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2.お茶会

談話室はソファとテーブルが数セットずつ置かれている、行内でもシンプルな作りになっていた。長時間の歓談を目的として設計されているから、テーブルは広めだ。

 イゾルダはそこにティーセットを広げ、紅茶の支度をしていた。ヴォルフの目には指先一つの動きまできれいに見えてしまうのだが、いわゆるナントカは盲目という奴だろうか。

「どうぞ、アールグレイでも構わなければ」

「ありがとう。いただくよ」

 なんともいい香りで、これは絶対に茶葉だけのせいではない。

「で、お話というのは」

「ああ……ええと。特に話題があったわけではないんだ。ただ、雑談がしたいと思って」

 ヴォルフはカップを置いて、ばつが悪そうに微笑んだ。

「……わたくしと?」

「ええ、貴女と」

 揺れた紅茶に、彼女の顔が映る。戸惑いのような、喜びのような……複雑な表情だった。

「困らせてしまいましたか?」

「いえ、困ってはいません。……ただ」

「ただ?」

「そのようなことを言われたのが、初めてだったもので。少々動揺しております」


視線が合わないのは、彼女がうつむいてしまったからだ。

ヴォルフはお茶菓子をひとかけら、口にした。かかっていたクランベリーのソースが甘酸っぱい。

「なら、俺と同じですね。俺も、このようなお誘いは初めてで緊張しているので」

 ヴォルフの発言に目を丸くしたイゾルダは、大人びた見た目と裏腹にどこか年相応のあどけなさを感じさせた。

彼女のことを、今日初めて見たというわけではない。以前から姿だけなら見かけていたし、『イゾルダ・ポルトラニ』という名も耳に入っていた。それらが一致したのが、今日だった。

「わたくしのことは、ご存じなのですよね」

「イゾルダ・ポルトラニの噂なら、耳にしています。教会生まれなのに聖力を持たず、神官学校へは行けなかった。代わりに王立中央学院へ来ることになったのだと」

 きつく結ばれた紅色の唇は、何も言わない。

「そしてその腹いせに令嬢に嫌がらせをして回っている、悪女だとも」

「……ならばなぜ」

「でも」

噂はあてにならないと、これは今日、心底思った。


噴水での出来事、ちょうど数時間前のことだ。職員フロアへと歩き、天窓から差し込む朝日に目を瞬かせているところ、話し声が耳に入ってきたのだ。そこではリリアナと呼ばれる女生徒と、銀髪の女生徒が言い合いをしている場面であった。

貴族ならば当然の礼儀作法さえ行えていなかったリリアナに、銀髪の女生徒はきつい物言いながらも正しく指導をしていた。

(……あれは確かにイゾルダ嬢だった)

 銀髪の女生徒、イゾルダは、確かに冷たかったかもしれない。しかしヴォルフが見た限り、彼女が言っていることに間違いはなかったし、嫌がらせでもなんでもなかった。

 あの時はまさか、職員フロアからの帰りにこんな場面に遭遇するとは思ってもみなかったけれど。

「今日言いがかりをつけていたのは、貴女ではない」

 その事実をわかっている人間がどれくらいいるのかはわからない。しかし少なくともここに一人、存在しているということは伝えておこうと思った。

イゾルダは先ほどよりも大きく目をまん丸にして、それからその瞳を隠すようにカップを傾けた。小さな宝石をちりばめたようなそれが、とてもきれいだった。

 小さくつぶやいたその言葉は、しっかりと彼女の耳に拾われたらしい。

「? ……ああ、これは隣国の陶器で」

「いえ。カップではなく、イゾルダ嬢の瞳が。先ほどあんまり目を見開くから、輝いていることに気が付いてしまいました」

「……もしかしてわたくしを馬鹿にして?」

 途端。さっきまで好意的だった彼女の態度が、一気に硬化した。瞳には冷ややかさが混じり、瞬き一つで空気が凍り付きそうなほどだ。ヴォルフの背筋につうと汗がつたった。

「いえ、そういう訳では! 断じて」

「今までそのようなことを言う殿方はおりませんでしたから。実家の縁を期待しているのでしたらあてが外れておりますので」

「違います。どうか誤解しないで……」

「冗談です」

「え」

「冗談です。……失礼いたしました。わたくしは冗談を言うのに向いていないようですね」

 イゾルダはそう言って空になっていたヴォルフのカップに紅茶を注いだ。ヴォルフは、ならば自分は冗談を見分けるのが向いていないと、安堵して笑った。

「よかった、不快にしてしまったかと思いました」

「まさか。むしろ逆で、感謝しております。今まで貴方のように接してくれた方はおりませんでした」

「俺以外の男は見る目がないということですね」

「あはは」

 初めて声を立てて笑ったイゾルダは、花が咲いたようだった。こちらもつられて笑顔になってしまう。

「は……失礼しました。はしたなく」

「どこがですか、素敵なのだから、もっと笑えばいいのに」

「……冗談はおやめください」

「あいにく俺は冗談が得意ではないんです。お揃いですね」

 鐘の荘厳な音が聞こえてくる。式典前の合図だった。談話室にいた生徒たちは、一斉に部屋を後にする。ヴォルフたちも、空のティーセットを片付け始めた。といっても、ひとまとめにしておくだけだけれど。

「そういえばイゾルダ嬢、学年は」

「最終です」

「ああ。じゃあ俺と同じですね」

 別れ際になって、役職はどれを選んだ、とか、好きな食べ物はなんだ、とか。聞きたいことが山のように頭を駆け巡る。今聞いておかなければ、相当数の生徒、相当数の授業があるこの学院内で再び今のように顔を合わせられるとも限らない。

「女性のことを根掘り葉掘り聞くのはよくありませんよ、マナー違反です!」と、いつだか聞いたメリアのセリフを思い出して、ぐっとこらえた。

「教室で」

 誰もいなくなった談話室に、イゾルダの声が響く。声量は変わらないはずなのに、さっきよりも大きく聞こえた。

「教室でお会いできたら、いいですね」

「……!」

最後に重ねようとして、カップを落としかけた。とっさにつかんだヴォルフを、誰か褒めてほしい。

 タイミングよく、こんこんとノックの音がする。

「イゾルダさん、いますか?」

「ああ、友人が来たみたいです。……今、友人いたんだ、って思いましたね」

「⁉」

「冗談です。……それでは」

 扉から顔をのぞかせたのは金髪を肩で切りそろえた女生徒だった。ヴォルフの顔を見て、ハッとして会釈をする。

「迎えに来てくれてありがとう、リタ」

「どうか気にしないでください、さっき噴水広場でトラブルがあったって聞いて、勝手に来ただけですから。遅かったみたいだけど」

「それこそ気にすることではないわ。さ、行きましょうか」

「はい!」

 彼女の友人はリタというらしい。貴族らしくない短い名前であることからして(貴族は濁点や伸びる音、長い音を好むのだ)、きっと平民クラスの生徒だろう。

 二人を見送ってから、ヴォルフはその場にしゃがみ込む。

「……あれを神経毒女なんて、誰が言い出したんだ」

先ほどの彼女のセリフ。彼の耳には、どこか確信めいて聞こえたのだ。まるでまた教室でと言っているような、そんな風に。

(きっと役職は異なるから、気のせいだろうが)

二度目の鐘が鳴った。急がなければ式典に遅れてしまうと、談話室を出た。すれ違った生徒に熱があるのか心配されたことは、誰にも言えない。


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