの腕を脇に抱えて肘関節を逆に折り曲げた。
──バキィッ
枯れ枝が折れたような乾いた音が鳴り響く。同時にゴムが伸び切って裂けるようなプチプチとした音も混ざる。
軽くへし折られた腕に激痛が走り、声こそ出なかったが脂汗が噴き出した。
「こいつはよ『竜之禍玉』っつー魔道具だ。伝説の竜王から餞別代りにもらったもんでよ、使用者を竜に代えちまう凄ぇもんなんだぜ?」
何か言いたげな表情をしていたがパクパクと口を動かすだけで言葉が出ない。腕の痛みのせいでどうも思うように息が出来ないようだった。今更ながら目をキョロキョロさせて剣聖たちを見る。
「こいつで終いだ。」
「っ!?……待てっ!やめろ……っ!!」
リックの助けて欲しそうな視線に気付いたブルックは声を張り上げる。だが既に遅かった。
ドボッ
ディロンはリックの腹に抉り込むような本気の一撃をお見舞いする。リックの腹にめり込んだ拳の威力はほどなくして内部から破裂したように背中を突き破り、生きるために必要な器官をすべて外へとはじき出した。
一気にせり上がった炭のような血液と空気がリックの顔の穴という穴から噴き出し、ドロドロと命が流れ出る。
もういつでも事切れる。そんな中にあってリックはどうしてもディロンに言いたいことがあった。
「あ、あんた……さっきまで、に、人間がど、どうとかって……俺に、あ、あんだけ……説教を……。」
「あ? 俺は良いんだよ。だって俺は人間の味方だからな。だがオメーはダメだ。」
「そ、んな……バカ、な……。」
姿勢を保っていられる筋肉も骨もなく、気力と生命力を同時に失った体は、ディロンがへし折った腕を離したことでようやく地面へと落下した。
回復もままならない完全な破壊。リックが皇帝に就任してわずか一時間足らずの出来事だった。
その様子に開いた口が塞がらない剣聖たちとニール。ディロンは注目されていることに気付いて竜之禍玉の能力を解除する。
「どうだ? 国を救ってやったぜ。」
「やったーっ!ディロン格好いいっ!!」
ディロンの自信満々の顔。喜ぶのはウルラドリスだけ。ライトは違和感を感じて周りを見渡す。
ディロンは強い。鍛えた結果また一段と強くなっている。さらに屍竜王ウルウティアから受け取った竜之禍玉を使用することで信じられないレベルにまで達している。
だが呆気なさすぎる。リックに帝国を傅かせるだけの実力はないと断言出来る。ライトが違和感の正体を探る前にスキンヘッドが叫んだ。
「貴様らなんてことをしたんだぁーっ!!」
玉座の間をビリビリと揺らすほどの声量はディロンの行為そのものが、完全なる間違いだっとここに来てようやく気付かせた。




