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88.出立前の一悶着【後】

 分厚い雲の層が折り重なって造られた曇天の下、奇特な姿勢のまま後ろ向きに走り去ってしまった騎士の青年を見送っていたちょうどその頃、少し離れた場所に駐留してある護送特化型箱馬車の内部で一体どのような遣り取りがなされていたのか、車内を透視できる特殊技能など持ち合わせていない為、知る由もなく。


その車内では、ニッコリ笑顔が狐に激似、で定評のある領地家令(アンタンダン)が、(わたくし)の言葉が適用される範囲を限定し、一部は全くの対象外とする旨を高らかに宣言していた、などとは夢にも思わない、予想外な顛末が展開されている真っ最中だった、などとは全く知る由もなく…。


『これ以上何もしないで』と無意識に高圧的な物言いでお願いしてしまった事が凶と出たのか。

その後に行われたアンジェロン子爵令息との面会は、驚くほど一方的な展開で幕を閉じた。


 ーーまさか本当に失禁再び(あんな事)になろうとは……、言葉の綾のつもりだったのに何で!? 化け物とか言われたし、私ってば一体全体、いつどこでそんな極悪な悪役顔晒してたっていうの???ーー 


悪役令嬢としてのステップアップを順当にこなし、フラグ回収も順調に進めてしまえている気がしてしょうがない、今日此の頃。

やることなすこと裏目に出る、踏んだり蹴ったりな先行きの見通しが怪しい未来が待ち受けていそうで、漠然とした不安が拭い去れないでいる。


再び簡易的な折りたたみの椅子に腰を下ろして、自分の行いを振り返っては懊悩する私の隣には、いつでもどこでもどんな時でも平常運転な鉄壁サイボーグ侍女のメリッサが気配を殺し過ぎず物静かに佇んでいる。


領地家令(アンタンダン)と風通しが良すぎるパンク風な衣装に身を包んだ青年が出てくるのを、今か今かと待ち構えること…早10分は経過している。


用事が済んだのなら食堂に向かおうと提案されたけれど、サミュエルに余計な手間を取らせてしまったことを出発前に一言謝りたかった為、こうやってメリッサを待ち惚けに付き合わせてしまっている。

しかもこの待ち時間がいつまで継続されるのかは、今以て未知だ。


 ーー余計な手間を増やしてしまって、ホント申し訳ない…。 手こずった身支度をもう1回整えさせるのに、どれだけの時間を要するのか……、まったくの未知!!ーー


幼女の体格に対してこの椅子は座面が高いた。

その為地面に足が全く掠りもせず、おさまりが悪い足をスカートを巻き込んでぶーらぶーーらと交互に振っていた。

考え事をしている時はとくに、体を動かしていると思考がはかどる気がするので無意識にそうしてしまっていたが、直ぐに取りやめる事となる。


物静かに佇む侍女から寄越される視線に、必要以上の冷気が付加されはじめている事をひしひしと肌で感じ、身の危険を敏感に察知してビタリと即行で足の動きを止める。

すると寄越される視線から冷気が取り払われたことで、侍女からの叱責を受ける前に事なきを得たと理解出来てホッと胸を撫で下ろした。


 ーー愛のムチであるとはわかっていても、私は至ってノーマル趣向、怒られて悦ぶなぁ~んてアブノーマルな趣味趣向は全く持ち合わせてませんからね! 怒られずにすむのなら、それに越したことは無いのですからね!?ーー


心の中で何故か必要以上の必死さで言い募る。

そうして強く自分に言い聞かせていないと、自分の頭の中の何処か、場所の不明確な片隅の方に若干物足りないと感じている感情があるような…、と気付いてしまいそうで。

開ける必要のない、否、開けてはいけない扉を決して開かぬように、今できる全力を賭して必死に目を背ける。


 ーーそんなアブノーマル過ぎる未知との遭遇は、未来永劫全く望んでいないのですからね!!ーー


一度頭の片隅に根付いてしまった思考は早々簡単には振り払えず、躍起になって追い出そうとして無駄に労力を費やした結果、今あるだけの気力と体力を根刮ぎ消耗してしまった。


そんなどーでも良くしょーもない理由で時間を潰していても、一向に2人が出てくる気配がない。


大人2人掛かりであっても、あの令息の身支度には其れ程手間どるとでも云うのだろうか、…末恐ろしい。

と云うか甚だ迷惑、なんて規格外な困ったちゃんぶりだろうか。

性格・人格・体格・態度・顔面の各パーツの偏り方、エトセトラ…、規格外な箇所を列挙したなら、しきれない程あり過ぎてしまう。

枚挙に暇がない、とは正にこの事。

規格外な項目のオンパレードで、規格外の概念がゲシュタルト崩壊してしまいそうだった。

ホント、規格外なのも大概にして欲しい。


やはり、どうしたって人間的にいけ好かない令息の事となると、考えが辛辣且つ攻撃的になってしまう。

トゲトゲしてしまう気持ちを落ち着けるため、手で軽く顔を扇ぎながら、ぽっかり開け放たれた重厚な箱馬車の出入り口をじーーっと見る。


令息が収容された空間へと到れる唯一の出入り口を見詰め、その内部で展開されている状況に思いを馳せる。


 ーー……気になる。 何だか、無性に気になってしまって、しかたがない。 何か良からぬ展開になってやしないか、そこはかとない不安がドッと押し寄せてくるのだけど…、単なる気の所為よね、まったく見当外れな虫の知らせでは無い類の、真っ赤な杞憂よね?!ーー 


言葉の修飾が正しいかはこの際扠措(さてお)いて、どーにもこーにも、馬車の内部が気になってしまう。

勿論、気になっているのは馬車の内部で何が今現在進行形で行われているのか、ということにほかならないのだけれど、当たり前の結果として、ここからは一切見ることも聞くことも出来やしない。


座面の上で身体を揺り動かし、ギリギリ限界まで前のめって覗き込もうと身体を伸ばす。

体を伸ばしたのにつられて、顔面まで同じように伸びた表情となってしまい、貴族令嬢としてだけでなく、女子としてNG、ヤバさ100%のモザイク必至な顔面に成り果ててしまっている。


「ライリエルお嬢様、そのように不躾に覗き込む真似はおよし下さい、はしたのうございます。 お嬢様の行動が異常なのは今に始まったことではございませんが、今取られている行動は常と比べても異常が過ぎます、即刻おやめくださいまし!」


「ちょっと待って? 今の言葉は私が取った行動に対して何の補完的役割も果たせていないのではないかしら?? 私を擁護するために発してくれた言葉ではなかったの???」


 ーーフォローしてくれたのかと思いきや、まさかの真逆の役割で宣った言葉だった訳ですかねぇっ!? えぇっ?! それってば、ただの悪口じゃん??ーー


侍女からの痛烈なお小言に愛ではなく鞭しか無いと気づいてしまい、愕然としてしまう。


「私の職務内容にお嬢様の行いを擁護する義務は含まれておりません。 ですが必要最低限の常識的振る舞い等を教える義務はございます。 ですからこの場では、客観的事実に基づいた常識的な教育的指導を行う為だけに、苦言を呈しているだけにございます。」


打ち拉がれる私に追い打ちとなる言葉を容赦なくぶっ込んでくる侍女は、全く以て平常通りの通常運転だった。


 ーーわかっているんです! この威力が強すぎるツッコミにも、その根底にはちゃぁ~~んと温かな愛情があるって!! ちゃんとっ、分かってはいるのですけど……、うぅっ!!!ーー


心の中での葛藤が、堪える間もなく表にだだ漏れてしまった。

ぐっと唇を噛んで(全力)涙を堪えるその表情は、やはり貴族令嬢としてだけでなく、女子的に見てNGでしかないヤバさ100%な表情だった。


 ーーでも…涙が出ちゃう、だって扱いが酷すぎるんだもんっ(号泣)ーー


くすん…、なんて可愛いもんじゃなく、ずびずばと鼻水を啜らずにはいられないくらいに、泣きに泣いてしまえる。

唇を噛んで堪えた努力も虚しく、結局涙がドバドバ溢れてしまい、直ぐ様洪水状態になってしまった。


それを懐から取り出したふっかふかタオルで受け止めて、無言のまま慣れた手付きで拭う侍女。

これももう何度も目にした光景、そしてこれから何度でも目にするだろう光景だった。



 侍女からの手酷い扱いに涙している私の前を、フッ…と何かの影が通り過ぎていった、気がした。


ずっとタオルをあてていないとならない程ではないにしろ、未だに涙がちょちょぎれている私が、丁度瞼を閉じてい時だった。

なので視覚的情報がなく、確証を得られていないけれど、閉じた瞼の内側に出来たほんのりと明るい闇の中で、透けて見える外の光、その明暗が一瞬ブレた事で何かが動いたと感じた。


けれどすぐに、気のせいだったかも…、という考えが大きくなり、自信がなくなってきた。

そう思ってしまったのには一応理由がある。

通り過ぎたと思しき物体のスピードが異常に速過ぎたことと、通り過ぎた時に発生するだろう何かしらの音が無かったこと、そしてそれに伴う風圧すら無かったこと。


これらの理由から自信が持てなくなり、それに輪をかけて、目を開けて見た周囲の光景にも異常な箇所が見当たらなかったため、一層勘違いだったと思うに至ってしまった。


しかしそれは早計であったと云わざるを得ない。

思い直したのも束の間、一度は通り過ぎた速度が異常な物体は、この後わりと直ぐに、疑う余地のない明確な根拠を伴って()()()()()()()驚異の速度で舞い戻って来る事になるのだから。


「おいっ、こらぁ~~っ!! オロヴァスぅ~~~っ?! どこ行くんだよぉっ、急に走り出してっ!? 待てって、言ってるのにぃ~~~っ、このっ、馬鹿竜馬ぁ~~っ!! 止まりやがれーーってぇ、言ってるだろぉ~~~がっ、こんちくしょーーーっ!!!」


 ーーんん?? おろゔぁす…、それに、……?? アグレアス卿は、今なんて仰ったのかしら??ーー


聞き慣れない単語の後に続いたのは、同じく聞き慣れない単語だった。

それらの単語を元気一杯・力一杯に大声で叫び上げたのは、先程奇特な退場風景をご提供してくださった騎士の青年だった。


その青年が居るだろう方角、声を辿って巡らした視線の先で見た光景が、俄には信じられなかった。


声から受ける印象では常歩(なみあし)で駆けているくらいが関の山。

けれど実際は、襲歩(しゅうほ)も襲歩、全速力での全力疾走、見事な駆けっぷりの最中(さなか)でありながら、での大声だったのだ。


 ーーちょっ?! え、嘘でしょ!? 腹筋? 腹筋なの?? この場合は腹筋の鍛え上げられ方が異常だったと、単純に結論づけてしまって、それで良いものなの?? 私の抱いた疑問は晴れるどころか、深まる一方なのですけど???ーー


そんな全速力な駆けっぷりでも追いつけていない、と云うかそもそも、その追いかけている対象の残像すらこの周辺一帯には見当たらない。

本当に青年が今追いかけているモノは実体のある生物なのだろうか…、と一抹の不安が過ぎっていまう。

早朝から()()、なんてことは無いはず。

いくら異世界だからって、そこらへんのオカルト的な常識は、前世のそれと大差ないはず、であって欲しいと願わずにいられない。


 ーーアグレアス卿は、あんなに一生懸命になってまで、一体何を追いかけていらっしゃるのかしら?ーー


不思議に思って、それ()()を考えることに集中して、眼前を猛スピードで通り過ぎていく青年の姿を視線で追跡する。

すると幾許もしない距離を走ったところで、通り過ぎた青年の腰元、正確には腰につけている分類的にはウエストポーチになるだろうか、小さな収納鞄が幾つも連なっている、その内の1つから何かがぽとりと落ちた。


呼び止めようかと思った時には、もう既にあの青年は予想より遥か先を直走っている真っ最中だった。

なので呼び止める案は諦め、誰かに踏まれてしまわないよう拾っておこう、と落とし物が落ちている場所にテコトコと歩み寄る。


泥濘は解消されたけれど、歪な形のまま渇いて固まってしまった地面は、思いの外幼女の足には難所だった。

結構何でも無い段差なのに、この幼い身体で相対するとそれは容易に猛威を振るってくる。

つまり、気を抜くと直ぐに足を取られそうになる、ということだった。


 ーーオイッチニ、オイッチニィーッと! はぁ、やっとこさ辿り着けたわ!! 気を張って体を動かすと、必要以上に疲れるわね…。 幼女の体力の無さよ、疲れるわホント。ーー


転ばないようバランスを取って歩く、たったそれだけの単純な動作だと言うのに、目的の物が落下した地点にたどり着いた現在の私は、軽く息が上がっていた。


上がった息を整えてから、地面に落ちている緑色の物体を五本の指でしっかりと掴んで拾い上げる。

近くで見ると案外大きいそれは、ずっしりとした重さを持った手に伝えてくる、何かの植物の葉束だった。


前世では一度も、図鑑ですらお目にかかったことのない、鮮やか過ぎる(ヴェール)色の葉で、動かしてもいないのに色がチラチラ変わるのだ。

じっと見詰めて観察していると、時々ユラユラと七色の煌めきを纏って発光しているから色が変わって見えたのだとわかった。


「凄い、キレイ…。 これも、何かの魔法が関係している物なのかしら…?」


魅入られたように見詰め続けて、この美しい葉っぱに気を取られきっていた。

だから全く気づかなかった。

こんなに、超至近距離から顔面に向かって、生暖かな鼻息がぶっふーーーんっ、と吹き付けられるまで、ホントの本気で気づけなかった。


「へ?」


夢幻ではなく、白昼夢でもない。

実体を伴った生物である、そう結論づけるには吹き付けられた鼻息と、でれに含まれた温かさで十分事足りた。


驚きに顔を上げ、切り替わったその視界に最初に映ったモノは、ドアップな……黒い何か。

焦点があってくると、その黒い何かは、毛足の短い艶のある黒い体毛に覆われた何かの生き物である、というところまで何とか確認できてきた。


予期せぬ未知との遭遇に、停止してしまった思考がノロノロ運転で運行を再開し始めたばかりなため、思うように視覚から得た情報の解析作業が進んでいかない。


ガツッ、カッ、カッ、ドカッ。


下から急に響いた地面を踏み鳴らす音につられて目線を下げると、これまた大層大きくて立派な蹄が見えた。


 ーーをぉっ?! 蹄でっかぁっ!! てか、脚!! 筋肉、すごぉっ!? え、コレ、私くらいの幅かそれ以上、太腿?に筋肉ついてますよね??ーー


引き締まった逞しすぎる御御足を見て、人外の筋肉を初めてこんなに間近で観察したな…、などとしみじみ感じ入ってしまった。


 ーー…蹄がある、しかもこの蹄の感じ、これは……馬? で、合ってるわよ……ねぇ?? 馬って、間近で見ると…こぉ~~~んなにっ、大っっきいのねぇ~~~っ?!?ーー


下げた視線を徐々に上げて、見上げられる精一杯まで頭の角度を最大限引き上げる。

そこまでしても、この…恐らく馬と思しき生物の頭頂部まで見上げきることは適わなかった。


見上げすぎて後ろによろけながらも、何とかギリギリで頭の重さに負けないよう踏み留まる。

今は足元の地面にできた不自然な傾斜に助けられて、昇天スタイルで転ぶのを堪えていられた。

バランスを上手くとって踏ん張る私の耳に、元気な青年の声が飛び込んできたのは丁度そんなときだった。


「あぁっ!! オロヴァス、何でそっちに?! 今まで前走ってたはずなのに!! ってか、わぁ~~ーーっっ?!? 何するつもりだよお前やめろってぇっ!? 親父ぃーーーーっ、オロヴァスがお(じょー)様襲っちまうかもぉっ?!! ヤバイって、マジでコレっ、緊・急・事態ぃーーーーっっ!?!」


今の今まで一心不乱に、目の前を駆けていたはずの馬を全力疾走で追いかけていた青年は、聞き慣れた蹄の音を耳にしたことで、追いかけていた対象の馬が遥か後方、数十m駆け去って来たばかりの場所にいると気付いた。


全力で動かしていた足を止め、急いで停止しようとするも、『車は急には止まれない』状態となり、両の踵で地面をガリガリと抉り続け、砂埃を大量に吹き上げるばかりになる。

ようやく静止できてから、身体ごと振り返った先に見た光景に凍りつく。

馬の正面に立つ幼い少女が手に持っているモノ、(ヴェール)の葉束を見て、あの馬の主人である自分の父親に向かって、血相を変えて必死に叫んだ。


「 …。 」


それを華麗にスルーする父親。

今の彼は、これ以上領地家令(アンタンダン)にお小言を食らわないために、わりかし真面目に単調な搬入作業に従事していた。

けれどこれが理由でスルーしているわけではない、と長年の付き合いで見抜いた副団長が、珍しく気を利かせてお節介する為に団長をせっついた。


「…ったく、しゃーねーなぁ…。 ぜってーに聞こえてるくせによぉ(かしら)わまったくよぉっ! おいって、(ぼん)が呼んでるぜ?! 頭って、呼ばれてんのお前さんだろうがよぉっ!!」


「あぁ~ーん、そりゃ聞こえてんだけどよぉ?! 何寝惚けたこと言ってやがるんだぁ、アグレアスの野郎はよぉ~?? オロヴァスが俺様の命令(言いつけ)破るわきゃねーだろぉーーがよぉっ!! ウチの馬鹿息子共じゃあるめーーしぃ?!」


グリグリっと肘で突っつかれ、言葉でもせっつかれる中、愚息が宣う妄言に付き合う気がなくて無視したのだ、と言外に匂わせる発言をしゃあしゃあとしてみせた。

首の後ろを掻きつつ、何の気無しに振り返って、見た先に広がる光景に途端ぎくしゃくと体の動きを悪くする。


「って、おいっ!? 嬢ちゃんが手に持ってんのって、ありゃオロヴァスの大の好物じゃねぇーーかぁっ!! ったく、あの馬鹿息子がぁっ!! アグレアスぅっ、おめぇは朝飯抜きなっ!! んで、その後の飯もな、場合によっては抜くからそのつもりで居ろよなぁーーっ!!」


「ッッ何でだよぉっ?! 親父の馬鹿ぁっ!! 馬鹿親父ぃっ!! 何っで俺にはいっつもかも、そんな地味にヨーシャないんだよぉおっ!!?」


「んな事ぁ決まってんだろ!! おめぇが俺様の息子だからだよぉっ!! この馬鹿長男がぁっ!!!」


あれ程取り扱いには注意するよう申し渡してあったというのに、見事に管理を怠った息子に、容赦してやる程優しい性格はしていない父親は、成長期の息子に一番堪える罰則を申し渡した。


自分が今から走って行ったところで間に合わないとわかっているヴァルバトスは、愛馬に向かって声で静止をかける。


「オロヴァスやめろぉっ!! そいつぁー今喰うんじゃねぇーーーーっ!!!」


ピクリ…。


片耳がヴァルバトスの声に反応して小さく揺れた。

けれど、その言葉はこの時のオロヴァスを静止させるには十分な威力とはならなかった。

それどころか、邪魔される前に腹の中に納めてしまおう、との考えたを後押されたかのように、じーーっ、とこちらを見詰めていただけだったオロヴァスが、ばかりと大きくその口を開いてみせた。


 ーーわぁ……、馬の口の中って、こんな風になってるのねぇ~!! 初めて見たわ!! 凄い、感動っ!!ーー


なんて悠長に考えている間に、最大限大きく開かれた巨大な馬の大きすぎる口元が刻一刻と迫りきて、終にはその距離はゼロになった。


ばくり。


「「「「 !??! 」」」」


謎の葉っぱを掴み上げていた手のみならず、肘の関節まですっぽりと腕ごと()まれ、巨大な馬の口中に包み込まれてしまった。


「おいこらっ!? オロヴァスっ!! お前、何やってんだよぉっ、こんな事してぇっ、その口ん中の腕をどうするつもりなんだよぉ~~っ!?!」


間一髪、タッチの差で…ギリギリ(ではなく大分)アウトォオッッ。


何とか引き返してきたアグレアスが、少女の腕を口内に含んだまま、一向に喰らいついた腕を解放しようとしないオロヴァスに向かって、ポカポカっと拳を何度

も打ち付けながら抗議する。


そんな非力そう(にしか見えない)な抗議に、大人しく従うオロヴァスではなかった。

静止をキレーに無視して、口内に含んだ腕を上から下まで、大きな舌を使って器用に細かく擽りにかかる。


正確無比な舌さばきに、(たま)らず音を上げて笑い出した少女の声には、どうやっても堪えきれなかった笑いの気配がふんだんに盛り込まれていた。


「~っふふふっ、あははっ、あははははっ!! くすぐったぁいっ!! わかった、わかったから、ふふっ、葉っぱはあなたにあげるからっ!! 手を、あははっ、舐めるのをやめて、離してちょうだい、お願いよぉ~っ、擽ったくて…笑えてしまうから、ねぇっ??」


そこまでをなんとか言い切って、お願いを年押すため、少し体の角度を斜めに変えてオロヴァスの片目を覗き込む。

覗き込んだ黒曜の瞳は、吸い込まれそうなほど黒々と濡れ光っていた。

すると直ちに、少しの逡巡もなく解放された少女の腕は、全くの無傷………とは、言えない状態だった。


唾液まみれの腕はベッタベタ。

しかも幸か不幸か長袖だった為に、ドレスの袖もベッタリと腕に貼りついていて、脱ごうと思っても直ぐには無理そうな張り付き具合だった。

それを見て、幼子のように泣き出すこの令嬢ではない。


「あはははっ、あぁ~~~、おっかしぃ~~~っ!! 私、こんな事はじめてだわっ!! 当たり前だけれど、馬の口に手を包み込まれて、舐められるなんて…!! 凄い貴重な体験をしてしまったわ!!」


ツボに嵌まってしまったらしく、再び面白おかしそうにケタケタと笑いだし、興奮した様子で今体験した事の感想を述べる。

そこで何も持っていない自分の手を見て、はたとあることを思い出し、ギクリと体を強張らせた。


「あぁっ?! でもっ、ごめんなさいっ!! 私ったら擽り攻撃に負けて、拾得物だということを失念して勝手に差し上げてしまったわ!! と云うか、そもそもっ、あの葉っぱはこの子に食べさせて大丈夫な葉物でしたか?!?」


「…へ、え、あーはい、大丈夫です、よ? これはそもそも、コイツラにって用意してたものなんで。 コイツラにとっては……シコー品?なんで、食べても食べなくても、まったく問題ない……です、けど……?」


もっもっ、と口内にある今話題に取り沙汰されている葉物をしっかり味わいながら咀嚼する、どこか幸せそうな巨大な馬と、ポカるのを止めて半ば放心したように自分を見返す騎士の青年を交互に見遣って矢継ぎ早に思ったことを尋ねる。


それにたどたどしく答えた青年の声には、常の元気さも溌剌さも無い、あるのはただただ困惑の気配ばかりだった。


困惑が極まったのか、終にはこてんと首を傾げて訝しげに尋ねられてしまった。


「……てか、お(じょー)様は、怖くないんですか?」


「? なにを、ですか?」


「だって、手!! あのままガブッて噛みつかれて、噛み千切られてたかもしれないのにっ?! なんっで、へーーきで笑ってられるんですかっ!?」


「?? だって、馬は草食動物でしょう??」


「や、ふつーーの馬はそうですけどねっ?! これっ、コイツは違うんですよ?? 竜馬(シュバルガルグイユ)って呼ばれる、魔獣の一種ですからねこのオロヴァスは!! 討伐対象にもなる種類で!! しかもがっっつり肉食ですからね?! ってか、こんなでかい馬、ふつーじゃいませんからねぇっ?!?」


「え、とぉ…? シュヴァル……?? 魔獣、ですか、……それは一体???」


先程も聞いた聞き慣れない単語、それが今アグレアス卿が再び慌てふためきつつ喚いた中にあった。

近くで聞いても上手く聞き取れず、繰り返して言葉にすることが出来ない。

それに魔獣とは些かも穏やかじゃない、呼ばれ方からして危険な香りがプンプンする。


けれど、ここで決して聴き逃がせない箇所がはっきりと1つ、耳にこびりついてしまった。


 ーー何? え、何食って?? にくしょく……肉食ぅっ?! 嘘ぉっ!! え、ホントに!? だって、馬なのにぃっ、大きくったって、こんなっ………、こんなにもつぶらな瞳で可愛らしいのに、肉食ってホントなの???ーー


「とっても可愛いのに……。」


ブルルルーーーッ!


間髪入れずに、荒々しい鼻息と共に(いなな)かれてしまった。

どうやら私の発した言葉が原因らしい。

きちんと言葉の意味を理解して、その発言内容が不服で御立腹されてしまったらしい。


「可愛い、はダメなの? あぁ、そうなのね! 貴方は格好良いわ!! ふふっ、すぐに分からなくってごめんなさい、オロヴァスは雄だったのね!! うふふっ、擽ったぁい!! そんなっ、ふふっ、風に、あんまり怒らないでちょうだいね??」


取り繕うような言い直し方もまた不服だったらしく、抗議するように鼻先をグリグリっと強めに押し付けられた。

再び超至近距離に接近した鼻穴から、ぶっふーーんっと吐き出される鼻息に、緩んで落ちてきた髪が揺らされて首筋をやわやわと撫でるように擽られる感触に笑ってしまう。


グリグリグリ。


鼻先を押し付ける力が一向に弱まらない。

幼女の脚力ではこれに抗いきれるはずもなく、ジリジリと押し負けていき、角度がついて歪に固まっている地面に引っ掛けていた足が、ついにずるっと滑りバランスを崩して後ろ頭から地面に向かって倒れ込む。

けれど地面に到達することはなく、その途中で、身体が不自然な角度のままピタリと静止した。


「……っ、……あ、れ?」


オロヴァスの顔から少し離れた辺りで、自分の周りの時間だけが止まったような、本当に中途半端な姿勢のまま傾いで動きを止めている。


じ…、と見詰めてくるオロヴァスの瞳と視線を合わせた瞬間に、脳裏にある考えがバチバチっと閃いた。


「これは、あなたが助けてくれたの…?」


ブルッ!


「そうなのね…、凄い! どうもありがとうオロヴァス!!」


ブルッ、ブルルンッ!


「…え、それって、どーゆー…」


「こと?」と、最後まで言葉にしきることはできなかった。


フワ~~~…。


突如重力に反してフワフワ~っと羽根のような軽やかさで風に舞い上げられ、浮遊して中空を漂ったのは瞬きの間程、それからすぐ浮かび上げられた身体は黒くて硬い何かの上にぽとりと無造作に落とされた。


 ーー岩のように硬い…、でも無機質なだけの硬さじゃない。 それに……メチャメチャスベスベしてて、手触り良っ!! 何コレっ、コレって…えぇっ?! やだぁ~~っ、コレずっといつまでも永遠にだって撫で擦り続けられるんですけど??ーー


スリスベスリスベスリスベスベ。


前代未聞、全くの未知な良過ぎる手触りに感動しきって無心に撫で擦る。

自分の意志ではもうどうしたってこの動作を止められる気がしない。


 ーーあぁ~~…、し・あ・わ・せ♡ この世に…こぉ~~んなにも極上な手触りが存在していたなんて…♡♡ 人生損してたわ、生まれ直してまだたったの3年しか経過してないけど、この3年、無駄にしてたって断言できる!!ーー


頬擦りして寝そべりたい衝動にかられ、実行してしまおうかと思ったその時、再び浮遊感に襲われる。

しかし今度の浮遊は自分だけでなく、今乗っかっている手触り最高の黒い何某、改めオロヴァス諸共に浮かび上がっている。

空気の層を踏み締めて立っているかのように、抜群の安定感で宙に浮き、ブルリっと1つ大きく身震いをしたかと思った次の瞬間。


世界が超高速で移動し始めた。


自分が動いているのでなく、周囲の景色が動いているのだと、本気で勘違いしてしまった。

其れ程に、この今の状態、私と魔獣であるらしいオロヴァスが体感している状態は全く何もかもが無抵抗過ぎた。


普通、屋外で外気に触れていれば何かしらの抵抗感が伴うのが普通であるのに対し、今の私と1頭が身をおく状態は、一切の抵抗感から解き放たれた状態である、としか表現できない。


 ーーまるで…、そう、まるでっ! 風と一体化したみたいに、全く風圧を感じない!! だって、ほらっ、髪さえ靡いていないのだもの!! 振動だって無いし、でもこれだけ流れるように景色が様変わりするのに、私全然っ!! 怖くないっ!! 落ちる感じもないし、バランスが崩れそうな気配もないっ!! 寧ろ絶対落ちないって、わかってる、確信してるっ!! これって、凄く、すんごぉ~~~っく!!!ーー


「~~~っっっ!! たぁ~~~のしぃ~~~~いぃっ!!! もぅっ、凄いっ、最高っ!! オロヴァスっ、あなた本当にっ、最っ高の馬だわぁっ!! もっと速くっ、走ってみせてオロヴァスぅーーーっ!!!」


キャッキャッキャーーー♡♡♡と黄色い歓声が少女の口からとどまることなく発せられる。


風を切り裂いて縦横無尽に翔け巡る。


駆けるのではなく、翔ける。

飛ぶのではなく、翔ぶ。

大空に舞い上がり飛翔することは出来なが、宙に浮いて翔けることは出来る。


この後、興奮が最高潮に達した少女は、その心が望むまま、望む時間だけ、オロヴァスに惜しみない称賛の嵐を手向けて、煽てに煽てて、気分良く存分に翔け巡らせることに成功する。


どよめく騎士達を置き去りにして、自分の中に新たに沸き起こった欲求を満たす為だけに、少女はこの竜馬(シュヴァルガルグイユ)を駆ることに熱中していた。

だからこそ、この少女が浮かべる表情は愉悦まみれであり、純粋な歓びにキラッキラと煌めいていた、という訳だった。


そして、この男はその最高潮の場面に遭遇することとなる。


「おやまぁ…、これは一体全体、どういった経緯でこのような状況に至った次第なのでしょう……ねぇ?」


事此処に至って、ようやっと合流した領地家令(アンタンダン)のこの発言に繋がるのだった。

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