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91.幼女と少年と、無彩色の図書室。

 天井が低く、古書特有の独特な臭いが室内に立ち込め、外の光が入らずに薄暗く、何処かじっとりとして埃っぽく陰気な雰囲気。

図書室(ビブリオテック)と云う単語を耳にして思い浮かべるのは、大体このようなイメージのどれかではないだろうか。


けれども、今現在3歳の少女と7歳の少年とが居るこの図書室(ビブリオテック)には、そのどれもが全く該当せず、一切見当外れとなってしまうのだった。


天井はどこまでも高く、室内に満ちるのは新品の書物が放つ清涼さを感じさせる芳香、窓がないにも関わらず最奥隅々までが眩しくない丁度良い光度の光で満たされており、大量の書物があるにも関わらず湿気とは縁遠く、どこまでも書物にとって快適な一定の温度に保たれており、殆どが白で統一された室内には明るく軽やかな雰囲気が溢れかえっており、快適な空間としか云いようがない。


そして図書室(ビブリオテック)には欠かせない主役、室内を360°、どの方向を見ても、どこを見渡しても、必ず何かしらの本がある。

入ってすぐに見えるのは本、…踊り場を歩いていても視界に映る本、……階段を降りきった先に見える景色にも必ず本!!

本が視界に入らない場所が見つけられないほど、清掃清潔・整理整頓が行き届いた書物が広大な室内に溢れかえっている。


そして勿論のこと、その書物は全て、1冊も余さずに、決められた書架へと綺麗に収められている。

ただ、その書架の数だけでなく規模さえも尋常ではない、というのがここで留意すべき特異な点だった。


本が満タンに詰まっているのは当たり前で、そんな書架が大量に、ざっと見える範囲だけでも、20架はくだらないそれらが所狭しと等間隔に並び立ち、そのどれもが階を隔てる天井へと到達する程の高さがある。

しかも天井と書架の境目が遠目からはまったく判別できないのもまた特異な点で、もしかしたら何かしらの魔法で天井や壁と一体化させてあるのかもしれない。


何にしても、これこそ正に、書架の絶壁ファレーズ・ド・ビブリオテック、圧巻の一言に尽きる光景だ。


 ーーさっきエリファスお兄様が教えてくださった通り、どの書架をとって見ても……ホントに見事な絶壁っぷりだわ!! でも…そろそろ限界、兎に角首が痛い!! 長々と見上げすぎて結構ヤバイ、このままだと間もなくぶっ倒れそう!!ーー


この図書室(ビブリオテック)に足を踏み入れてからずっと、驚きっぱなしなのだ。

想像し得なかった光景に開いた口が塞がらない状態で、調子に乗って興味津々と見上げ続けすぎてしまった。

これ以上見上げ続けたら本当に倒れかねないので、慌てて首の角度を平常の位置に修正する。


そうしてからある事に気が付き、慌てて止めてしまっていた足をせっせこ動かして、はるか先を行ってしまった次兄の背を追いかける。

パタパタと軽い靴音を響かせて一生懸命早歩きしても、ひらいてしまった距離はなかなか思うようには縮まらない。

頭に思い描いた通りに距離が縮まらないのは、幼女の未発達な脚力が機動力不足な上、出力不足なせいに他ならない。

その他の理由など、有りはしない。

決して、足が短いとか、そんな不名誉な理由からではない、断固否である、と声を大にしてここに宣言したいくらいだ。


飽きもせず、幼女のなけなしの沽券を護るために、誰にとも無く言い聞かせながら、自分の身に現在進行形で発現している新たな異常を検知した。

そびえ立つ書架の絶壁、その谷間を歩いているというのに、全く圧迫感を感じていない自分に、遅ればせながら気が付いてしまったのだ。


落石ならぬ落本してくるのでは?!といったような、崩落の危険性を感じず、全くの自然体でリラックスしまくっている自分。

その原因を探るべく、今感じている感覚を掘り下げて考えてみることにした。


 ーーふむふむ? 書架の合間を歩いている、と云うよりは、…巨大な樹木の合間を歩いている、の方が今体感している感覚に近いわねぇ!? うんうんっ、シンデレラフィット並みにしっくりくる表現だわっ!!ーー


それもそのはず、大量の書架に収められた膨大な書物は全て、本を正せば樹木だったのだから、私が森林浴気分に陥ってしまったのも必然といえる…はず。

少なくとも、この感覚が全くの的外れ、とは言い切れないとは云って良さそうだ。


 ーーそれにしたって、不思議な感覚であることには変わりないのよねぇ…。 もう、これくらいの規模になると、人工物とかって認識が取っ払われちゃって、天然物かと勘違いした脳が『何か起きても自然災害だからしょうがない』とかって諦めちゃってる感が半端なくするのだけど、それってば単なるお茶目な気の所為よね?ーー


自分の危機管理能力が低下しているのでは?と不安になりつつも、この神秘的な光景を前にしては仕方ないか、と何処かで納得してしまっている自分が居るのも否めない。


規則的に等間隔で並び立つ書架、その理路整然とした荘厳さに圧倒され、ただただ感嘆するばかりとなってしまうのは、それらが纏う柔らかな色味のせいもあるだろうか。

この図書室(ビブリオテック)にある書架は全て白亜で統一されていて、天井や壁もこれらと同色であ

り、これは外壁の色味とも同じであった。

輪郭がぼやけて曖昧になり、本来感じる圧迫感がかなり削減されているように思える。


収められた書物を除けば、この図書室(ビブリオテック)に存在するその他の色彩は限られてくる。

その一つは床の黒、大理石のようなマーブル模様が白く浮かぶその表面は、1点の曇り無くこれでもかと磨き抜かれており、鏡のように上を歩く人々の虚像を忠実に映し取り、色彩をモノクロに染め上げて反射していた。


そして書架に凭れ掛かる梯子の灰色、これもこの空間では平凡な色彩ではなくなっている。

書架の一架毎に立て掛けられている稼働式梯子、その手摺表面にはくっきりと精緻な飾り細工が浮かび上がり、経年を一切感じさせない曇りなき光沢を放っている。

書架の白との対比でその輪郭がより一層際立ち、遠目にもその存在がよく見える。


早歩きで書架の間を通る合間に、その梯子一つ一つににも審美眼を差し向けて、大人しくも控えめにその存在を主張する様に目を光らせる。


 ーー…良く観察して見ると、シンプルな梯子本体にもきちんとした装飾が施されてる…みたい。 凄いなぁ~、ホントに細々としたものへのお金の掛け方が、THE・お貴族様のお手本って感じで、シンプルに吃驚する。ーー



 それにしても…、ここも例に洩れずだだっ広いし天井までが馬鹿高い。

(わたくし)の乏しい想像力を駆使して、頑張って想像しておいた()()()()()()とは前提からして何もかもが違う。

もっと云えば、豪華さはともかくとして、個人の屋敷の()()()にあるとは想定しようがない、馬鹿広過ぎる図書室だった。

別棟の図書館に来てしまったかしら?と錯覚してしまうくらい、この規模は想定外だった。


 ーー私も大分この公爵家の規格外オンパレードっぷりに慣れ親しめてきたと思っていたのだけど………、うんっ、気の所為だったみたい☆ 全っっっっ然、慣れ親しめてなかったわ☆☆ 今度からは、はじめましてなお部屋に入る時には、無駄な想定はしないことにしよーーーっと☆☆☆ーー


うんうん、と新たに取り決めたこの公爵家で快く過ごすための心積もりに、1人しみじみと感慨深く頷いていると、次兄がいつもの間延びした口調で唐突に、独り言のような言葉を静かな空間に放り投げた。


「ん~とぉ、多分この辺かなぁ~~。 ここから見てぇ、2階の右奥んとこ、この辺りにあったと思うんだけどぉ~、ライラが見たいって言ってた本の分類って結構微妙だから自信ないんだよねぇ~~。 ボクが読んだことがあるのだったら良かったんだけどぉ、ゴメンねぇ~ライラ。」


エリファスお兄様が自信なさ気に指し示して教えてくださった場所、それはこの図書室の分類案内図に書かれた2階の右奥の一角だった。

私が探している本については、ここに来るまでの道中に雑談の中で伝えてあった。

話を聞いたエリファスお兄様は記憶を探りつつ、この案内図の存在を思い出して、図書室についてからは脇目も振らず、真っ直ぐ足早にここまで向かってくださったのだ。


「!? そんなっ、謝らないでください! エリファスお兄様がざっくりでも、私の探している本が置かれていそうな場所を把握してくださっていて、本当に良かったですから!! それに、もし今日見つけられなくっても、また後日探せば良いだけですからね♪ 連れてきていただけた上、案内までしてくださって、本当にありがとうございます、エリファスお兄様♡」


ここに来る前までは、エリファスお兄様に案内までしていただくのは流石に申し訳ないと思い、断る心積もりだった。

けれど足を踏み入れるまでもなく、開かれた扉から中の様子を見た段階で、その考えはくるぅ~~りと180°の見事な方向転換を静かに終えた。


だって無理だ。

この膨大な書物の中から目的の1冊を見つけ出すなんて、考えるまでもなくできっこない。

なんの予備知識もなく、安易にチャレンジしようとしなくて大正解だったと断言できる。

これは今日1のファインプレーに選出される、Theベストな選択だったと思う。


だからこそ、本気の本気で大袈裟なくらい、ありったけの感謝の気持ちを込めて、おまけに惜しみない賞賛の意も込めた言葉を送った。


「あははっ、なら良かったぁ~♪ ぶっちゃけぇ、ここに来て特定の本を自分だけで探すことって無いからさぁ~、慣れてなくってぇ~~。 いつもならこんな悩む間もなくぅ、あそこの席に座ってる司書(ビブリオテケール)の誰かが飛んで来ちゃうからさぁ~(笑) ここに入った瞬間からずぅ~っとぉ、こっちの動向を逐一()()しててぇ、頼んでもないのに率先して案内してくれるんだよねぇ~~♪」


『あそこの席』と、今いる場所から向かって右手側を指差し付きで分かりやすく示し、説明してくださる次兄の優しさに、今は悠長に感謝だけしていられなかった。


「……え? 司書??」


 ーーあれれ、おかしいわね? 耳がちょっと…、詰まっちゃったのかしら?? きっとアレが原因ね、中1階から1階に降りてきたから、気圧の変化か何かで突如謎な誤作動を起こしちゃったっぽいわね!! だって、とってもおかしな単語が聞こえたもの、耳の異常でなかったら、何だと云うのかしら???ーー


エリファスお兄様に気付かれないよう静かに、鼻を摘んで塞ぐ事を省き、慣れた感覚に任せて耳抜きする。

前世は三半規管が弱く、良く耳が詰まる現象に見舞われていた為、鼻を塞がなくても耳抜き出来るようになっていたのだ。


だっておかしい、図書館みたいな図書室だからって、司書までいるなんて、それは流石におかしい。

普通だったら居ない、居ないと思う私の感覚は非常に正常であると、異世界であろうと常識的であると信じたい。


「うん、司書♪」


「……えぇっ?! だって、ここ、…個人宅ですよ?!?」


 ーー聞き間違いじゃなかった!? 嘘ぉっ!! ハチャメチャにショックなんですけどぉ?! これが一般常識的な世界だったら、私の中にある常識っていう概念が、根底から崩壊してしまうんですけどぉっ!?!ーー


あわあわっと狼狽して、怖怖と慄きながら、超基本的な事柄から改めて確認しにかかる。

不安に駆られすぎて、気が気ではない。

『こんなの貴族家の常識だよぉ~?』なんて言われたしまった日には、膝から崩折れて何に対してかわからないまま慟哭を上げてしまうかもしれない。


「う~ん? まぁ~、間違いなく個人宅だよねぇ~~?? 司書がいるのは一般的じゃないけどぉ、それはほらぁ~、うちって一般的って範疇からは逸脱しきっちゃってるからさぁ~~♪ こんなコトいきなり聞かされてぇ~、理解が追いつかなくなっちゃうライラの心境もわからなくないけどぉ、この場合はそんなもんかって受け入れる方が賢明な判断だよねぇ~~、きっとさぁ(笑)」


「あは…ははっ? 結局は、何事も諦めが肝心って…ことですか……ねぇ??」


乾いた笑いを零しながら、更には脳の異常をも自覚する羽目になる。

諦めるのが吉、と暗に言われたショックがトドメとなったのか、エリファスお兄様の『あっはっは♪』と云う軽やかな笑い声が、『HA~HA~HA~っ!』とアメリカンなニュアンス甚だしい笑い声に脳内で誤変換されしまった。


私の脳みそは密やかに、けれど確実に、連日もたらされる追加情報の多量さに、結構な高負荷が蓄積されていたようだ。

変換結果の異常が発覚したことで、音声情報の処理を担う一部分が限界を迎えているらしい、とここに来てようやっと判明した。


連日十分過ぎる程爆睡しているにも関わらず、脳が侵された回復しきらない疲労具合に、ここでは敢えて目を逸らし、他に気になったことを質問することで気を紛らわすことに決めた。


「もしかして…エリファスお兄様は、普段は司書の方の案内を利用されてしいらっしゃらないのですか? 先程の言い方だと、そんなふうに聞こえたのですが…。 特定の本は探さずに、好みの分類が収められた書架から選んで、その日に読む本を決められているのでしょうか?」


場所を確認してからは、再び迷いなく歩み進む次兄の背を追って、遅れないように頑張って歩き従う。

4歳の年の差は、歩幅の違いにも顕著に現れていた。


「そぉだねぇ~、ライラが思った通り適当な感じで探してるからぁ、いつもは全然頼ってないよぉ~~。 今日みたいに最初から決まった本を探すことって稀だしぃ~、そもそも自分が興味ある本ならぁ、もう案内されなくても大体どこにあるかわかっちゃってるからねぇ~~♪ 司書が居ても居なくてもぉ、どっちでも問題ないよぉ~♪♫」


「大体把握していらっしゃるのですか?! え……凄いですね!! こんな細かい分類…、私には何年経っても把握できてない自信しかありません。 エリファスお兄様は何歳頃から図書室を利用しはじめたのですか?」


「ん~とぉ、何歳だったかなぁ~? 直接じゃなければぁ、多分ライラと同じくらいの頃からだったと思うけどぉ~、はっきりとは覚えてないかなぁ~~。」


小首を傾げて思い出そうとする仕草を見せたのはほんの一瞬で、直ぐに思い出すことは諦めて違う話題をぶん投げてきた。


「それよりさぁ、ライラってばもしかしてぇ~、ここに来る機会があんまり無いかもって思ってるぅ~~? もしそう思ってるならぁ~、その考えは間違ってるから直ぐに捨てちゃってねぇ~~?」


「え?! 間違ってる、ですか!? でも、今の私が図書室に頻繁に来なければならない理由なんて………全然思いつかないなですが、本当にあるんでしょうか??」


ストレートかと思いきや、予測不可能な軌跡を辿るぶれっぶれの変化球だった。

想定外の指摘を受けて無駄に狼狽えてしまいながらも、何とか疑問点を問い返すことに成功する。


「ゴメンゴメン、言葉が足りなかったねぇ~? 今直ぐにじゃなくってぇ、5歳になる年からなんだよねぇ~、面倒だろうと何だろうと週に5日間は絶対此処に来なきゃならなくなるのはさぁ~~♪ だからってわけでもないけどぉ、きっとすぐにわかるようになると思うよぉ~? 何処にどんな本があるとかってぇ、単純な分類毎の書架の並びくらいならさぁ~~♪」


ケラケラと笑ってから、私が思い違えた箇所をきちんと訂正して、断片的な情報を追加で寄越してくださった。

この前半部分の追加情報を受けて、年齢はニアミス気味でズレていたけれど、前世のわたしに大変馴染み深いある教育機関の存在が頭に想起された。


「5歳になる年から…、週に5日間……、なんだかまるで学校に通う学生みたいですね………?」


「そぉ~そぉ~~! 通う先が学園じゃなくて図書室ってだけでぇ、ここでやることは学生と同じお勉強なんだよねぇ~♪ 因みに今から通るところで家庭教師(チューター)から授業を受けてるんだよぉ~、全然為にならない内容ばっかりだけどねぇ~~(笑)」


後半は家庭教師(チューター)への軽いディスりが入っていたけれど、そこには触れず、今向かっている行き先確認を優先した。


「てっきり階段がある場所に向かっているんだと、勝手に思ってました! でも、どんな場所で授業を受けるのか、凄く気になりますっ、早く見てみたいです!!」


「ん~? 心配しないで良いよぉ、ちゃぁ~んと階段に向かってるからさぁ~♪ ボクたちにとっては授業を受ける場所だしぃ~、図書室を利用する人にとっては違う目的が追加される場所でもあるんだよねぇ~~。 まぁ、あれだよねぇ~、百聞は一見に如かずってやつだからさぁ~~? 実際に見るのが1番ってねぇ、はぁ~い、とぉ~~ちゃくぅ♪♫」


辿り着いたのは今まで目にしていた書架とは異なる形状のそれら。

書架の絶壁ファレーズ・ド・ビブリオテックにぽっかりと開いた通用口らしい隙間を潜り抜けた、その先には――。


「………これ…は、本棚…、じゃなくて、え? 螺旋階段、ですか?!」


「ねぇ~、面白いでしょ~~? 円形の本棚に螺旋階段組み合わせちゃうなんてさぁ、思い付いてもやらないよねぇ~、普通だったらさぁ~~(笑) あそこにある円形のソファーをバラしてぇ、好きなとこに座って授業聞くって感じかなぁ~、堅苦しくはないんだけどホント内容がつまんないんだよねぇ~~。」


『それが一番苦痛(笑)』と笑いながらも辛辣に言い放ち、円形に開けたスペースに置かれた組み合わせソファーを視線で示して説明してくださった。


「ここにもヘンテコな通称が付いてるんだよぉ~、ちょっと長くて覚えるのが面倒なんだけどぉ、司書(ビブリオテケール)に絡まれてると嫌でも一回は耳にするから絶対に覚えちゃうんだよねぇ~~。」


最高天へ(レゼスカリエ・アン・)至る四重(カドリュプル・エリス)螺旋階段(・ヴェール・ランピレ)


確かに長い、しかも舌を噛みそうな発音が途中にあって、ちょっとやそっとじゃ口にしたいと思えない通称だった。


けれども、一度(ひとたび)この図書室に通い詰める日々が幕を開けると、そんな躊躇はどこかに消え失せてしまうのだそう。

そう語るのは他でもない、経験者(現在進行形)であるエリファスお兄様その人だった。


毎度毎度、この図書室に常駐する司書は皆、この言葉を絶対に、一日に一回は口にしないと気がすまないらしく、案内を受けると必ず耳にしてしまう短文な為、スラスラ~っと滑らかに諳んじられるようになってしまうらしい。


ここで云う最高天とは、螺旋階段を登った先、正円に切り取られた3階の天井部分にある天窓から覗くあの(そら)を指しているらしい。


けれど、青々とした蒼天が覗くあの天窓は、厳密に云えば天窓ではないらしい。


最初はただ単純に、普通の天窓にしようとしていたらしい。

しかし、それだと悪天候の場合には望んだような蒼天が見られない、と気付い(てしまっ)たフォコンペレーラ公爵家の初代当主リーンハルトは、ならば魔導を駆使して天候に邪魔されない、遥か彼方の天空を映し出す魔導鏡にしてしまおう、と急激な路線変更の舵を迷いなくきった。

微調整や難しい計算などの頭を使う分野が苦手でありながらも、読書をこよなく愛する最愛の妻の為、と奮起して、あの天魔導()鏡を見事完成させたのだとか。


この図書室に纏わる逸話を聞きながら、4箇所ある階段の登り口から右手前の1箇所を選んで登り始める。

“四重螺旋階段”の指すところは、勿論そのままの意で、円形の書架の内側に組み合わされた4つの螺旋階段を指している。


緩い傾斜の螺旋階段は、視覚情報から得られた通り、幼女の足にも負担なく登りやすい段差であることがここでのせめてもの救いだった。


階段を登る私たちは、常に2つの書架に挟まれた状態のまま登っていくことになった。

右には背の高い書架があり、左には背の低い書架がある。

背が低いと云っても、幼女の私と同じくらいの高さがあるので、全然低いと思えないのがここでの悲しい現実だった。



 螺旋階段をやっとの思いで、ひ~こら言いながらも登りきり、2階の右奥の一角に到着してから――、何十分の時を無駄にして過ごしたことだろう。

結果から言って、目的の書物の発見には至っていない。


「う~~ん…、見つからないですねぇ…。 このまま続けても、私たちの努力と労力だけでは探し出せそうにありません…よね?」


これから後何十分、追加で時間を費やしてみても結果は同じ、絶対に見つけられない自信が満々にある。


「ん~、だねぇ~~? ボクもちょっと甘く見てたかなぁ~、まさかこんなややこしい分類になってるなんてさぁ、思わないじゃんねぇ~~??」


疲れを滲ませた顔に苦笑を浮かべて、エリファスお兄様も私の考えに賛同してくださる。


「……ですよねぇ? これはちょっと、細分化されすぎてて…逆に見辛い、と云うかもう普通に見辛い!! 目がチッカチカして、もう、ハッキリ言って見たくないです!!!」


「あっはっは、ホントそれだよねぇ~! 背表紙よりも目立つ分類表示ってさぁ~、本末転倒だよねぇ~~? こんなのはじめて見たんだけどぉ、絶対ボクたちに探させる気ないよねぇ~??」


私たちが何十分間もかけて、真剣に向き合い続けてきたこの書架には、びっちり詰まった書物に負けじと、これまたびっちりと細かな分類項目を記したプレートがそこかしこに挟み込まれていた。


仮にそれはまだ良いとして、ここで私たちが最も問題視しているのは、そのプレートの色だった。

基本的に無彩色に彩られたこの図書室に、何故この色味を持ち込もうと思ったのか、小一時間くらい説教しつつ問い質したくなってしまってしょうがない。

それぐらい場違いな選色、ここに合わせる色に蛍光色を選んでくるのは、玄人でなくとも無いとわかるミスチョイスだった。


然しながら、この問題への明確な答えがこの場で出る時を待たず、不意打ちな登場を果たす第三者からこの会話に水を差されることになる。


「ご歓談中失礼致します。 エリファス坊っちゃま、ライリエルお嬢様、昼食の支度が整っております。 書物探しは手詰まりとなり、本日これ以上の進展はのぞめそうにないとお見受け致しますが、相違なければこのまま潔く諦めて、食堂までお越しくださいませ。」


「っ!? メ……リッサ?! いつ?! いつ入室してここまで??!」


「いつ…で、ございますか? 少なくとも、5分程前には確実に、図書室(ビブリオテック)に入室していたかと存じます。」


 ーービックリした!! 心臓がほんの一瞬確実に止まった!! ってくらい人を驚かせておいて、無表情のまま単刀直入に用件だけ淡々と言ってくれちゃって…、ホントブレないわね、メリッサったら!! でもそんなところも好き♡ーー


「もうそんな時間かぁ~、結構長く居ちゃったねぇ~~。 じゃぁ、このまま行こうかなぁ~、ライラもこのまま行っちゃって大丈夫ぅ~~?」


「あ、はい、大丈夫…デス!」


カクカクと首を動かしコクコクと機械的に頷く。


 ーーエリファスお兄様ったら、本職の忍の者も吃驚仰天するだろう、見事過ぎる抜き足差し足忍び足、でのメリッサの登場を、何事もなかったかのようにあっさりさっぱりとスルーされてしまうのね…?! それはやっぱり、お兄様たちの間柄が…犬と猿な間柄、だからでしょうか?? なぁ~~んちゃって、思っただけですからぁ~~、絶対口に出して聞けませんからねぇ~~、君子危うきに近寄らずがモットーですから!!ーー


今のやり取りは丸っと全て、私の心の内でのみ行われた、そのはずなのに…この侍女ときたら、ここでもまたサトリな能力を遺憾無く発揮しやがってきた。


「ライリエルお嬢様、旦那さまとアルヴェイン坊っちゃまが既に食堂でお2人がいらっしゃるのをお待ちでございます。 ですので、そのような詮無いお考えをなさるのは後になさいませ。」


「本当にどこまで筒抜けてしまっているのかしら?! メリッサ、私の考えはどの程度まで見通せているのか、一度はっきり……でなくてもいいから、こっそりと耳打ちで教えてちょうだいな!!」


「謹んで辞退致します。 そのような雑事に割ける時間など微塵もございません。 時間が勿体のうございます。」


素気なく断られてしまったのは残念で仕方がないが、これがメリッサの平常通りな対応なので、私は全く堪えること無く、平静なままに受け入れられていた。

けれど、シスコンを拗らせているらしいこの次兄はそうではなかった。


「それってさぁ~、そこまではっきり言う必要あるぅ? っていうかぁ、ライラに対するその態度、改めるつもりってあるわけぇ~? この前言ったこと、もう忘れちゃったって云うのぉ~?」


「先日も申しました通り、これも必要最低限行われるべき教育的指導の一環である、との自負から改める必要性は無いと判断した次第でございます。 なので、エリファス坊っちゃまにご指摘いただく謂れは、毛頭ないもの、と心得てございます。」


「えぇ~? それって、本気で言ってるわけぇ~?」


「あぁーーーっとぉっ?! 私、何だかとぉっても急激にお腹が空いてきましたぁっ!! もうぺっこぺこですからねっ、もたもたしていられません、早く食堂に行きましょう、エリファスお兄様っ、エスコートしてくださいな!! さぁ行きましょうっ、疾く行きましょうっ、光の速さで行きましょうねぇーーーーっ!!!」


着火は秒で、早くもバチバチッと火花を散らし始めていた犬と猿な間柄の、次兄と侍女兼乳母の間に空いた十分過ぎる隙間に自分の身体を滑り込ませて、これ以上舌戦がヒートアップする前に全力で阻止しにかかる。


 ーー止める間もなく試合開始のゴングが打ち鳴らされてるのだもの、ホント、勘弁して欲しいのですがっ?! 秒で舌戦を開始するの、止めてくださいません~?? 心臓にわっっっるい!! 準備不足で心積もれなくって、困るっっっ!! 精神衛生上、大変宜しく無いですからねぇっっっ!?ーー


主に保身のためではあるが、単純に疎外感が半端なくて居た堪れなくなるから、と云う別な理由にも背を押されて、已む無く割り込むことを決断した。


 ーー何のかんの言いつつ、2人ってば切っても切れない仲って感じなのよねぇ~? この2人の間に割り込むのって、案外勇気がいるって云うかぁ、気合を入れて挑まないと弾かれちゃいそうって云うかぁ~、わりかし行動を起こすのに覚悟が必要なのよねぇ~~?? ホント不思議なのだけど…、何でこんな風に感じてしまうのかしら???ーー


チラリ…、と後ろに視線を流す。

私が半ば強引に手を取ったまま、自分の方に引っ張るかたちで先行しているので、若干前屈みな姿勢でエリファスお兄様が直ぐ後ろをついて来ている。

苦しい姿勢だろうに、文句も言わず、怒るでもなく、素直にされるが儘なすが儘で受け入れて、何処か愉しそうに引っ張られてくださっている。


 ーーう~ん、エリファスお兄様って、何でこんなに私に対して甘々判定なんだろう? やることなすこと、殆ど制限無く受け入れて貰えそうなのだけど、何で?? メロメロ~に溺愛してもらえるような、何かとんでもなく凄いことをエリファスお兄様にした覚えなんて……何も無いのだけど???ーー


気まぐれな猫に特別懐かれているような、不思議な優越感を感じつつ、時折微かに感じる不安も拭えない。

それは何故かと云えば、気まぐれで一癖も二癖もあるエリファスお兄様が、いつまでも私に特別寛容でいてくださる保証もなければ確証もないからだった。


理由を聞いてみたい衝動に駆られるが、やっぱりこのままで良いか、と思い直す。

何でこんなに溺れるほどの愛情を向けてくださるか、その理由は依然として不明なままだけれど、今の私はこの事で十分過ぎるくらいな幸福を享受している。


未来がどうであれ、この時間が夢幻のように儚く消え失せてしまう事はない。

もし仮に、エリファスお兄様の記憶から私と過ごした日々の記憶が消失したとしても、私の記憶の中からは、決して消え失せたりしない。

意地でも忘れてなるものか!!って常に意識して記憶を留めておこうと直向きに努力している私が、そう簡単に忘れるはずがないと信じたい。


永遠に誰かの特別であり続ける必要はない、一時で良い、誰かに愛情を傾けて貰えていたという確かな実績(きおく)さえあれば、私には十分過ぎるくらいだ。

それさえあれば、私は独りでだって問題なく生きていける。


誰からも愛されなかった前世のわたし、それに比べたら、今世の私は限りなく幸福者だ。


得体の知れない不安には蓋をして、少しでも気分が上向く考えを優先的に思考領域に導入する。

そうすることで、この疑問を頭から追い出し、向き合う機会を先送りにした。


それに何となく、今はまだその時期じゃないとも感じていたからだ。

今の状態でエリファスお兄様に面と向かって聞いてみても、上手くはぐらかされるのが関の山だと思えてならなかった。


お兄様の手を引っ張って、来た道順を逆に辿りながら、ずんずんと突き進む。

自分が抱いた微かな不安を振り払うように、一心不乱に足を動かして、もう後ろを振り返ることはせずに前進し続ける事にだけ執心した。



 そんな少女と少年の後ろを、一定の距離を保ちつつ、足音も気配も殺して静静と付き従う侍女。

本当に床の上を彼女自身の足で歩いているのか、いつも疑わしく思えてしまってしかたがない。

この疑問が拭い去られる日が来るのかどうかも疑わしくなりながら、彼女のとる動作の概ね大多数に、まったく音が伴っていない事実にも尽きせぬ疑惑がつき纏う。


少年を引き摺るようにして先導する少女が、少年の愉しげな様子を確認した際、どうせ見てもわからないだろうと諦めて、敢えて確認しなかった侍女の表情。

もしこの時に、少しでも侍女の顔に視線を動かしていたのなら、普段は気づけない表情の変化に気づけていたかもしれない。


それと云うのも、普段は鉄面皮が売りのサイボーグ寄りな侍女が、何故かこの時ばかりは本人も気付かないまま、常時かけている分厚い眼鏡の奥から常とは違う、わかり易すぎる感情がダダ漏れた視線を、先を行く小さな主人たちの背に注いでいたからだ。


どのような感情が込められていたのかは、実際にその目で見た者にしか理解できないものだった。

異なる性質の感情が複雑怪奇に入り乱れ、ごちゃ混ぜになった雑然とした感情、それは正負どちらとも判別がつけられない感情(モノ)だった。


結局のところ、この時侍女が無意識に外部にもらしてしまった小さな感情の発露は、誰に気づかれることもなく、本人も無自覚なまま、先導する幼女は初めて訪れた無彩色(アクロマティック)図書室(ビブリオテック)を後にするのだった。

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