◆クラスメイト:桜庭花子・2
◆ ◇ ◆
先を歩くクライルさんの背中を追いかける。と言っても歩調は私に合わせてくれているのだろう、ゆっくりとした足取りだ。
その手には先ほど見つけた卵が抱えられていて、あのまま置いておけなかったんだろうなと思った。私も気にはなったけど……自分のことで精一杯で、手を出すことはできなかった。
でもクライルさんは迷わず卵に手を伸ばした。まるでそうすることが当たり前のように。
こんな状況にあっても動じない胆力もさることながら余裕すら感じられるその行動に、この人と一緒にいれば大丈夫だという安心感を覚える。
「あ、ここから上に行けそうですよ」
考えごとをしている間に少し遅れていたらしい。カンテラの明かりが届かないところから声をかけられて我に返った。いけない、ちゃんと集中しないと。
急いで追いつくと、クライルさんが指し示す先に岩を削って作られた階段があった。自然では有り得ない人工物の階段があるということは、ここは人の行き来がある場所なのかもしれない。
「どこに出るかはわかりませんが、風の流れがあるので行き止まりということもないでしょう。とりあえず行ってみませんか?」
「そうですね、他に道もなさそうですし」
ここまでは一本道。戻っても崖しかないのであれば、一縷の望みをかけて階段を上るべきだろう。
しかしそこでクライルさんが「あ」と声を漏らした。
「あまり広い階段ではないですし、一人ずつしか上れないと思うのですが……私が先でいいですか?」
「え? はい、問題ないですよ?」
一体何の確認だろうと首を傾ぐと、クライルさんは懸念事項でもあるのだろうか、顎に手を当てた。
「では、くれぐれも転倒には気をつけてください。あと、私も気に掛けておきますが背後からの襲撃にも備えて──」
ごもっともな意見。でも何だか過保護な気がしてつい「ふふっ」と笑ってしまった。するとクライルさんは言葉を切り、つられたように笑う。
「口煩くて申し訳ない」
「いえ、心配してくださってありがとうございます」
本当に、どうしてこの人は私たちにこんなに親切にしてくれるんだろう。
たまたま立ち寄った王都で国王陛下に呼ばれ、滞在していた数日の間は私たちのために手を尽くしてくれて。その後も強力な魔物を倒して得た魔晶石を譲ってくれて、今回もこうしてついてきてくれて……。
「あの……私たちに手を差し伸べてくれて、本当に、本当にありがとうございます」
衝動的に声をかけると、階段を登り始めていたクライルさんは少し驚いたような様子で振り返った。それに構わず言葉を続ける。
「あなたに出会えて私たちは本当に幸運でした。クライルさんがいなかったらきっと今頃私たちはもっとバラバラになっていたと思うし、もっと死人も出ていたと思います。けれどクライルさんと出会って、色々と教えてもらって、私たちはただ帰りたいというだけではない、生き残ろうという気持ちを持つことができた。本当に感謝しています」
「ええ……どうしたんです、急に」
戸惑った声。確かに急だったかもしれない。でもクライルさんとはいつ別れることになるかわからないし、次にいつ会えるのかもわからない。だから伝えたいことは伝えられる時に言ってしまった方がいいような気がしたのだ。
だから。
「ちゃんと伝えたいなと思ったんです。だって伝えないと、伝わらないじゃないですか」
当たり前のようで、当たり前ではないこと。何故なら伝えたいときに伝えたい相手がいるとは限らない。もしかしたらもう二度と会えないかもしれないのだから。
そして私たちは知っている。二度と会えなくなってしまった人のことを。二度と取り戻せない命のことを。
「そうですか。では、素直に受け取らせていただきます。確かに伝えなければ伝わらないですよね。後で言っておけばよかったと後悔しても、伝える相手がいなければどうにもなりませんから」
まるで心の中を見透かしたように、私の考えと一致する言葉。けれどすごく実感がこもっていて、クライルさんにも伝えたくても伝えられなくなってしまった経験があるのかなと思った。
その後は黙々と階段を上った。上っても上っても終わりが見えない階段は、けれど私が息を切らして座り込みそうになったその時、唐突に終わった。
「今度は横道……少し休憩しますか。空腹感はありますか?」
「あ……はい」
空腹のことを考えたら急激に自覚してしまって、今にもお腹が鳴ってしまいそうだった。気合いで耐えていると目の前に携帯食料を差し出される。受け取りながら見上げれば、今度は水筒を差し出された。
「食材を買い込む前に街を出てしまったので、今はこれしか持ち合わせがなくて。あ、でも水筒はふたつありますから、これは差し上げますね」
もっと早く渡しておけばよかったですね、と申し訳なさそうに言うクライルさんから水筒を受け取る。飲んでみるとほんのり冷たくておかしな匂いもしない。
底面にはカンテラと同様に小粒の魔晶石を入れる場所があるから、水を腐らせずに一定温度で保つタイプの魔法道具なのかもしれない。
「クライルさんはいろんな魔法道具を持ってますね」
「ちょうどマルトレンで購入したばかりだったんです。マルトレンには魔力がなくても使用できる魔法道具がいっぱいあったので、調子に乗ってたくさん買ってしまいました」
確かに、街中で合流したあとものすごい勢いで買い物してたっけ。普段落ち着いた印象のクライルさんがまるで子供みたいにはしゃいでて……思い出したらうっかり笑ってしまった。
「……いいんですよ、思い切り笑ってもらっても」
「あっ、すみません。クライルさんでもはしゃぐことがあるんだなと思ったらつい」
「私もあなた方と同じ年齢なので、相応に子供っぽいところがあってもおかしくないと思うんですけどね」
「えっ!?」
同じ歳なの!? 年上だと思ってた……。
「とは言えこの世界ではこの年齢からが結婚適齢期。そろそろ大人にならないといけませんね。まぁ気負うこともないとは思うのですが……うーん」
何やら考え込んでしまったクライルさんの言葉に、小さな衝撃を受ける。
この世界ではこの年齢から結婚適齢期──もう大人。
そっか、そうなんだ。確かに私たちの常識とこの世界の常識は違うけれど……いきなりこの年で大人と言われても、その自覚を持つのは難しい。
「ん? あれ? ということはもしかして私たちも、この世界の人たちから見たらもう大人って認識なのかしら」
「そういう目で見られていてもおかしくないでしょうね」
うっかり零した言葉にクライルさんが答えてくれた。慌てて口を塞いでももう遅い。ああ、クライルさんには敬意を持って接しようと思っていたのに、どうして思考が口から漏れてしまったのか……。
がくりと項垂れていると、ふふっという笑い声が耳に届いた。
「ハナコ殿は大人びた御方だと思っていましたが、普通の女の子と変わりませんね。ちょっと安心しました」
「そっ……それは私のセリフです!」
普通の女の子。その一言でなぜか顔が熱くなる。
まさかクライルさんがそういうことをさらっと言うなんて──っていやいや、何もおかしなことは言われてないじゃない。でも、なんか違和感……!
「さて、お喋りはこの辺までにして空腹を満たしてしまいましょうか。あとどれくらい歩くことになるかわかりませんし、体力を温存しながら行きましょう」
「あ……はい!」
あっさり切り替えて携帯食料を食べ始めるクライルさんに続き、私も渡された携帯食料を口に含む。ちょっとパサパサしてるけど意外と美味しい。
ちらりと横目で見てみれば、クライルさんは通路の先に顔を向けていた。一体何を考えているんだろう。気になるけど、仮面で表情が隠れているから推測することもできない。
そう、クライルさんは何を考えているのか読めない人だ。けれど私たちのことを気にかけてくれているのは確かで。
それはどうしてなのか、訊いてみてものらりくらりと躱されてしまう気がして踏み込めない。そんな印象が誰かを彷彿とさせて──。
一瞬、脳裏にその誰かの姿が過ぎった。けれど捉える前に霧散してしまって、結局それが誰だったのか思い出すことはできなかった。




