39-Ⅶ 中山加奈子の告白【ダニエルとの出会い】
ダニエルは鈍い音を聞いた。
「あ……ああ、なんてことだ」
ダニエルは思わず腰を抜かし、道路に座り込んだ。
恐ろしさで踏切を直視できず、おそるおそる目を向けてみると、耳をつんざくような音を立てて急停車しようとしている電車の脇に、安藤が持っていたバッグが、膨らみを無くしボロボロになって落ちているのが見えた。
バッグの脇には血まみれになった腕らしきものが落ちている。
ダニエルはガクガクと震える体を起こし、急ブレーキをかけてスピードが減速した電車に注意しながら、線路脇まで駆け寄った。
周囲を気にしながら、ダニエルはバッグを掴むと、急いでその場から立ち去った。
恐怖心でいっぱいだったダニエルは駐車場まで無我夢中で走った。
マンション近くで安藤の車を調べていた警察らしき男とすれ違った。
彼は急停車した電車に気をとられ、顔は踏切の方を向いたまま、ダニエルには目も止めずに、走り去って行った。
ダニエルは自分の車に乗りこむと、マンションから逃げるように車を走らせた。
「落ち着け、落ち着くんだ」
ダニエルは動揺したままハンドルを握り、何とか無事に自分のホテルに辿り着いた。
誰にもつけられていない事を確認し、部屋に入ってドアを閉めると、へなへなと座り込んだ。
「いったい、何がどうなっているんだ」
ダニエルは混乱しながら、ボロボロになったバッグを開けてみた。
「これが……軍の機密機器か?」
形は成していないが、何かの機器の残骸が入っていた。
安藤はどうなったのだろうか。
あれじゃ助かるまい。
安藤を助けようとした人物はどうしただろうか。
とにかく明日の朝になれば分かる。
明日、上司には安藤が自殺したとだけ報告し、事故の詳細を確認してから基地に戻ろう。
ダニエルはペットボトルの水を一気に飲み干し、気持ちを落ち着かせると、洋服のままベッドに寝ころんだ。
翌朝、上司には安藤の自殺だけを報告し、詳細を確認してから基地に戻ると伝えた。
ホテルに延泊を申し出て手続きを済ますと、事故のあった踏切に車で向かった。
踏切はすでに日常を取り戻し、人々が行き交っていた。
踏切近くにはパトカーが1台停車していて、そのそばで女性と警察官が話をしているのが見えた。
「あれは中山加奈子さんだ」
事故の説明でも受けているのだろうか。
様子を窺いながらゆっくりと踏切を通過し、それほど交通量の多くないが、バス同士がすれ違うとサイドミラーが接触しそうな、少し狭めの道路をのろのろと進んだ。
すると、左側に駐車スペースを所有する喫茶店が見えた。
ダニエルは車を止めて喫茶店に入ると、店内にある朝刊を手に取り、モーニングセットを注文した。
こんがり焼けたトーストをかじりながら新聞に目を走らせると、片隅に、クイズ番組で人気だった安藤の死を悼む記事が小さく記載されていた。
ここ数年はテレビの仕事から離れていた事などに触れ、安藤の死因は自殺と発表されていた。
朝食を終えると、再び踏切を車で通過してみた。
パトカーと警官の姿は無く、女性がひとり、事故現場に手を合わせていた。
「加奈子さんだ」
ダニエルはのろのろと車を走らせ、踏切を過ぎると、バックミラーに映る私の様子に、違和感を感じとった。
「何か探しているみたいだ」
車通りの少ない道路をのろのろ走っていたダニエルは、車を道路脇に止め、サイドミラーを覗いた。
それほど通行人の多くない踏切で、私は通行人がいなくなると、線路沿いにある茂みを掻き分けて安藤のバッグを探ていた。
そして人が通ると、手を合わせて悲しみに暮れる遺族を演じていた。
ふとダニエルは、自分以外にも踏切をじっと見つめている、1人の男性に気が付いた。
彼はスーツ姿で、踏切から少し離れた場所にある電柱に隠れて、踏切の方を見ている。
ダニエルはその男性に見覚えがあった。
昨夜、踏切で安藤を助けようとしていた人物によく似ている。
電車の灯りに一瞬だけ照らされた彼の姿を、ダニエルは記憶していた。
昨夜は偶然通りかかった通行人だと思っていたが、何者だろう。
昨夜の黒い車の仲間だろうか。
ダニエルはその場を離れ、再びマンションの周りをゆっくりと走行し、黒い車を探した。
すると今度は、前日と同じ場所に、セダンタイプのシルバーの車が停車していた。
中には、やはりスーツを着た男性が1人、座席を倒して煙草を吸っている。
そこへ私が踏切から戻って来た。
後方には、電柱に隠れていた男性の姿があった。
電柱に隠れていた男性はシルバーの車に乗り込み、運転席の男が煙草を消しながら座席を起こした。
ダニエルはその様子を横目で見ながら車を駐車場に入れた。
駐車場12番からは、道路に立っているカーブミラーが見える。
カーブミラーには、シルバーの車が映っていた。
車内でスーツ姿の2人が何やら話をしているのが見える。
「あの男性も仲間だったのか」
その日ダニエルは、私の部屋と、カーブミラーに映る車の様子を見張り続けた。
日が落ち始め、辺りが薄暗くなってきた頃、シルバーの車をノックする、スーツ姿の男性2人の姿があった。
すると中の2人が車を降りた。
どうやら交代のようだ。
車を降りた2人は徒歩で駅方面へ向かい、残った2人は車からマンションを見ながら話し込んでいる。
いったい彼らは何者で、目的は何だろう。
ダニエルは考えた末、行動を起こす事にした。
このままではバッグの中身の確認もできない。
辺りが真っ暗になると、ダニエルは近くの量販店へと車を走らせた。
そしてスナック菓子、飲み物、帽子、ゴミ袋を購入した。
駐車場12番に戻ると、車中に身を潜め、スナック菓子をつまんで空腹を満たした。
ダニエルは辛抱強く、私の部屋とカーブミラーに映る車を監視しながら、朝まで過ごした。
翌朝、私はゴミ捨てに行こうと外に出た。
シルバーの車の2人組は、私のラフな服装と荷物から、ゴミ捨てと判断したらしく、車内で待機したまま動かなかった。
ダニエルはそれを確認すると帽子を被って車を降り、シルバーの車からは死角となる位置を通って、買ってきたゴミ袋を片手に、ゴミ捨て場へと向かった。
ゴミ捨て場に現れた金髪の彼を、肌の白さが少し日本人離れしている様にも感じたが、ここに住む若者と疑わず、私は丁寧に挨拶をした。
「おはようございます」
「おはようございます」
ダニエルは流暢な日本語で挨拶を返した。
ゴミ捨て場はプレハブ小屋の様な建物になっている。
私が鍵を開けると、ダニエルがドアを開いてくれた。
「ありがとうございます」
そう言って私が先に中へ入り、続いてダニエルが入りドアを閉めた。
私がゴミを置いて振り向くと、ダニエルは私の目の前に立ちはだかり、無言で、持っていたゴミ袋を開いて中身を見せた。
中には安藤に持たせたヴィトンの旅行用バッグが入っていた。
私は全身が凍りつき、恐怖に襲われた。
ダニエルは帽子をとって見せた。
金髪にブルーの瞳を持つ外国人の住民に、私は見覚えがなかった。
怯えて後ずざる私に、ダニエルは言った。
「すみません、驚かすつもりはなかったのですが、加奈子さんは監視されている様です。ですから、こうしてお会いするしか方法が思い浮かびませんでした。僕に少しお時間をいただけないでしょうか? 脅したり乱暴な事をするつもりは決してありません」
初めこそ恐怖に怯えたが、その流暢な日本語と彼の穏やかな話し方、しぐさ、優しそうで真剣な瞳は、何となく信頼してもいいような気持ちにさせた。
脅したり殺すなら今ここで出来るはずなのに、彼はそのつもりはなさそうだ。
もしも何かあれば外にいる監視とやらに、助けを求めればいいのだ。
監視とは警察だろうか。
この外国人は依頼主の関係者だろうか。
私はダニエルに、エレベータを降りたら、駐車場から見えないよう背を低くし、頭を隠して廊下を歩くよう指示した。
私が玄関のドアを開けると、ダニエルは背を低くしたまま、猫のようにすっとドアの中に入った。
「すみません、ありがとうございます」
「どうぞ、お入り下さい」
「加奈子さんを監視しているあの2人は警察ですか?」
「私が聞きたいくらいです。どうして私は見張られているのかしら? それに、あなたはなぜ私の名前をご存じなのでしょう」
「正直にお話します。僕は昨日、安藤さんからある機器を受け取る約束になっていて、ずっとあなた方お2人をつけていました」
「あなたが?」
私は意外そうに言った。
「僕は加奈子さんに謝らなければなりません。僕は安藤さんが踏切に入って行くのを目撃しました。僕は異変を感じながらも助けてあげる事が出来ませんでした。申し訳ありませんでした」
「あなた、わざわざそんな事を言う為に……?」
「それからもう一つあります。このバッグです。これは安藤さんの遺品です。私はこれを踏切で拾いました。あなたが昨日踏切で探してたのはこれでしょうか?」
ダニエルがゴミ袋からバッグを出したとたん、私の表情は固くなった。
ダニエルもそれを察したようだった。
「加奈子さんはこれが何かご存じですか? 警察らしき人物は昨夜、お2人の車をずっとつけていました。あなたが踏切で何か探し物をしているところも見られています。彼らもこれが目当てなのでしょうか。何かお心当たりはおありですか?」
そう言ってダニエルはバックを開き、私の目の前に差し出した。
私はバッグの中を恐る恐る覗いた。
バッグの中の装置の残骸を見たとたん、目の前が真っ暗になった。
「加奈子さん!」
ダニエルはバッグを投げ捨て、私を抱きかかえた。




