112、お茶会
「……オルベリウスだと?」
グルガンは頭の中からその名を引っ張り出す。
アルルートの父、メフィスト=王=フィニアスがまだ大公だった頃、時を同じくして大公がもう1人居た。
それこそがデザイア=大公=オルベリウス。
メフィストと皇魔貴族の頂点を争いあった二大巨頭の一角。強さのみにおいて並び立つものが居ないと評された最強の魔族である。
(祖父の歴史書に記されていた皇魔貴族の汚点。生きていることが害だと恨み節があったが……その魔族に娘がいたと?……いや待て。とすると……)
嫌な発想がグルガンの頭を駆け巡る。スロウがデザイアの娘なら、強さの一点において封印され、その力を利用されるのも理解出来るが、そうするとグリードは何なのか。
災厄の1つ『乾きの獣』グリード。それを制御する『獣の首輪』スロウ。関係ないとはとても思えない。
「あっ!おいっお前ぇっ!グルガンじゃないかっ!!」
グルガンがある仮定に行き着いた時、スロウの首に巻き付いたマフラーのような素材の、蛇のようなよく分からない生き物に名前を呼ばれた。
「本当だ。姫様を閉じ込めて幾星霜、のこのこ現れるとは良い度胸だな。アレクサンドロス」
「そうだそうだっ!もう十分利用し尽くしたはずだろがっ!帰れよバーカ!」
スロウに比べて抗戦的なマフラーは喚きながらグルガンに突っ掛かる。
「我の名はゴライアス=公爵=グルガン。アレクサンドロスは我が祖父だから獅子違いだ」
「はぁっ?!孫ぉっ?!孫の代まで俺たちをコキ使おうってのかよっ!」
「僕らはここ”怠タロス”でスローライフを送っているんだ。どうやって入ったのか知らないが、さっさと出て行ってくれ」
「コォ〜ラ。ダメでしょ?みーちゃんひーちゃん。せっかくのお客様に失礼だよぉ〜」
「でも姫様ぁっ!」
「こんな奴……客なんかじゃない」
スロウの言葉にも頑なな態度を見せる2匹のマフラー蛇。しかしスロウがその2匹を黙ってじっと見つめると2匹ともバツが悪そうにそっぽを向いた。スロウは満足げに頷くと手を開いてにっこり笑う。
「ようこそみなさまぁ〜。遠路はるばる私たちの家”怠タロス”へ〜。家の中は結構広いんだけど〜、大きい人もいるみたいだから今日は外でお茶しましょ〜」
「外でお茶って……それ結局僕らが用意するんでしょ?こいつらのためなんかにさぁ……」
「ん〜?そうだよ〜?」
「えぇ〜?!やだやだっ!!」
「むっ……じゃ良いよ〜だ。レッド〜!手伝って〜!」
「え?あ、はい」
レッドはサッと動き出し、スロウが家に入って行くのを追おうとするが、それをマフラーたちが威嚇しながら邪魔をする。
「何をしてるの〜?ひーちゃん?みーちゃん?」
「いや……だって……ねぇ?」
「うん。僕たちの家だ。僕たちで用意するからお客さんは外で待ってなよ」
「あ、えっと……その……」
「ごめんね〜レッド〜。私がお願いしたばかりに〜。すぐに用意出来るから待っててくれる〜?」
「そ、そうですか。分かりました」
レッドはすごすごと後ろに下がった。
「も〜。レッドってば何でそんなに素直なの〜?プラス100点!」
「え?あ、ど、どうもありがとうございます」
レッドは恐縮しながらスロウの評価にペコペコと頭を下げる。
スロウのマフラーが机や椅子を用意しているのを横目にディロンが鼻で笑った。
「はっ!肩透かしもいいところだぜ。あれを倒さない限り真の平和が訪れないだぁ?バカも休み休み言えって感じだぜまったく……」
「ディロンってば甘く見過ぎ。お爺様の必死な顔を見たはずよ?あたいら地竜のボスって言える土の精霊王がビビるって相当なことなんだから」
「そうだぞ。というか君は今回の件に関係ないだろうに……」
「あぁ?この頭でっかちが……俺だってこの世界で生きてるんだ。あの嬢ちゃんが危険ならこの世界の住人として見過ごすわけにはいかねぇよなぁ?それでも関係ないなんて言えるのか?」
「言うじゃないか……というか君は人のことをバカにしないと喋れないのか?」
「オメーが気に食わねぇだけだ」
憎まれ口を叩くディロンに愛想を尽かしながらも、ライトはディロンの肩透かし発言には密かに同意していた。絶対に何かあるとは感じていても、スロウの態度で今一歩警戒が出来ない。見た目に表れない意を消すほどの達人か、はたまた敵意や悪意を消したまま攻撃可能なサイコパスか。
『ふひひっレッドは気に入られたみたいじゃのぅ。なかなか隅に置けん男じゃ』
「まぁ私にとっては当然のことだが、レッドを一目で気に入るとは見所がある。同じように危険視されていたグリードが間抜けだっただけにスロウは一線を画すようだ」
『一線を画す?面白い表現だなゴーレム。俺にはグリードがどんな奴だったのか分からないが、こうして遠目から見ていると貴様が間抜けと評したグリードと大差ないように思えるがね。……スロウを良く知るはずの爺が逃げたせいでこれが普通なのか演技なのかが分からないのが最も不味いことだ。不気味だとも言える。本来の姿を引き出すためにも仕掛けるべきか?』
「いや、刺激すべきではない。グリードは我らの歴史書に書かれるほど暴れ回っていたようだが、スロウは存在そのものが秘匿されていた。推論だが、マフラーの左側が言っていた『コキ使う』という表現と外の封印術式から、皇魔貴族とスロウは協力関係にあった可能性が高い。あの温厚な性格と態度からも積極的に戦ったりはしないだろう。寝ている暴君をわざわざ起こすのは死にたい奴か、それこそ間抜けかのどちらかだ」
グルガンの推察と説得力には皆納得せざるを得ない。しかし何かも分からない存在に対して普通に接することなど不可能。そして厄介なことにグリードの恐ろしさを知っているのがグルガンと逃げたマルドゥクだけであり、目の前で破裂させたレッドと、それを間近で見ていたオリーはスロウを軽視してしまいそうだ。
誰しも逆鱗を持っている。腫れ物を扱うように接していても、誤って触れれば急な戦闘に発展する。お茶会などという地雷原に飛び込むことが果たして賢い行動なのかと悩むことになった。
「は〜い!お待たせしました〜!ど〜ぞこちらへ〜!」
気の抜けそうな声で呼ばれる。誘われた以上、参加しないのは不幸を買いそうだ。この中で最も不敬なディロンさえも黙って指定された席に着く。いつ始まるかも分からない死へのカウントダウンが心の奥で勝手にチクタク動き始めた。
スロウのすぐ左隣にあてがわれたレッドはドギマギしながら席に着く。シャーシャー威嚇するマフラーたちにビクついていたが、スロウのじっと見つめてくる興味津々の視線に恥ずかしさの方が先行して縮こまり、椅子の上で赤面しながら小さくなっていた。
コトッと目の前に置かれるティーカップになみなみ注がれた紅茶の香りが鼻をくすぐる。リラックス効果があるのか、その香りだけで落ち着いてきた。
「私のみーちゃんとひーちゃんが作ってくれたお茶だよ〜。お口に会うといいな〜」
スロウは子供のように笑う。ほんわかした空気に2匹のマフラー蛇がティーカップとお皿を口に加えてスロウの口元に持っていく。自分で飲めばいいものをすべて従者にやらせている感じは浮世離れした王族の雰囲気を思わせた。マフラーたちがスロウを「姫様」と呼んでいるのもその一因だろう。
「あ、美味しい……」
まず最初にお茶を手に取ったのはレッド。その様子を見てオリー、グルガン、ライト、ディロンの順に飲み始める。ウルラドリスとフローラも口にしたのを見て、警戒心マックスだったヴォルケンも口を付けた。味の好みは別れたが、毒の類がなかったことを一様に安心する。もちろん遅効性の毒の場合もあるので油断は禁物だが、ひとまずこの場は丸く治った。
「うんうんっ。みんな素直でよろしぃ〜!プラス100点をあげよ〜!」
ニコニコと笑うスロウとは真逆に顔を引き締めたグルガンが一つ咳払いをした。
「……グリードも同じように点数を付けていたな。貴公らは同じ血族か?」
「グリード!あの子も外に出てるの〜?!懐かしいな〜会いたいな〜……」
スロウは胸に手を置き、昔を思い出すように目を閉じた。この反応からスロウがグリードを大事に思っていたのは確定である。兄妹のような血の繋がりか、はたまた未来を誓い合った恋人か。どちらにしても死んでいるとなればその瞬間に戦闘が始まりそうな空気である。
「あ、その……ご、ごめんなさい!」
スロウの反応にいち早く返事をしたのはレッドだった。
(不味いっ!)
グルガンがレッドの急な謝罪に青ざめる。スロウは首を傾げてレッドを見た。
「ん〜?何が〜?……あっ閉じ込められていることだったら知ってるよ〜。あの子はわがままな子だったから言っても聞かなかったもん」
「いやその、つまりですね……」
「ん〜?」
「保護者のような雰囲気だが、グリードとはどう言う関係性だ?」
グルガンはレッドに被せるように質問した。スロウは右隣に座るグルガンに目を向けた。
「あ〜、あの子は弟だよ〜。グリード=オルベリウスが正式名称〜。アレクサンドロスさんのお孫さんなら時代が時代だし知らないよね〜」
「ああ、まぁ……」
歴史書にもグリードの下の名前は記されていなかった。祖父やメフィストがデザイアの存在を消したがっていたのかもしれない。この世界にオルベリウス姓は存在しないのだと。滅ぼすことを諦め、封印するだけしか出来なかった2体の魔族の最後の抵抗。
「それで〜?レッドは何を言いかけたの〜?」
上手く被せたと思ったが、誤魔化すことは出来なかったようだ。グルガンは今一度声を掛けようかと身を乗り出しかけた時、マフラーに阻まれた。
「お前には聞いてない。邪魔すんな」
「……何か不味いことか?」
口を開くより先に質問の機会すら奪われたグルガンは腕を組んで唸った。
「グ、グリード何ですけど……亡くなったんです。最近……」
「……え?」
レッドの言葉を聞いたスロウはきょとんとしながら次の言葉を待つ。マフラーたちもあまりのことに驚いてレッドを見た。
「どう言ったら良いか……説明が難しいんですけど……」
レッドが当時のことを話そうと頭をこねくっていた時、スロウはレッドの次の言葉を遮った。
「あ〜……いいよいいよ。あの子はいろんなところで恨みを買ってたしね〜。時間の問題だと思ってたよ。誰かに討伐されても文句は言えないかな〜って……お父さんと同じだよ……」
「え……?」
今度はレッドがきょとんとする。その顔を見たスロウは自嘲気味に笑いながら詳細を話し始めた。
「私のお父さんと弟は威張ってばっかで他の方の命を軽く見てたの。そのせいで無茶苦茶やってみんなを不幸にしてた。私は何度かグリードを止めてたんだけどそんなの聞く子じゃなかったし……それで私の力を使って2人を止めようってなった。私の代わりに止めてくれるって言うから……」
「そ、そんなことって……」
「グリードと私の関係を知らなかったってことはお父さんがもういないってことだもんね。だとしたらグリードも調子に乗っただろうし……はぁ〜っ……私1人になっちゃったかぁ〜」
急にいたたまれない空気が流れる。レッドは自分がグリードを見殺しにしてしまったことを深く後悔した。まさか自分の軽い言葉で死んでしまったなどと言えるはずもない。レッドは思わずスロウに話しかける。
「じゃあその……もしよかったらなんですけど……俺がその、と、友達に……いや、俺のチームに入りませんか?」
「……へ?」
全員耳を疑った。口にしたレッド自身も。




