第9話:黒騎士の出現
未だ興奮冷めやらぬといったラウルから視線を切り、改めて周囲へと目を向けてみた。
上階の通廊とは違い、仄かに明るく全体像が確認できる。
石質の壁に床、そして天井。特別な装飾や、設置物は見当たらない。
僕達が落ちてきた穴はかなりの高所へ位置付き、床から天井までは相当な距離があった。四方の壁も遠い。目で追えないほどではないけれど、かなり広大な空間だ。
見渡してみると、僕達は四角い大部屋の丁度真ん中辺りに落ちたらしい。
落ち着いて観察すると違和感がある。ただ広いだけで何もなく、簡素で空虚。デッドスパイダーが巣にしていたなら、そこら中に蜘蛛の糸が張り巡らされている筈だ。しかし此処には一切粘糸が張られていない。
そのことから考えると、デッドスパイダーは此処で暮らしていたのではなく、たまたま此処に居ただけということか。
偶然――いや、おそらく天井に空いている穴から、冒険者が落ちて来るのを知っていたんだろう。僕達のように宝箱の罠へはまり、落ちてきた冒険者を捕食していた可能性が高い。つまりこの空間は、デッドスパイダーの食堂だった。
高所から落ちて床に叩き付けられ、大抵の冒険者は死んでしまう。逃げることも、抵抗することも出来ない。だからあの大蜘蛛も、自分が攻撃されるとは思っていなかったのかもしれない。たとえ攻撃されても、自身の強靭さを知っているからこそ、然したるダメージにならないと高をくくっていた。
穴に落ちたのは不運だったけど、魔物の意表を衝いて一撃必殺で終わらせられたのは幸運だったわけだ。
「とりあえず、この大部屋は安全そうだ。少し休んでから、此処がダンジョンのどの辺りか慎重に探っていこう」
「そうやな。色々あって疲れてもうた。休憩するんは賛成……なんや、アレ?」
大きく伸びをしたかと思えば、ラウルが怪訝な顔で何処かを見ている。
何があったのか、僕も彼の視線を追ってみた。
僕達のいる位置から30歩ほど離れた場所だろうか。石畳の床面へ仄赤い奇妙な光が出現していた。
円形に形を作り、上へと赤い燐光が昇っていく。また新たな罠が発動したのかもしれない。
「気の休まる暇もないな」
「なんや、項のへんがゾワゾワしよる。嫌な予感がするで。逃げた方がええんちゃうか」
ラウルの表情は固く、余裕がない。
僕も背中に冷や汗が伝い、まるで落ち着かない気分だ。
連続したピンチを体験してきたことで、僕達の危険感知能力が高まってきた可能性はある。冒険者としての第六感というべきか。
とにかく、このままぼんやり眺めてはいられない。遺物弓はデッドスパイダーに使ってしまい、僕にはもう切り札がないのだから。
「ここは戦略的撤退といこう」
「異議なし。厄介事はもうちょい元気なときに挑むとしたもんや」
僕達は頷き合い、赤い光を見たまま後ろへと退がっていく。
変化に対応できるよう様子を探りつつ、ある程度の距離が開いたら、方向転換して全力で走るために。
「む」
だがこちらの逃走準備より先に状況が動いた。
床面から昇る赤光が一際強く瞬いたかと思えば、光が消え、入れ替わりに黒い人型が立っている。
身の丈は2メートルを超えるだろう巨体。全身を重厚な黒鎧で覆い、肌の露出は一切ない。頭部には髑髏を思す兜が被せられ、頭頂から足先までが甲冑に似た装備で固められていた。
左腕に全長へ及ぶ黒の大盾を備え、右腕に黒く無骨な長剣を握り持つ。意匠は皆無で長く重々しいばかりの刃は、剣先が切り取られたように四角い。
途轍もなく禍々しい、こちらの怖気を誘う強烈な存在感がある。異様な雰囲気は、それが冒険者ではなく人外の魔性だと本能へ直接教えてきた。尋常な相手ではない、極めて危険であると。
「御同業っちゅーわけやなさそうやな」
「以前に遭遇したことのある、リビングアーマーと似てる。アイツの方がずっと危ない感じだけど」
「フユの遺物弓に耐えよるとか、そうゆぅとったな。ヤバそうや」
「ああ、かなり。刺激しないよう、ゆっくり行こう」