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1.衝撃

 肌を打つ乾いた音が、ヴォルフの耳にはパーカッションの奏でる音楽に聞こえた。

「言葉が通じないものには、こちらも言葉を使う必要などありませんね」

 はしたないと咎められるかもしれない。けれど我慢などできるはずもない。ぞくぞくとしたものがヴォルフの背筋を駆け抜けていった。今自分が目にしたのは、芸術家が生涯を賭して作り上げた芸術品だ、と。

「あなた方が今わたくしにしている行いは、無礼なことだと自覚しなさい」


『鎌首をもたげた蟒蛇のように立ち、尻尾を反らせた蠍のように座り、長い足を自在に操る毒蜘蛛のように歩く』


 彼女を知っているものはみな、イゾルダをそう形容した。


 聖水の代わりに神経毒をまき散らす女。

 稀代の悪女、イゾルダ・ポルトラニ。


 しかしヴォルフは、彼女が悪ではないと知っている。



 ***


(……ああ、頭がガンガンしている)

 熱はなるべく出したくないものだと、ヴォルフは痛感していた。高熱を出してから数日、いままで無駄に健康だった反動なのか、今回はなかなか簡単に治ってはくれなそうだった。

「んん……明後日から春の学期が始まるというのに。いつまで寝込めばいいんだ」

 寝ているのも過ぎると飽きるのだ。ヴォルフはうなりながら寝返りを打つ。布団は心地いいが、彼は寝ているより体を動かしているほうが向いている男だった。

 広い自室の中、窓側を向けば、プレゼントだと兄から与えられた自分の剣が目に入る。入っている紋章は、『騎士』のもの。

 騎士。王に最も近い位置での護衛を任される任命職。

「……はあ」

 皆に期待されていた。過去形だった。

 ヴォルフガング・バルシュミーデは代々続く騎士の家に生まれた男子である。一家始まって以来の剣の才能を持っていた彼は、幼いころから騎士になるべく様々な教育を施された。そして期待以上の成果で周りに応え続けてきた。

 この国では、貴族に生まれたものは学院で最終学年に上がると同時に成人となることが定められている。加えて成人になると同時に、与えられた適性の中から役職を選ぶことも。

(……状況から見て、皆俺は騎士を選ぶと思うだろう。当然のことだ)

 だからヴィルフの兄も紋章入りの剣を祝いの品として与えた。

 けれど彼が選んだのは、『宰相』の立場。

「……頭痛がきつい、な」

 頭が痛い。割れそうに痛い。思考を妨げるほどの厄介な痛みだ。

 ふいに見た窓の外は強い夕日の色をしていた。もうそんな時間なのかと、落ちていく意識の中、彼は思う。

 その晩、ヴォルフは夢を見た。


 とにかく頭が痛かった。

 殴られたのだとわかったのは、周り中に血が飛び散ったからだ。制服も、鞄も、俺が倒れたコンクリートも血で汚れていく。

 何か聞こえている。恨み言のようだったが、あまり意味は理解できなかった。政治家をしていた親父に恨みがあることだけはわかった。

 意識が遠のいていく。目はとうに見えなくなっていた。まともなのはきっと聴覚だけで、叫び声とやまない恨み言、そして救急のサイレンだけが、最後に残った。


 ばちっと、効果音がするかのような勢いで目を開けた。夢から覚めたヴォルフは、やけにはっきりしている頭で、もう熱は下がっていると考えた。体は軽く、頭痛もなかった。

 窓の外はまだ暗い。時計の針は深夜を指していた。枕元には、仲の良いメイドが残したメモが残されていた。夜食が食べたくなったらベルを鳴らせという内容に、メイドらしいなと笑う。目が覚めたら、ではないところに慣れを感じたのだ。

(寝起きはすこぶる機嫌が悪いから)

 体も寝間着も寝汗で湿り切っていた。着替えようと全身鏡の前に立つ。

 そこに映っているのは長身で金髪碧眼の青年だ。いつも通りのはずであるその容姿が、今は落ち着かない。

「……ああ! 落ち着かなくて当然だ」

 ヴォルフが見た夢は、夢であって夢ではない。

 眠っている間に脳が見せる現実味のある幻覚、という意味では、確かに夢である。しかしその現実味のある幻覚は、最初から最後まで過去起きた実際の出来事、それも彼が経験してきたことで、ならばそれは幻覚とは呼ばないだろう。

 ただし、その体は『ヴォルフガング・バルシュミーデ』のものではなかった。

(国の名前は「日本」……俺の名前は鏑木祐樹で、頭を殴られて死んだ。つまり、前世)

 ヴォルフは、いわゆる転生者である。

(頭がはっきりしているのに回らないというのは、なんなのだろうな。……ひとまず)

 気持ちの悪い服を脱いで、枕元に置かれたベルを鳴らす。着替え終わったころに、外からぱたぱたと足音が聞こえてきた。

「ヴォルフ様。メリアです」

「ああ」

 返事のあと、少ししてから扉が開かれる。

「失礼いたします。……まあ、ずいぶんと顔色がよくなったのではないですか?」

 メリアはヴォルフ専属のメイドだった。歳は彼女のほうが少し上で、姉弟のように育った。茶色の髪を一つに束ねただけで、エプロンもつけていない装いを見ると、おそらく眠っていたところ起きてきたのだろう。

「寝て起きたら、もうすっかりいいみたいだ」

「よかった。スープと軽いパンをお持ちいたしました」

 自室の小さなテーブルにトレイが置かれる。オニオンと小麦の良い香りが漂ってきて、ヴォルフの空腹はじわじわと明確なものになっていった。

「ありがとう。食べたら自分で下げるから、メリアは寝ていてくれ」

「叱られてしまいます」

「では食べ終わるまで話し相手をしてくれないか。糖分を入れて、しっかり整理したいことがあるんだ」

「それでしたら、このメリアにお任せください」

 椅子に腰かけ、メリアにも座るよう促す。一口、スープをすすった。ホッとする味に心が落ち着き、冷静なようで動揺していたのだと自覚した。

「……ふう」

「落ち着かれましたか?」

「ばれていたか」

「姉のようなものですから」

「はは、それはそうだ」

 それから、ヴォルフは一つ一つ、順序だてて夢、前世のことをメリアに語った。


 前世は日本という異世界に生まれていたということ。

 政治をする父のもとで育ったこと。

 十八になる春、何者かに頭を殴られ死んだこと。

 おそらく犯人の、父への怨恨が原因だろうということ。


 黙って最後まで聞いてくれたメリアに、ありがたいとヴォルフは心底思った。前世だの、異世界だの、頭がどうかしたと思われても仕方がない。

(高熱明けの者が言うことだから、余計に信じられないだろう)

 メリアは黙ったままだった。スープとパンがただ減っていく時間を過ごしている。

 最後の一口を飲み込んだところで、彼女が口を開いた。

「それは、驚かれましたね。私も吃驚して、なんと返したらよいか悩んでしまいました」

「俺がおかしくなったとは思わないのか」

「思いません。そういうこともありますよ、世界は広いのですから。……一つ、よろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 鼓動が早くなる。

「あなたは誰かと尋ねられた時、どうお答えになりますか?」

 誰か、と。そんなもの、と、そこまで言いかけてヴォルフははっと口をつぐんだ。メリアはヴォルフの意識が今か、過去にあるのかを問うているのだ。

 ヴォルフはメリアの目を見つめて、はっきりと告げた。 

「俺はヴォルフガングだ。騎士の家に生まれて宰相になることを選んだ期待外れの男だ」

「ふふ。……わかりました」

 メリアは納得したのか、トレイを手に取って立ち上がった。そのままおやすみなさいと、いつものように言って部屋を出た。

 誰もいなくなった部屋で、ヴォルフは一人、意外な思いを新鮮に感じていた。前世だと認識したら、意識も前世に引っ張られると、自分でもそう考えていた。

 けれど実際はどうだ、まったく影響などない。強いて言うなら、この世界は日本よりも文明が遅れていると思ったくらいだ。

 高熱は下がった。前世というトラブルはあったが、些細な事だった。ならば次に自分がすることは、明後日(もう明日だが)の支度に限る。

 目が冴えてしまったことだしと、ヴォルフは窓のカーテンを開けた。

 月が、輝いていた。


 あくる日、ヴォルフは早めに学院へと足を運んでいた。最終学年の代表……つまり成人の代表として、挨拶をすることになっているためだ。

 騎士にならないくせにと、朝から父に嫌味を言われたが、そんなことを気にしていたらキリがない。ヴォルフは耳から耳へ聞き流し、それなりに量があった朝食を胃に落とした。

 そして、ヴォルフはあの夜以上の衝撃と出会った。


***


ぱん。

「……!」

乾いた音が噴水広場に響く。頬を張ったその音は、実にいい音だった。

「……っ、何をなさるのですか⁉」

叩かれた女学生の、甲高い声がよく響く。


「彼女」は、毅然とその場に立っていた。

長い銀髪が風になびく様子はどこか誇らしげで、見るものを否応なく引き付けた。自分に敵意を向けた同級生を見据える瞳も、言葉を紡ごうと開きかけている唇までも、その魅力を引き立たせている。

「言葉がわからないようでしたので、行動で示しました」

響いたアルトに、校舎裏、噴水広場の脇に居た数人の女学生が身をすくめる。叩かれた女学生とともに体を寄せ合っていて、その場面だけ見かけたらきっと、彼女が女学生たちをいじめているように思うだろう。


その様子を、ヴォルフは見ていた。

ことわっておくが、彼は決してミーハーな性質ではない。美しい女性や珍しいものに興味がないわけではないが、かといって片端から見に行くことはしなかった。そのような下卑た行いは、我々のとる行動ではない、と育てられたからである。

けれど今、この時ばかりは、騎士の教え、価値観に背かざるを得なかった。それほどまでに、彼女の姿は、美しさは、そしてその堂々たる姿勢と思考は――ヴォルフを魅了した。

「示したって、何を」

 おずおずと、女学生が続ける。

「侮辱されたわたくしは傷ついた、ということを」

イゾルダは頬を張ったことによって乱れた自らのカフスを直した。そこには校章が刻まれている。

王立中央学院。ここは貴族と平民がともに学べる、国唯一の機関だ。校内設備も国一で、選ばれた貴族と、優秀な平民のみが通える場所。もちろん広さもあり、どこを通っても生徒でにぎわっている。

そんな学内でも人が少ないといわれる、校舎裏の噴水前。イゾルダの平手打ちが実に見事なものであったからか、それなりに野次馬が集まってきている。

「それで、まだ、他にわたくしに言いたいことはあるのでしょうか」

「……だから。先ほどから言っている通りです。リリアナ様に謝罪してください」

 言いたいことはと問われるままに、髪にリボンをくくっている生徒が声を上げた。

「なぜ」

「リリアナ様は泣いておられました!イゾルダ嬢にキツいお言葉を浴びせられたと……何もしておられなかったのに」

ふむ、あの堂々たる彼女はイゾルダという名前らしい。そしてどうやらリリアナと呼ばれる生徒の取り巻きが、彼女に迫っているようだった。

(止めに入らなければ……彼女が誤解されてしまわないように)

ヴォルフは廊下の柵をひょいとまたいで、噴水へ歩いていく。

「傷ついたのは、リリアナ様です!」

「わたくしはリリアナ嬢の誤った仕草を注意しただけです」

「あれは注意ではなく嫌がらせの言いがかりでした!」

「ならばこの世の礼儀作法はすべて嫌がらせの言いがかりですね」

「なんですって!」

言い合いはどんどんヒートアップしていき、野次馬もひやひやしているようだった。ヴォルフは、深呼吸を一つしたのち、彼女らの間に手を割って入れた。

「そこまでにしておいで」

 周りの視線が一斉にこちらを向いた。

「廊下まで声が響いていた」

 そう言えば、彼女たちはぎくりと体を震わせる。

「あなたは、ヴォルフガング様……これは、その」

「皆が君たちを心配しているから。話し合いたいなら談話室がある、一緒に移動しよう」

 促したところで、女生徒たちはやっと周りの空気に気が付いたのだろう、騒々しい足音を立てながらその場を去って行った。一礼を忘れていなかったのは、腐っても貴族の令嬢ということか。合わせて野次馬も解散していく。

「……」

 イゾルダも、解散していこうとする人間の一人だった。

「あ」

 思わず声が出る。呼び止めないと、と強く思った。

「まって。イゾルダ嬢」

「……何か」

(まずい。つい引き留めてしまった)

呼び止めないと、と強く思いはした、のだが。ほぼほぼ衝動の行いで、ヴォルフにこれといった用事などなかった。

「……貴女と話がしたい。時間はありますか」

 用などなくて、言い訳も思いつかないなら、素直に伝えるしかない。顔に感情が出てはいないかと、ヴォルフの心にはそればかりだった。振り向いた彼女の視線が自分に向く。

(緊張するな、これは。思ったよりも)

 沈黙は時に薔薇の棘よりも鋭くこちらを刺してくるのだ。

「わかりました。では、談話室に」

 必死の誘いをこうも簡単に受け入れられると、かえって戸惑うものだと、ヴォルフはこの時初めて知った。



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