126、災厄の再来
「昨今のデザイアの動きの緩慢さがきな臭く思うのだが、誰かこのことについて気になっていることや知っていることがあれば報告をしてくれ」
メフィストは玉座の間にて部下に質問を投げかけた。
ミルレースとの戦い以降、新参者が増えた部下たちはお互いに目を合わせながら牽制し合う。
皇魔貴族の地位がそのまま子へと受け継がれたために経験の浅い若造ばかりとなってしまった。
アレクサンドロスのような知将が居てくれればこの若造たちにも何かしらの使い道を見い出したのかもしれないが、こちらに居るのは保身に走って女神との戦いを避け、見に回ったミラージュとロータス。
そして『グルガンは裏切り者で信用ならない』だの『私ならもっと上手くやれる』などと散々陰でグチグチ宣ったくせに戦場にすら姿を現さなかったベルギルツの三名。
長きに渡り裏切りもせず、メフィストを支えて来た有能な部下たちだと信じていたのに、ここぞという時に何もしない、使えないとは情けないの一言である。
「フィニアス様。少し宜しいでしょうか?」
「なんだミラージュ?」
「この際オルベリウス公のことは放っておいて我々の統治を完遂させるべきではありませんか?女神ミルレースの蛮行の合間に取り返した領土の再構築と新たな皇魔貴族の誕生を推進させ、勢力を倍以上に増やしましょう。まずはそこから始めるべきです」
ヘラヘラした笑顔でメフィストに進言する。
火事場泥棒を誇るように振る舞う姿勢には呆れるが、アレクサンドロスは厄介な敵だ。掠め取るくらいでないと領土を簒奪することなど出来よう筈もない。これも戦術と割り切るべきだ。
ロータスは黙って腕を組み、相変わらず見の姿勢だが、ベルギルツは身を乗り出してミラージュに賛成だった。
「その通りですっ!多くの同胞が土に還り、今や経験のない若輩共が自領を保つのに精一杯といった始末……このままではオルベリウス公の勢力にたちまちやられてしまいますっ!一刻も早く同胞を増やし、あの獅子頭の首根っこを押さえつけてやりましょう!!」
「……グルガンも最近は大人しい。何を考えているのかは不明だが、オルベリウス一派の目立った動きがない以上、こちらが大々的に攻勢に出るのは間違いじゃない。気にするべきは妙な静けさよりもこちら側に目立った力のある者がいないことだろうな……」
メフィストは好き勝手口を開く部下たちを前に玉座の肘掛けを思い切り叩いた。ガァンッと玉座の間に鳴り響く音が部下たちの口を閉じさせる。
「……私はなんと言った?」
「いや、ですから。オルベリウス公の動向などはこの際……」
「黙れミラージュ!!」
ゴォッと吹き荒れる気迫に圧され、ミラージュの額から一筋汗が流れた。
「デザイアの情報が無いのなら無いとまずはハッキリさせろ!完結もしていない内から提案を持ちかけるなど不敬にもほどがあろう!お前たちは何様のつもりだ!!」
「も、申し訳ございませんフィニアス様!」
「し、失礼致しました。我々も探りを入れているのですが層が厚く、確かな情報に行き着いておりません。引き続き調査中でございます」
舐めた態度から一転、跪いて頭を垂れる部下たち。
思えば気がかりなことが多すぎて放置していたことが多かったように感じる。この状況もまさにその一つ。
アレクサンドロスに裏切られてからというもの、これ以上離反されては困ると仲間意識を強固にするために慎重になっていた信頼関係の構築は、気付けばメフィストという地位を利用し、事を為そうとする傀儡政権のような関係性になっていた。
全てはこうなるまで放っておいた自分に責任があるが、女神ミルレースとの戦い以降慎重な態度がどれほど甘かったのかを再認識させられた。
「……そうか……」
メフィストは立ち上がり、ゆっくりと歩いて玉座の間を退出する。その間一切身動ぎしない部下たちを横目に確認していた。
(……やれば出来るではないか)
恐怖によって支配するのはデザイアと何ら変わらない。
しかしながら主従関係を逸脱しようとする動きに待ったを掛けられない主人など居ても居なくても変わらない。
たった一度の叱責は単なる気まぐれや癇癪としか捉えられないかもしれないが、少しはメフィストに対する部下たちの気持ちが変わってくれることを祈った。
*
デザイアの娘スロウ誕生から数年の時が経つ。
アレクサンドロスは目立つことを避け、『これも良い経験だ』などと若輩たちに仕事を丸投げしてスロウの監視にのみ比重を置いていた。
女神の因子を持つスロウが突如女神に乗っ取られて暴れまわったりすればコトだとの考えからだったが、一向に何も変わらない長閑な状況に内心拍子抜けしていた。
デザイアもスロウも特にこれといって行動するわけもなく、スロウに至っては日がな一日ゴロゴロして極戒双縄と呼ばれる意思のある魔道具に頼り切った生活をしている。
「まさに怠惰そのものだな……」
デザイアから後で聞かされた話では、スロウはデザイアの力を一つだけそっくりそのまま与えられて造られたいわば分身のようなもの。その力は強力無比と言って過言では無い。
密かに実験したところによればスロウの能力はデザイアに干渉し、実害となることを認めている。
その主な原因が女神の因子だと確信したようだ。万が一にもスロウが癇癪を起こしてデザイアを攻撃してくるようなことがあれば一大事である。
そこで考えたのが現在スロウが気に入っている極戒双縄という魔道具だった。
極戒双縄はデザイアが”万が一”を防ぐ目的で造ったスロウの力を封印する魔道具である。
スロウの凄まじい魔力を封じ、能力を制限させることが可能。さらに怠惰な彼女が極戒双縄を便利道具扱いし、頼り切りになれば手放すこともない。
今まさにそんな感じなのでデザイアの策は図に当たったと考えて良い。
アレクサンドロスは気の休まらない日々を過ごしていたのだが、結果は全て杞憂。無駄に気を張って損をしたとまで思ったくらいだった。
「いや、まさにこれぞ俺が求めていた状況だ。デザイアのような何考えているか分からねぇ野郎を立てるよりも、スロウのような間抜けが上に立つならもっと簡単に俺の天下となるぜ」
ニヤリとほくそ笑むアレクサンドロスだったが、従者リュートはそこまでお気楽には考えていなかった。
「申し訳ございませんアレクサンドロス様。私はあのデザイア様がこの状況に満足されているとは到底思えません。最近のデザイア様の妙な沈黙はスロウ様の全く何もしない態度には呆れ返っているのではないかと推測します」
「ふむ……確かにそういう見方があるな。今は娘を大切に扱っているが、何かの拍子に飽きて殺すなどということも考えられる。そうなれば新たに分身を作りそうなもんだが……その場合、女神の欠片はデザイアの手元にはない。いや、今のところデザイアが俺以外の部下に接近することが無いから手元には無いと思いたいってのが正直なところだな。よし、少し探りを入れてみるか」
「下手に刺激しては新たな命の創造に着手する可能性もございます。現状を維持するのが無難ではないでしょうか?」
「お前の懸念もよく分かるが、言ったろ?奴には女神の欠片がないってな。最近報告を怠ってたのがあるし、その過程でポロッと本音を聞き出すだけだ。ま、もちろん細心の注意を払うつもりでいるがな」
「……」
「心配すんなよ、俺の話術を見聞きすればお前も満足する。……デーモンを呼べ。ここのことはあいつらに任せてデザイアに会いに行くぞ」
「畏まりました」
2人は居城を後にし、デザイアの元へと向かった。
*
アレクサンドロスの突然の訪問にデーモンたちが慌ただしくなる。
本来ならば先に尋ねるべきだっただろうが、アレクサンドロスはデザイアの腹心。急な訪問であっても咎められることなどない。
予想通りというか、デザイアはいつも通り玉座に腰を深く落ち着けていた。もし驚いていたとしてもそんな様子はおくびにも出さないだろう。
代わり映えのない様子に安心して良いものか警戒すべきなのかを考えながら姿勢を正して歩いていると、デザイアの前には既に何者かが立っていることに気付いた。
その様子にアレクサンドロスとリュートは訝しむ。
跪いているのではなく、ただデザイアを見上げるように手を後ろに組んで尊大な様子で立っている。
あまりに失礼な態度に対し、誰も咎めることのない様子を目の当たりにすれば眉根を潜めるのも無理はない。
それは綺麗な銀髪の少年だった。
アレクサンドロスたちの登場に振り向いたから分かったが、見た目の年齢は10代前半くらい。髪の長さは前分けのショートカットだが右側のもみ上げが首元に来るほど長い。つり目で金色の瞳に縦長の瞳孔。顔は整っている。美形と言って差し支えない。
「よく来たなアレクサンドロス」
「デザイア様」
アレクサンドロスとリュートはササッと跪く。
頭を下げて忠誠を見せているのだが、その頭に注がれる視線が妙に気になる。
それもそのはずで、何故だかデザイアに礼儀の一つも示さずニヤニヤと笑う銀髪の少年が2人の頭を見下ろしているせいだ。
デザイアという絶対的な支配者であるならともかく、よくも知らない少年が調子に乗ってアレクサンドロスを見下ろすなど言語道断。従者であるリュートも珍しく苛立っている。
「二人とも面を上げよ。……よく来たなアレクサンドロス」
「申し訳ございません。先にお伝えすべきだったのですがその時間も惜しいと思い……」
「良い良い。お前ならばいつでも歓迎しよう。それに今はタイミングも良い。紹介したい者が居てな……」
その言葉で紹介したいのが少年のことだと分かったし、その瞬間に嫌な想像が頭を駆け巡る。
「父上。これが例の腹心なの?思ったのと違うというかバカっぽいというか……20点だね」
デザイアの息子だと分かった途端、背筋に走る寒気と怖気がアレクサンドロスの心を冷やした。
「グリード。失礼な物言いは許さん。アレクサンドロスに挨拶するのだ」
「はいはい。分かりましたよ父上。僕の名前はグリード。グリード=オルベリウスだよ。よろしく」
デザイアの命令で吐き捨てるように自己紹介をするグリード。あまりのショックで言葉も出ないリュートを差し置いてアレクサンドロスはさらに深く頭を下げた。
「……はっ。宜しくお願い申し上げます。グリード様」
「へぇ……なかなか切り替えが早いようだね。55点くらいはあげないとダメかな?」
「私の息子だ。生まれたばかりで多少至らぬ点もあるかもしれんが能力は本物だ。私の跡取り候補として成長することを願っている」
「そんな言い方は無いんじゃないかな父上?生まれたばかりなんて関係ない。僕は明日にでもその席に座れるよ」
「まだ早い。それに候補の一人にはスロウがいるだろう?」
「あんな向上心の欠片もない奴が候補だなんてあり得ないでしょ?僕なら……いや僕こそが頂点に相応しいのさ」
グリードはデザイアを睨みつける。その目に野心と向上心を感じたデザイアは小さくフッと笑った。
「そうか……励め」
「ふんっ……言われなくったって勝手に励むさ。じゃあね父上とその部下」
ひらひらと手を振ってグリードは玉座の間を退出する。扉が閉まったのを確認し、アレクサンドロスはスッと頭を上げた。
「デザイア様。つかぬことをお聞きしますが、また女神の欠片をお使いになられたのでしょうか?」
「ふははっ!安心しろ。グリードは私の因子のみで生み出した完全なる私の分身。スロウの時とは違うぞ?」
「なるほど。特に何かの因子を混ぜずとも子供を創造出来るのですね?さすがはデザイア様」
「うむ。グリードの件で呼び出そうと思っていたところでお前の登場だ。良いサプライズよなアレクサンドロス」
「お喜びいただけたのであればこちらとしても来た甲斐があります。しかしながら少々不安に思います」
「ほぅ?何がだ?」
「グリード様の態度でございます。デザイア様と親族であるとはいえ玉座の間でデザイア様に敬意を見せぬのはいかがなものかと……」
「何も知らんのだ。先も言ったように奴はまだ生まれたばかり。これから徐々に覚えていけばよい」
デザイアは頬杖をついて肘掛にもたれかかる。肩を揺らして小さく笑っていることからこの状況を愉快に思っていることだろう。
アレクサンドロスはゆっくりとお辞儀をしながら頭の中でデザイアに罵声を浴びせていた。
勝手に生み出すな。何故問題を増やすのか。何を考えているのか。
上げたら切りが無いほどのデザイアへの不満。能面のように感情を表に出さない姿勢には尊敬の念を覚える。
「──うわあああぁっ!!」
アレクサンドロスは玉座の間の外で聞こえた叫び声に振り替える。「失礼します」とデザイアに一言告げ、外を確認するために急いで扉を開け放つ。
そこには抜け殻のように倒れ伏すデーモンたちの姿が所々に散らばっていた。
「い、いったい……何がっ?!」
アレクサンドロスには見当もつかないがデザイアは知っている。
「早速か。まったく気の早い奴め……」
ボソッと呟いた言葉がアレクサンドロスの耳をかすめる。その瞬間に鳥肌がブワッと立った。
スロウを誕生させた時から頭がおかしいと思ってはいたが、グリードはその比ではない。グリードはスロウと違い、積極的に魔族を殺す。
女神ミルレースに匹敵する災厄の再来。
敵は身近なところにいるというが、まさか自分の主人とは夢にも思わない。思いたくなかった。
グリードの誕生はアレクサンドロスの覇道の終焉を意味していた。




