124、結晶封印
結晶魔法”籠の鳥”。相手を生きたまま結晶化して封印するリュート=パスパヤードの固有魔法。
大儀式によってより強力になり、女神ミルレースを襲う。
──ビキビキビキッ
リュートの魔法発動と同時に女神ミルレースの体が結晶化していく。
「なっ!?何ですかこれはっ?!」
自分の身体に起こった異変に驚愕して結晶化した部分を振り払う。パリパリと砕けたと同時に生じた痛みは肉を削ぎ落としたような想像を絶する痛みだった。
「いやああぁっ!!」
メフィストのようにアルカナを越えて自分を傷付ける攻撃を仕掛ける猛者が現れることを見越して、密かに痛覚を遮断していたミルレースにはあり得ない感覚だった。
結晶化した箇所を払わないように注意すれば結晶化が進行し、払えば激痛に苛まれる。
硬化して動けなくなることに焦りを感じながらも痛みに耐性のないミルレースはどうすることも出来ない。
「私に……私にいったい何をしたぁっ!?」
「暴れないでください。そうして暴れれば痛みは増すばかりです。大丈夫死ぬことはありません。ただちょっとお眠りいただくだけですので……」
「お眠りっ?!まさかこの私を封印しようと?!させません!そのようなこと!させませんよっ!!」
ミルレースは封印に打ち勝とうと本気で力を入れる。空気が震えるほどの慟哭。その瞬間暗い夜の空に歪みが生じ、ガラスの破片のように暗い夜が剥がれ落ちる。剥がれ落ちた空は真っ白に輝き、朝でも昼でもない光が差す。
その光に誘われるようにアルカナたちが一斉にミルレースの下へと移動を開始した。
「不味い!誰でも良い!あの化け物共を一瞬でも止めろ!!」
アレクサンドロスは怒号を飛ばす。しかしデーモンたちは見えざる力で押さえつけられたように動けなくなっていた。
皇魔貴族の一部も同じように女神の発する恐怖に震えて動き辛くなっていたが、封印しなければこの戦いは終わらないし、下手すれば全滅もあり得ると考えた時、男爵以上の位階を持つ皇魔貴族は自身を奮い立たせてアルカナへと向かった。
「怪物をパスパヤードに近付けるなっ!!これを凌ぎ切れば我らの勝利だっ!!」
生き残った面々は自らを鼓舞し、最後の戦いと位置付けて力の限り攻撃を開始した。
幸いアルカナたちはミルレースの下になりふり構わず急いでいるためか、横からの攻撃や邪魔立てに対して反応することがなく、ほんの少しだけ移動を阻害出来ている。
中でも悪魔は他のアルカナに比べれば弱いので、何匹か撃ち落とすことにも成功していた。
アレクサンドロスの仕掛けた罠にミルレースがまんまと嵌り、アルカナに対しても有利に事が運んでいる。士気が直角に向上するほどの高揚感がここにはあった。
後方から命の危険もなく支持を飛ばしている獅子頭を認め、ミルレースの額に血管が浮き、目が血走った。
強そうな見た目のわりに安全圏から命令を飛ばす卑怯者だと心で喚く。
先ほどまで気にも留めていなかったが、こうして自分が劣勢に立たされるとすべてが憎く感じてしまう。
だが今はそんな暇ではなかったと刹那で切り替え、自身の状況に目を向ける。
どうすれば良いのか。
封印されたくないけどこれ以上痛いのは嫌だから動きたくない。
今出現させているアルカナは魔族に邪魔されて到着まで時間がかかる。
メフィストと魔力砲同士で打ち合っているクリスタルをリュートに回すことなど出来ない。
詰みである。
刻一刻と迫る時間。ミルレースに打開策など思いつくはずもなく。
「ぐっ……!?こうなったら仕方ありませんね……!」
ミルレースは胸元まで来た結晶化に焦りながらも冷静に力を入れた。すると先ほど自分で振り払った欠片がふわりと浮いた。
バシュッ
勢い良く射出された欠片はどこか遠くに飛んで行く。攻撃されるかと思ったリュートは目だけで欠片の行方を追った後ミルレースに視線を移す。
「自ら欠片を飛ばすとは……これであなたの封印期間が大幅に伸びましたよ?」
「あははっ!私は布石を打ったのですよっ!封印されるならばあとで封印を解く存在が必要ですからねっ!皇魔貴族に敵対する種族から私の力で勇者が生まれ、あなた方を滅ぼした後に私が復活を遂げるのですっ!!」
「先の欠片程度で何が出来ますか?欠片一つでそこまで出来るとでも言うつもりですか?」
「あははっ!私には多くの信奉者たちがいますからねぇっ!その一人にでも神の言葉を流し込めば命をも捧げるでしょう!ゆえに一つで十分なのですっ!!」
「身勝手なあなたを信奉する者たちですか……変わり者ばかりの集団に何か出来るとは到底思えませんが?」
「う、うるさいっ!!そいつらが何も出来なくたって私の思念がっ!私の因子がっ!必ずや私の復活を目指して邁進することでしょうっ!楽しみにしていてくださいっ!──恋人っ!!」
ミルレースは既に首まで侵食された身で新たなアルカナを召喚する。現れたのはミルレースと同じ姿形をした人型。
ミルレースと同じ身体能力を持つミルレースの複製体。
「置き土産ですっ!あなただけでも死になさいっ!!」
──ドンッ
恋人は出現するや否や剣を取り出して地面を蹴る。ミルレースを結晶化しようとするリュートに切っ先を向け、いち早く貫こうと剣を持つ右手を根限り伸ばして突進する。
しかしリュートは動かない。正確には封印魔法をかけている間は魔力を安定させる必要があるためにこの場から離れられないのだ。
本来ならば封印にここまで時間がかかるものではない。ミルレースの想像を絶する力に圧され手間取っていた。
相打ち覚悟の最終戦。
──ズッ
リュートの見開いた右目に恋人の剣の切っ先が侵入する。間に合わなかったかと思われたその時、パァンッと弾けるように恋人が光の粒子となって消え去った。それと同時にすべてのアルカナが弾けて消える。
パキパキと音を立てて全身が結晶化してしまったミルレース。
リュートは右目から血を涙のように流しながら右手をかざす。その右手を徐々に上にあげると結晶化したミルレースも徐々に宙に浮く。リュートはおもむろに右手を握りしめた。
パキィィンッ
戦場に鳴り響いた甲高い音と共に結晶化したミルレースは砕け散った。
「……死んだのか?」
見事にバラバラに砕け散ったのを見れば死んでしまったのだと思いたいが、今なお強烈に女神ミルレースの力の圧を感じる。並の魔族ならば跪いてしまうだろう圧力に耐えながらメフィストは祈るように質問する。リュートはその問いにゆっくりと首を横に振った。
「申し訳ございませんメフィスト様。この封印魔法はあくまでも解くのが難しいというだけであり、殺すことが出来ないのです。期待させてしまったようで……」
「お、お前……その目は……」
「あ……はい。少々封印に手間取りまして、女神の悪あがきに当たったようです。すぐにも回復魔法をかけますのでご安心を……それよりもメフィスト様にお願いしたいことがあります」
「……なんだ?」
「そこにある女神ミルレースの力の結晶をあなた様のお力でこの世界から隔離していただきたいのです」
「むっ!?こ、これが女神の力を凝縮した……!」
「その通りです。この青い結晶が世界に露出し続ければ数日と持たない内に女神が復活することでしょう。これを彼の異空間への扉で別空間に隔離出来れば女神が今後完全復活することはあり得ません。あなた様が故意に取り出さない限りは……ですが」
「よかろう。すぐに仕舞う」
メフィストは言うが早いか青い結晶を異空間へと仕舞う。その瞬間に先ほどまで感じていた圧力が消え去った。青い結晶が力の源となっていたようだ。
「残りの欠片は予定通り皇魔貴族の方々で一つずつ保管してください。破壊することは女神の復活を早めることにつながりかねないので大切に保管していただくようにお願いします」
「そうなのか?もっと細かく砕いた方が復活を妨げそうなものだが……いや、了解した。こちらでも周知させる」
「ありがとうございます。是非ともよろしくお願いいたします」
リュートは深々とお辞儀をしてメフィストに感謝の意を表す。
「リュート!!」
そこにアレクサンドロスが急いでやってきた。リュートはサッと傷付いた右目を隠し、アレクサンドロスに向き直った。心配させまいとする心遣いだったのだが、右目から溢れ出る血液は片手に収まりきらずに流れ続ける。
「ああ、良かったっ!!生きていたんだなっ!!よしよし、俺が治してやる!ほら手をどけろ!」
「あ……ありがとうございます」
「けっこう深いじゃねぇか……よくやった!お前が居なければどうなってたことか……」
アレクサンドロスは乱暴な口調でリュートを魔法で治療するが、その言葉の節々に愛があった。メフィストはその様子を見ながら邪魔しては悪いと踵を返す。
「おっと、どちらへ行かれるんです?フィニアス様」
その声にピタリと立ち止まる。
「……いやなに、勝利の余韻に浸っていたところだ」
「その余韻は後に取っておいてもらいましょうか」
アレクサンドロスはリュートの右目の治療を終えて女神の欠片へと歩み寄る。方々に散った欠片をアレクサンドロスの魔力でふわりと浮かせる。
「ふむ……とりあえずは半分といったところでしょうか?」
ギャリッと音が出るほど乱暴に握り取る。それにメフィストは焦る。
「おいおいっ!そんな乱暴に……!?」
「大丈夫です。我が従者リュートが生きている限り雑に扱っても結晶同士が反応することはありません。とはいえ破壊は推奨しませんがね。……戦闘直後で悪いがこいつを持ってくれ」
「畏まりました」
無造作にリュートに手渡すと残りの欠片をメフィストに恭しく献上する。メフィストは魔力によって差し出された欠片を自分の元へと引き寄せ、そのまま空中で浮かせたまま維持した。
「先ほどエニグマ内部に入れていただいた青い結晶は二度とこの世に出さないようにお願い申し上げます。それと同時に欠片の保管場所にもお気を付けを」
「分かっている。お前の従者にも口酸っぱく言われたよ」
「さぞうんざりされているでしょうが、これも必要なことゆえご容赦ください」
「心得ている」
メフィストはアレクサンドロスと視線を交し合い頷く。女神ミルレースの復活だけは何としてでも避けなければならない。こんな獣がのさばれば世界が終わる。
「化け物……か」
メフィストは遠い目でアレクサンドロスの後方を見やる。そこにいるであろう最強魔族の姿を幻視しながらサッと身を翻した。
「デザイアによろしく言っておけ。手を貸すのは今回限りだともな」
「どうですかね?女神ミルレースのような存在が一人とは限りません。万が一の場合はまたよろしくお願いいたします。もちろんデザイア様抜きで構いませんので……」
「ふんっ……抜け目のない……よかろう。また何かあればお前から直接会いに来るがよい。この戦いの功労者にはそれなりの報奨を与えねばなるまい。そこの従者も共にな」
「もったいなきお言葉。痛み入ります」
「さらばだ。アレクサンドロス」
メフィストは欠片と共に飛び去った。
どこから現れたのか、何故この世界だったのか、何が目的だったのか。
一切の謎を残したまま女神ミルレースが起こした大虐殺はここで一旦幕を閉じた。




