9.斉藤さん
家を失った私達はUGC本部内に暫く滞在する事になった。
これだけの施設だ。
ホテルぐらいは当然完備されているのだろう。
ひとまず宿泊施設へ移動し、休憩を取る事になった。
私は肉体的にも精神的にも疲れていた。
祖父母の老体にも堪えたはずだ。
女性職員の案内でエレベーターに乗り込み、地下7階で降りると、そこにはまるでハリウッド映画のセットのように住宅が並んでいた。
道も庭もある。
見慣れた景色に思わず叫んだ。
「うちと似てる!」
すると母が驚く返事を返した。
「何らかの事情であの家に帰れなくなった時、麻紀を睡眠薬で眠らせてここに運ぼうと思ってたの。景色はVRでなんとかなるしね」
娘を睡眠薬で眠らせて騙そうだなんて、さらっと言う母親がいるだろうかと呆れながら、家をまじまじと見た。
塀にはきちんと「伊藤」と表札もある。
どうみても我が家だ。
何も知らないでここに連れて来られたら、私はここが家だと思うに違いない。
まず祖父母の家の中へ入って見ると、驚いた事に祖父母の自宅に帰ったかと思うほどそっくりだった。
間取りも、家具も食器も、こたつカバーも、何もかも同じだ。
祖母は冷蔵庫や食器棚を開けて中を確認し、祖父はいつも愛用している一人掛けチェアーに座ってオットマンに足を乗せると、テレビをつけた。
女性職員が言った。
「何かございましたらあちらのボタンを押して下さい。何でもお持ちしますし、下の階にはちょっとしたレストランとスーパーもございます。スーパーと申しましてもお金は不要でございます。また体調に異変がございましたら、やはりボタンを押していただくか、通路反対側の突き当りには総合病院がございますのでご利用下さい。こちらもお金も保険証も不要で24時間ご利用いただけます」
祖母は固い表情で窓に近寄り黙って庭先を眺めていた。
そこに祖父の美しい花壇はないが、庭は実際より広く、芝が敷かれ、コニファーに似た低木の生垣があった。
生垣の向こうにコンクリートの壁が木々の隙間から見える。
室内なのにどうやって草木を育てているのだろう。
太陽の代わりに室内園芸用の特殊ライトでも設置されているのか、芝生も木も青々としている。
母が祖父母に言った。
「史子さんには私からご不幸があった旨ご連絡しました。きっと会える日が来ます。お辛いと思いますが暫くご辛抱下さい」
母と祖父母の関係は、特別仲がいい訳でも悪い訳でもない。
義理の両親という事で少し距離をおいて接している様子ではあったが、いい関係だ。
亡くなった父には姉がいる。
私にとっては叔母の史子叔母さんは、結婚後A国に住んでいるため、交流はほとんどない。
史子叔母さんは、火事で両親が亡くなったと聞いて、どう思っただろう。
母は一人娘である私を、とても可愛がって育ててくれた。
一人っ子ということもあり、甘やかされてきた自覚がある。
史子叔母さんも祖父母にとって大事な一人娘だ。
祖父母と史子叔母さんは今、どんな気持ちだろうか。
とても気の毒に思った。
ふと、テレビから流れるニュースが耳に入り、全員がテレビを振り返った。
「今日正午頃、東京都小平市の住宅街で火事があり2棟が全焼し、男女2人の遺体が発見されました。この家に住む伊藤さん夫婦と見られ、火事の原因を調べています」
いつも見ているニュースで、私の身内が死んだと嘘のニュースが流れるのは、不思議な感覚だった。
祖父母はいま私の隣で生きて、テレビを見ている。
母が言った通りに嘘のニュースが放送されている現実が、なんとなく恐ろしくも感じた。
母はいったいここでどんな仕事をしてきたのだろう。
急に現実味が増し、寒気を感じた。私の様子を察した母が、少しぎこちなく笑って言った。
「疲れちゃったでしょう、あなたの部屋を案内するわ。少し休んだらみんなでご飯食べに行きましょうか」
祖父が久々に口を開いた。
「そうだね、麻紀ちゃんも疲れたろう。由美さん、麻紀ちゃんを優先してくれ。私達は大丈夫だ」
祖母もようやく笑顔を見せた。
「そうよ、ジイもバアも大丈夫! おうちをみてらっしゃい。由美さん、ご飯楽しみに待ってるわ」
「はい。何かあれば呼んで下さいね。麻紀、行きましょう」
隣の家に入るとやはり我が家と同じで、庭だけが違っていた。
我が家には庭はなく駐車場となっているが、こちらには芝生の庭があり、その周りは生垣で囲われていた。
祖父母宅と我が家の境目にある生垣には一部隙間があり、行き来ができるようだ。
「お庭を以外はそっくりでしょ? 何を買うにも2つ買ってこちらに置くようにしてるのよ」
母は庭に面したガラス戸をガラガラと開いた。
「ちーちゃん、ちーちゃんどこにいるの、こっちいらっしゃい!」
母がそう呼ぶと生垣の隙間から我が家のアイドル、愛猫のちーちゃんが尻尾をたてて軽やかに走って現れた。
「ちーちゃん!」
思わず私は叫んだ。
まさかここで愛猫のちーちゃんに会えるなんて。
ちーちゃんは私の声を聴くや否や尻尾を立てて軽やかにステップを踏みながら近づき、私の足にすりすりした。
我が家ではもはやペットではなく次女、私の妹で家族だ。
「ちーちゃんはここに時々連れて来ているの。いざって時の為に慣らしておいたほうがいいと思ってね。ここのお庭がお気に入りみたい。実はね、ちーちゃんはお母さんなのよ」
「ちーちゃんがお母さん!? 子猫がいるの?」
祖母は大の動物嫌いだが、私と母と祖父は無類の生き物好きだ。
私は庭を見回し、子猫の登場をワクワクした気持ちで待った。
「斉藤さーん、おいでー」
斉藤さん?
子猫の名前に斉藤さん?
生垣の奥にあるコンクリートが忍者屋敷のようにひっくり返り、斉藤さんが現れた。
私は斉藤さんを見て
「あっ」
と声を上げた。
庭に現れたのは大きなトラだった。
「黒田総裁が連れてきたのよ。捜査していた密輸業者の船の中で発見されたの。瀕死の状態だったらしいわ。動物好きの総裁がこの部屋で面倒みていたの。獣医は絶望的って言ってたんだけど、献身的に面倒を見てくれた職員のお蔭で命をとりとめたのよ。斉藤さんはちーちゃんの後ばかり追いかけて、ちーちゃんをお母さんだと思っているみたい」
まるで豪華な敷物のように、美しい毛並の巨大猫は、母の足にすりすりした。母はバランスを崩しながら斉藤さんをなでた。
「トラはね密輸業者などから年間百頭も押収されているの。毛皮になる他、虎骨や爪など体の一部が装飾品やお守りとして高値で取引されている。斉藤さんの他に沢山の動物死骸が積まれていたそうよ。ひどい話よ」
私はまた現実感を失い、試しに今度はほっぺたをつねってみた。