178、帝国の剣
「そなたは……何者だ?」
皇帝の質問を無視して悠然と歩く。
「止まれ無礼者!」
皇帝は眉間にシワを寄せて漆黒の剣士を威圧する様に言葉を放つが、意に介すことなく前進をやめない。
ほとんどが困惑する中にあって剣神は笑った。
「退がれ剣聖。これは私の獲物だ。」
ティリオンは赤いマントを翻す。玉座へと続く階段を降りながら剣神はガルムに尋ねた。
「君がデザイアか?」
その質問にようやくガルムは足を止める。
「……違う。」
「ほぅ? つまりこういうことか? デザイアの様に強い敵が複数居ると?」
「……それも不正解だ。デザイア様は絶対であり、何者も並び立てない。我が名はガルム=ヴォルフガング。冥土の土産に持って逝け。」
「ふふふ……良いね。私は剣神ティリオン=アーチボルト。君を斬り、デザイアをも斬り捨てる男の名だ。その矮小な魂に刻め。冥府に私の名を轟かせるが良い。」
ティリオンはガルムとの間合いを図りながら足を止めた。
黄金の鎧と漆黒の衣装。
光を反射し輝く者と光を吸収する者。
自信に満ち溢れた表情と無の表情。
全く真逆の性質をもつ相反する2人は、唯一共通する剣を用いて生命を取り合う。
ティリオンは錫杖の様な棒を取り出し、横にかざす。するとまるで光が収束するように光の刃が姿を現した。
封印指定級魔剣『カラドボルグ』。
帝国が保有する神器と称される魔剣の一つ。
伝説の鉱物であるオリハルコンやアダマンタイトをまるでバターのように切り裂くとされるこの魔剣は、柄の先から光の刃を瞬時に無限に伸ばすことの出来るシンプルな能力。
シンプルではあるがリーチが存在せず、重さも変わらないので、小枝のような重量のまま振り回すことが可能。
まるでリボンのようにしならせることも出来、扱い方次第では多種多様な戦い方が出来る万能な武器だ。
ただ万能過ぎるがゆえに逆に扱いが難しく、現状は剣神にしか扱うことの出来ない武器である。
魔剣のランク、扱い難度共に最高位の魔剣である。
世界一の剣と世界一の術理が合わさった時、何者も覆せない無双の剣と成る。
「君も抜いたらどうかな?」
ティリオンは剣をかざして挑発する。
鞘に収まった刀の長さから考えると魔剣カラドボルグの今の出力した長さと同等かもう少し長い程度。この長さをベースに考えるならどちらも必ず踏み込まなければ届かない距離である。
しかし前述の通りカラドボルグは一瞬にしてその切っ先を無限に伸ばすことが出来る。どれほど遠くに立っていようとも、こうして剣を的に向けている間は全て必殺の間合い。剣を自慢する様に振りかざし、隙だらけに見えるこの姿こそ最も危険な状態なのだ。
帝国の人間であるならば知っているこの事実を知らぬのは、この場限りで言うとニールとガルムのみ。
これはティリオンによるテストである。戦うに値する敵かどうかの認定証。
防具や魔法障壁に頼る内は愚者。
違和感を感じて武器を構えるのは通常の行動。
殺気を感じてティリオンを軸に回り始めたり飛び跳ねたりすれば正しく強者。
ティリオンでも予期しない形で間合いを詰めて来る様であるなら最高である。
常に絶対者として君臨していたティリオンだからこその上位者目線。最強は傲慢である。
ならばガルムはどうか。この状況をどう捉えたら良いのか。
答えは沈黙。
武器を構えることも魔障壁を張ることも無い。鎧も着ることのない完全な無防備。「何か出来るものならやってみろ」と言わんばかりの顔だ。何ならちょっと視線を外して剣聖の位置や皇帝に視線を移していることもある。
(……こいつは愚者か。いくら実力があろうとも私の殺気を感じ取れない間抜けと戦う趣味はない。楽しみにしていたと言うのに残念だ……。いや、あくまで私の狙いはデザイア。こいつは功を焦ったただの一般兵に過ぎまい。これで終わりとしよう。)
ティリオンの独白が終わり、ガルムに向けたカラドボルグが火を吹く。
──ヒュパンッ
そう皆が確信したその時、ティリオンの体が砕け散り、血煙となってこの世から消滅した。
「……え?」
その漏れ出した声は皇帝のものだ。何よりもティリオンを信じ、誰よりも剣神を恐れた者から発せられた絵に描いたような疑問の声。
それはこの場の全員の思考回路。
ポコッと何かが欠損したような、電源をパチッと切られたような、真っ白で真っ黒な時間と思考の停止。
そんな中で何も無かったように悠然と歩くガルム。
自分が何をしたのか理解出来るはずもなく。
その足で皇帝の眼前に立ち、見下ろすまでの間は誰もが思考を放棄していた。
「……な、何でしょうか?」
いつもの威厳たっぷりの皇帝は鳴りを潜め、ただの一般人のように質問する。
「……跪け。」
──カランッ
ガルムの言葉と共に体を投げ出し、皇帝は這いつくばった。
頭から落ちた王冠はルオドスタ帝国の行く末をも表していた。
*
帝国がガルムの活躍によりデザイアの支配を受け入れた頃、聖王国ゼノクルフでも事は起こっていた。
真っ白な衣装に身を包んだ長い一本角が特徴的な空飛ぶ老人が教皇ガブリエル=エル=リード=リベルティアの眼前に姿を現した。
魔神ヴァイザーは聖王国の頂点に直接殴り込みを掛けた。
演出を兼ねて背に日輪を模した輪っかを背負い、テレポート魔法により玉座の間に侵入を果たす。
こういった侵入を妨害するために魔法防壁を城に施していたのだが、ヴァイザーの前には意味を成さず、全く反応出来ないまま今に至る。
「おぉ……。」
ガタッと立ち上がったガブリエルにヴァイザーは槍を突き付ける。
服従を命令しようとしたその時、ガブリエルはへたり込むように両膝を床へつけた。そして仰ぎ見るようにヴァイザーを見ながら迎え入れるように両手を広げる。
「よくぞおいで下さいました。神よ。」
ガブリエルの言葉に目を剥いて驚いたのは玉座の間に居た信徒だけではない。ヴァイザーもあまりのことに驚愕していた。
ここに居た者たちの目に映ったのは老人の見た目をした化け物。それを指して神などと何を言い出すのか。それも聖王国の教皇が、だ。
しかしそれもそのはずで、ガブリエル唯一の能力である『魔力識別眼』で見た景色はまさに神の降臨と思える。
その神々しい姿を目の当たりにしたガブリエルは滝のように涙を流し、人生を掛けた信仰が報われたと錯覚していたのだ。
「……如何にも。儂は神。そなたらを導き、安寧を与えよう。」
「おぉ……ありがたき……幸せぇ……。」
感無量のガブリエルは床に額を擦り付ける。そこにヴァイザーの足があれば縋りつき、靴でも舐めそうな勢いである。
その姿に全員が崩れ落ち、祈るように手を組んで絶望から必死に目を逸らす。聖王国の没落を予感させるこの状況にヴァイザーは破顔した。
全員が神である自分に祈りを捧げているように感じて心が躍る。
無血開城。
いや、それ以上だ。
ヴァイザーは今までの侵略行為で初めて一滴の血も流れることなく支配を完了させた。




