本日二度目の逃走
今起きたことを話すぜ……。
緑熊が目覚めてしまわないか焦る俺を尻目に、比較的軽傷の兵士さんたちがわらわらと集まってきて各々縄を取り出した。そしてテキパキと作業を開始する。
なんの作業かって? 緑熊を拘束する作業だよ!
まずは周囲の木を利用して熊さんの四肢と首を固定しまーす。暴れたら危険なので念入りにね!
お次は危険な爪に丈夫な麻袋を何枚も被せまーす。これも念入りに固定するよ!
そして、仕上げに。
『どりゃぁあああ!!!』
俺はこの光景を忘れない。いや、忘れられないだろう。
緑熊の両目、口、喉、心臓、肩、腹、足……急所を含めほぼ全身に一斉に刃が突き立てられる。当然痛みで目覚めた熊さんは暴れる。固定している木々がわっさわっさ揺れて大量の葉っぱが降ってくる。
しかし兵士さんたちは手を緩めない。当然だ。命がかかってる。
彼らは突き刺した剣を捻り、傷口を抉りながらさらに深く刃を押し込む。さらに激しく暴れる熊さん。
俺はその光景を見ていられず両手を合わせて拝む。どうか成仏してください。どうか成仏してください。どうか成仏してください……!
そうしてどれくらい経っただろう。
木々が激しく揺れる音、兵士さんたちの裂帛の声、そして巨大緑熊の悲鳴が止んだ。ぷつりと途切れるのではなく、徐々に静けさを取り戻していくように。
最後にはさわさわという葉擦れの音だけが残る。
なんというか、戦闘介入時点では俺が倒す! くらいの意気込みだったんだけど……でも手っ取り早く止めを刺す手段を持ってなかったから兵士さんたちに止めを譲ったんだけど……結果的にこう、目の前で処刑を見てしまったようなショックがすごい。あれ以外に手早く仕留め切る手段がなかったとは言え、ちょっと……。
もう一回拝んどこ。どうか成仏してください。
「神使様。本当に、本当にありがとうございました!」
『ありがとうございました!!』
ひとりでなむなむしていると、巨大緑熊の息の根が確実に止まったか確認していた兵士さんたちが集まってきた。そしてまるでスポーツ大会の試合前後のような規律正しさと声量で感謝の意を伝えられる。
ちょっ、空気がビリビリいってるんですけど……!
「い、いいえ。なんというか、思いがけずいいところに入ったみたいで。私もちょっとびっくりしてます」
「いやいやあの動き、神使様に十分な力量があってこそでしょう!」
「あの速さ、力強さ、的確さ! いやぁ、素晴らしい!」
「俺、鳥肌が立ちました!」
大興奮の兵士さんたち。それはそれとして、とりあえず手に持ったままの血塗れの剣をなんとかしてくれませんかね? 血塗れの剣を持った集団に囲まれてるとか、トラウマを乗り越えたはずなのに新たなトラウマが芽生えそうなんですけど!
そんな思いを込めて剣の方へ顔を向けていると、俺の様子に気づいてくれた兵士のひとりが「ああ」と呟いて剣を振り、血を払ってから鞘に納めた。
「神使様は刃物をお持ちではないようですね。よろしければこちらを」
と思ったら鞘に収めた剣を差し出された。違う、そうじゃない!
「い、いえ。お心遣いはありがたいのですが、剣は手に馴染まなくて……」
これは本当。生前も剣より槍の方がしっくりきていた。さらに神界でもストレイル様に色んな武器を持たされたけど「お前に剣は向いてない」と断言された。ので丁重にお断りする。
「そうですか……ならばせめてこちらを」
そう言って差し出されたのは、立派な鞘がついた果物包丁サイズのナイフ。これを戦闘で役立てるのは難しそうだけど、それ以外であれば使い所がありそうだ。
「では、ご厚意に甘えさせていただきます」
ありがたく受け取ると兵士さんたちの顔に笑顔が浮かぶ。
たぶんだけど、彼らは言葉だけでなく、形あるものでも俺に感謝の意を受け取ってもらいたかったんだろうな。
最初に差し出された剣もそれなりにいいものだったみたいだし、もらったナイフもいいもののようだ。
鞘もしっかりしてるし、試しに抜いてみれば丁寧に手入れされた刀身に俺の顔が映る。指で弾けば澄んだ音。色味もただの鉄とは違うし、なんか輝きが──
「うわっ……」
小さく、実に小さく白夜がつぶやいた。なんだよ「うわっ」て。何に対しての「うわっ」なんだよ。
そんな意図が伝わったのか「それ、希少金属で作られたナイフだよ。一兵士が持ってるものとは思えないんだけど」と教えてくれた。なんだって?
「え、えーと、このナイフって……」
「おや、気づかれましたか。目利きもおできになるのですね。しかし気にせずお納めください」
「それよりも! 神使様、是非我が国の国王陛下に会っていただきたいのですが!」
柔らかく微笑む兵士さんの横から元気よく別の兵士さんが顔を出す。強引な話題変え。これはもう受け取らざるを得ないのか。
俺は改めて感謝しつつナイフを鞘に収め、元気な兵士さんから振られた話題をポイッと頭に放り込んで、回して、回して、こねくり回して──ナンダッテ?
「あっ、私ちょっと急ぐ旅でして。しまった、もうこんな時間!」
と見えもしないのに太陽の位置を確認するような仕草で真上を確認、ささっと兵士さんたちから距離を取る。
「みなさんご無事でなによりでした。それでは、私はこれにて失礼!」
そして一目散に駆け出した。
本日二度目の逃走。王都以上に人を巻くのに向いている森の中、俺は駆けつけたときと変わらぬ速度で木々を縫って走り去った。
「キミはなんというか、生きづらそうなヤツだよね」
かなりの距離を移動してから街道に戻ると、白夜から呆れを多分に含んだ声を向けられた。
「自由のための努力、大事だと思います」
「まぁボクに迷惑をかけない限りは好きにしたらいいと思うよ」
そんなこと言って、迷惑かけたって面倒臭そうにしながら助けてくれるんだろ? わかってるんだからな。
そうは思うものの口には出さず。余計なことを言ってへそを曲げられて困るのは俺だしなぁ。
「そんじゃ、旅を再開しますか。ここをまっすぐ進めば商業都市だっけ?」
「何言ってるの、キミ。どれだけ元の道から逸れたかわかってないでしょ。位置的にこの先にあるのは炭鉱街ドイロックだよ」
なんだって!?
あー……でもま、いっか。特にどこがいいとか決めてなかったんだし。むしろどこに行くか悩まなくてよくなったから結果オーライってことで。
それにしても。
「俺、どんだけ森の中を走り回ってたんだろうな……」
「キミの体力と速度を思えば、森のほぼ南端から北端まで縦断したんじゃない? 普通の人なら何日もかけて慎重に進むような距離だよ。よかったね、これでキミも立派な脳筋だ」
「いやいや、俺、脳筋じゃないし!」
「世の中認めてしまった方が楽なこともあるって知ってる?」
やめてっ、諭そうとしないで! 俺は認めない、絶対認めないぞ!
そんなやりとりをしながら、街道を北へ北へと歩いていく。
向かう先には聳え連なる山々の影。その麓に厳しい外観の街が姿を現したのは、太陽が赤味を帯びた頃のことだった。