表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ホラー

うちの娘が帰りません

作者: 鞠目

 18時。

「何時だと思ってるのよ……」

 門限を過ぎたのに何の連絡もなく、未だ家に帰らない娘の朱莉(あかり)に私は腹が立ち始めた。夏は日が長いとはいえ、暗くなり始めると一気に真っ暗になる。だから、私は何度も「門限までに帰るように」と朱莉にいつも言い聞かせてきた。それなのにあの子はすぐ門限を破る。

 小学四年生。高学年になり気が大きくなったのか、それとも反抗期なのか、朱莉は最近約束を破るようになった。子どもにはそういう時期もあるとママ友は言うが、門限はちゃんと守ってほしいし、守らせたいと思うのは親の我儘になるのだろうか?

 門限から30分も過ぎているのに、携帯には何の連絡もない。私は玄関から鍵が開く音がしないか耳を澄ませながら夕飯の支度を続けた。


 18時15分

 朱莉はまだ帰らない。今日は学校の裏の公園でみんなでゲームをすると言っていた。夕飯の支度は済ませたし、外も暗くなってきたので私は朱莉を迎えに行くことにした。

 旦那が帰るのはいつも19時ぐらい。もう少し早く帰ってきてくれたら迎えに行ってもらえるのに、そんなことを考えながら家を出て玄関の鍵を閉める。

 家を出る前に『今どこにいるの?』と、さっき送ったメッセージを確認したが、まだ既読はついていない。もしかして何かあったのかしら? そんな嫌な予感が頭を過ぎる。

 自転車に乗り、朱莉の通学路を急ぐ。家に帰る時は街灯があって人通りが多い道を通るようにと、私も旦那もいつも朱莉に言っている。反抗期でも怖がりなあの子ならきっとこの道を通るはず、私はそう信じて自転車を走らせるが朱莉の姿はどこにも見えない。


「あら、橘さん。こんばんは。こんな時間におでかけ?」

 車が近くにいなかったので、赤信号の横断歩道を信号無視して渡ろうとした時、後ろから声が聞こえた。振り向くと斜め向かいに住む関本さんが電信柱に隠れるように立っていた。関本さんは、一人暮らしのお婆さんで、よくボランティアの地域清掃や夕方の見回りをしてくれている。

「こんばんは、ちょっと子どもを迎えに行ってきます」

 信号無視をしようとしたところを見られた私はバツが悪くなり、すっと目を逸らしてしまった。

「そう、じゃあ気をつけてね」

 関本さんがそう言い終えると同時に信号が変わったので、私は逃げるように「ありがとうございます」と言って信号を渡った。信号を渡っている時は何も思わなかったけれど、少ししてから関本さんの様子がなんだか引っ掛かった。

 何かはわからない。顔はよく見えなかったけれど、あれは関本さんだったはずだ。なのに何かがおかしかった気がする。薄い紙で指を切った時のような、じくじくとした不快さが胸に残る。


 さっきまで明るかったのに、周りは急速に暗くなっていく。時計を見ると18時30分になろうとしていた。学校までもう少し。普段なら駅が近いこともあり、学校や仕事帰りの人たちが通る道なのに、今日は私以外誰もおらず、見かけたのも関本さんだけだ。

 小学校の近くの小さな横断歩道に着く。私が着くと同時に信号が赤に変わった。信号の向こう、暗闇の中に人気のない校舎が見える。

 私の他に通行人はなく車も見当たらないが、さっきの一件があるので、私はちゃんと信号が変わるのを待った。

 一分ほど待っていると、右斜め上に見える信号が点滅し始め、間も無く信号が変わるのがわかった。

 もう変わるであろう目の前の信号を見ると、信号機の柱の後ろに子どもが隠れているのに気がついた。ネイビーの半袖シャツに黒のスカート、顔は見えないが私は隠れている子どもがすぐに朱莉だと気がついた。

「朱莉、何時だと思っているの? 早く帰るわよ」

 私は信号が青に変わると同時にそう声をかけ、横断歩道に向かって自転車を漕ぎ出した。でも、横断歩道に入ってすぐに足を止めた。信号の柱に隠れる子どもが、急に朱莉じゃないような気がしたのだ。理由なんてない、ただの直感だ。

「朱莉? 朱莉よね?」

 不安になった私は、横断歩道を渡るのをやめてその場から声をかける。すると、私の声に反応したのか信号機の柱からすっと子どもが顔を覗かせた。

 子どもの顔を見た瞬間、私は自分の顔から血の気が引くのを感じた。


 左側半分だけを覗かせた子どもの顔の形は朱莉とそっくりだった。でも、左目の下に同じ大きさの目が二つ、縦に並んでいて、三つの目はまっすぐ私を見ていた。


 私は意図せず「ひっ!」と、小さい悲鳴のような声を出していた。その瞬間頭が働かなくなったけれど、私は無我夢中で自転車をその場で反転させ、家に向かって全力でペダルを漕いだ。

 あれは朱莉ではないし、近寄ってはいけない。全身に鳥肌が立ち、本能が危険を告げる。もし信号を無視して渡っていたら……何が起こるかなんてわからないけれど、恐怖が濡れた布のようにべたりと体中にまとわりつく。

 通り慣れた道なのに、何故だか今は果てしなく感じる。涙でぼやける視界には、相変わらず私以外の通行人は見えない。家には確実に近づいているはずなのに、漕いでも漕いでもこのまま帰れないような気すらした。


 なんとか家に帰ると電気がついており、玄関には朱莉と旦那の靴が並んでいた。二人とも帰ってきている。私は安心して、思わず靴も脱がずに玄関に座り込んでしまった。

 私が玄関で動けないでいると、二人が心配して出てきてくれ、「どうした? そんな顔して」と旦那が声をかけてくれた。

「こんな時間までどこに行ってたのよ!」

 私は朱莉がちゃんと帰宅していたことにほっとした反面、心配して迎えに行った結果意味不明な出来事にあったという怒りから、気がつけば朱莉を怒鳴りつけていた。

「え、え? どこって公園に行くって言ってたでしょ?」

 突然怒鳴られて驚いたのだろう。朱莉はびくっと体を震わせてから戸惑いながら答えると、旦那の後ろに隠れるように下がった。

「何もそんなに怒鳴ることはないだろう? それに連絡したじゃないか。帰りに朱莉と会って一緒にコンビニに寄って帰るから18時20分ぐらいに帰るって」

 呆れた顔で旦那は私を見ると、朱莉を庇うようにそう言った。連絡? そんな連絡は来てなかったはず。私は慌てて携帯を確認すると旦那からのメッセージが三つ来ていた。

『今日は早く帰れそう』

『帰り道で朱莉と会ったから一緒に帰るね』

『コンビニでビールを買って帰るから18時20分ぐらいに家に着くよ』

 私が確認した時にはなかったメッセージが旦那から送られていた。家を出る前に見た時にはなかったのにどうして? 意味がわからない。ちゃんと確認していたのに。

 それから気になることが一つ。18時20分に二人が家に着いていたなら、どこかですれ違っていたはずなのだ。なのに、私は二人を見かけていない。本当に18時20分頃に帰ってきてたのかしら? 私は二人を疑った。

 しかし、そんな私の疑いはすぐに解消される。


「なあ、詩織はどこに行ってたんだ? 家のすぐ近くですれ違った時、声をかけたの気づいてなかったろ?」

 旦那に言われたことが、私はすぐに理解できなかった。すれ違った。すれ違った? そんなはずはない、だって私は関本さんにしか会わなかったんだから。

「お母さん、私たちが呼んでも見向きもしないで自転車で走って行っちゃったんだよ? だから何かあったのかなって私たち心配してたんだから」

 不安そうな顔で言う朱莉の顔を見て、二人が嘘をついていないと私は悟った。でも、今度は新たな疑問が生まれる。家を出てから誰ともすれ違ってないと思った私は、一体何を見ていたの?

 私は二人に出かけた訳を説明した。そしてどうして今、こんなに慌てて引き返してきたのかも話した。ただ、朱莉に似た何かを見たとは言えず、そこは『女の子の姿をした何か』と誤魔化して話した。

 私が話し終えると重苦しい空気が玄関を包み込み、三人とも何も言い出せなくなってしまった。こんな時こそ、空気を変えるような気の利いたことを旦那に言ってほしいのに、彼は口をぐっとつぐんだままだ。

 私は旦那からの発言を諦め、「ごめん、私がちょっと疲れて変だっただけね」と言いって家に上がった。そして、この一件を無理矢理無かったことにしようとした。

 そんな私の考えを察したのだろう。旦那も朱莉も私のペースに乗ってきて、いや、乗ってきてくれた。二人とも「そうだよ、疲れてるんだよ」なんて言って愛想笑いをしてくれた。しかし、私たちの努力も虚しく、無かったことにすることは許されなかった。


 私たち三人がリビングへ移動しかけた時、インターフォンが鳴った。突然の音に私たち三人は体をびくんと震わせてしまった。誰が来たんだろうと思い、私はドアスコープを覗くと外に関本さんが立っていた。


「こんばんは。ごめんなさいね、こんな遅くに。でも、渡すなら早い方がいいと思って」

 ドアを開けると関本さんがたくさんの紙袋を持って立っていて、「はい、これもらって」と言って、そのうちの一つを私に差し出した。

「こんばんは。ありがとうございます。あの、これは一体?」

 受け取った紙袋の重さにびっくりして、私は慌てて中身を見た。すると中にはキュウリにトマト、ナスやオクラにピーマンといった美味しそうなたくさんの夏野菜が入っていた。

「これ、私の実家の野菜。一昨日からちょっと顔を出しに行ってたのよ。それで今朝収穫した野菜をたくさん持って帰ってきたから、ご近所さんにお裾分けしようと思ってね」

 関本さんは、「見た目が悪いのもあるけど無農薬だから安心して!」と胸を張った。こんなにたくさんあれば今週は野菜を買わなくて済むだろう。私は関本さんにお礼を言った。

 お礼を言い終えて、ふと、関本さんはさっき信号の所で何をしていたんだろう? と気になった。

 そんなプライベートなことを聞いちゃいけないと思ったけれど、我慢できなかった私は「そういえば、さっき交差点でお会いした時何をされてたんですか?」と聞いてみた。


「交差点? いないわよそんなとこ。私、今さっき駅からタクシーで帰ってきたところよ? 野菜を収穫しすぎて歩いて帰れなくなっちゃってね」

 にこにこと笑いながら「きっと人違いよー」と言う関本さんを見て、私は「そうだったんですね」としか言えなかった。その後、関本さんと少し話したけれど、話の内容は覚えていない。


 関本さんが帰った後、後ろを見ると旦那と朱莉が立っていた。関本さんと私の会話は聞かれていたみたい。二人の顔を見て、私は夕方の一件を無かったことするのはもう無理なのだと理解し、目を閉じて大きなため息をついた。


 私はこれからどうしたらいいんだろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)別次元空間をリアルに体感したお話ですね。その感じが分かり易く物語として描かれていたと思います。 [気になる点] ∀・)こういう事って僕も2~3回ぐらい経験した覚えがあります。でも気に…
[良い点] 感想追加ですみません。大変失礼かもですが、読後すぐはあんまり怖くない気がして、ラストもぼんやり系なので評価はあえて入れなくて、でも電柱とかその背後のイメージとかが時間差で視覚的によみがえっ…
[一言] ラスト一文、主人公に、心中お察ししますとお伝えしたい……。仕事終わりの夕暮れ時、手押し車のお婆さんをかなりの高頻度で見るのですが、暑い日だろうと普通にいます。1人のときもあれば、お婆さんが2…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ