28-Ⅴ 関の手紙【脱出劇】
ある日の午後、安藤は、海老原教授と児嶋さんをマンションに残し、私達3人を連れて仕事先であるテレビ局に向かいました。
安藤が提案した、国際問題をテーマにしたクイズ番組の準備が着々と進み、私達もその準備を手伝わされていました。
しかしその日、私ひとり、安藤の忘れ物を取りにマンションへ戻る事になりました。
マンションに戻ると、海老原教授が殺風景なリビングのソファで、腰掛けたまま居眠りをしていました。
教授愛用のモスグリーンのテラードジャケットの右ポケットに、児島さんの足枷の鍵が入っている事を私は知っていました。
チャンスでした。
私はポケットからそっと鍵を取り出し、児嶋さんの足枷を外すと、児嶋さんにわずかなお金を渡し、アルジャーノンを連れて逃げるよう言いました。
児嶋さんにとって1カ月ぶりの外出でした。
この日は木曜日。
児嶋さんは西村病院に向かっていました。
伊藤教授と児嶋さんは研究のため、決まって毎週木曜日に、西村病院の研究棟と入院病棟を訪れていました。
警察に出頭しても信じてもらえないだろうと、とりあえず伊藤教授と峰准教授に会って全てを打明け、弱ったアルジャーノンを保護してもらう事にしました。
児嶋さんが出て行った後、私は玄関にあった靴や傘を散乱させ、あたかも争ったように見せかけました。
物音に、海老原教授はすぐ目を覚ましました。
私は、海老原教授が目を覚ましたタイミングに、玄関に置いてあった家庭用消火器を撒き散らしました。
海老原教授が駆け付けました。
慌てた様子でやって来た海老原教授は、消火器の粉だらけになった玄関を見て言いました。
「何事だ!」
「児嶋さんの足枷が外れていたようです。消火器で攻撃され、逃げられました。私は後を追います。安藤さんに連絡して、石塚君と竹本君をこちらによこして下さい」
海老原教授は急いで安藤に連絡しました。
私は児嶋さんをサポートするため、児嶋さんの後を追いました。
私はテレビ局のスタッフに電話をして、携帯を持たない石塚君と竹本君に、
「西村病院にいる」
と伝言を頼みました。
そして私達は西村病院で合流しました。
とうとう脱出できる日がやってきました。
私達は緊張しました。
なんとか児島さんと、アルジャーノンを逃がしてやりたい。
上手くいくようにと、祈りながら、児島さんを捜しました。
研究棟と入院病棟へ行くにはまず、外来診療棟にあるエレベーターに乗らなければなりません。
西村病院のエレベータホールは8基ものエレベータが待機し、まるでホテルか有名オフィスビル並みです。
私達は、エレベーターホール全体が見渡せる、受付待合室のロビーチェアに腰をかけ、児嶋さんが現れるのを待つ事にしました。
暫くすると、児嶋さんがひとりでエレベータから降りて来たのが見えました。
様子を察するに、伊藤教授と西村院長は不在のようでした。
石塚君と竹本君の表情は曇りました。
「私達がなんとかして児島さんを、伊藤教授の自宅まで送り届けよう! あそこなら警察もいる!」
そう提案した私に、2人は強くうなずき、私達は児島さんのもとへ急ぎました。
声を掛けようと私達がエレベータホールに駆け付けた時、児嶋さんは思わぬ人物と遭遇しました。
黒田総理でした。
児島さんと黒田総理は、お互いに驚いた様で、何か短い会話を交わすと、足早に、再びエレベータに乗り込みました。
驚いた事に、児嶋さんは黒田総理と面識があったのです。
2人を乗せたエレベータが最上階で止まったのを確認し、私達も急いで別のエレベータに乗って後を追いました。
黒田総理の母親は認知症を患い入院中で、総理は認知症に深い関心があると、何かで読んだ記憶がありました。
2人の行き先は母親が入院する特別室と推測し、特別室を探し回りました。
児嶋さんの声がし、声のする方へ向かうと、黒田総理と児嶋さんが特別室から出て来るところでした。
児嶋さんはさっきまでと違って、安堵した様子でした。
おそらく、これまでの出来事を全て総理に話したのでしょう。
隠れて2人の様子を窺っていると、児嶋さんは峰准教授に会ってから警察に出頭したいと言い、黒田総理は外で待たせている運転手に、H大学まで送らせると答え、2人はエレベータホールへ足早に向かいました。
私達も後を追おうとした時、突然、私は見知らぬ男性に腕を掴まれました。
「君たちは何者だ。児嶋と黒田総理に何の用だ?」
「児嶋」という台詞に驚き、私が振り向いた瞬間、その見知らぬ男性が、崩れるように倒れました。
そして男の横には、通路に飾ってあった絵画の額縁を両手で持ち上げている、海老原教授が立っていました。
教授は重量のある額縁で、私の腕を掴んだ男性を殴ったのです。
安藤の高層マンション周辺にはマンションを挟んで南と北に2つの駅があり、西村病院へ行くにはA駅、H大学とT大学へ行くにはB駅へ行かなければなりません。
おそらく海老原教授は、私がA駅方面に向かうのを双眼鏡で見ていたのでしょう。
そしてそれを安藤に報告すると、賢い安藤は、行き先を警察か西村病院と想像しました。
しかしスマホなどない時代、警察署の場所を探すよりも、行き慣れた西村病院へ向う方が早い。
それに西村病院には顔なじみも多く、助けを求めやすい。
海老原教授は安藤の指示に従い、安藤の車で西村病院へ向かいました。
石塚君と竹本君は、安藤が
「邪魔をする者は殺せ」
と海老原教授に電話口で命令するのを聞いていました。
加えて、
「児嶋を逃がした場合には前に言った通りだ。警察に出頭し、自分が装置盗難の主犯で児嶋は共犯だと自供しろ。余計な事は何もしゃべるな。私の所にはもう二度と来るな。出頭する前に携帯をアイテムに渡すかどこかに捨てろ!」
と指示していました。
安藤は用意周到でした。
安藤は、児嶋さんが警察で、自分の名を告げる事を恐れました。
もしもに備えてあらゆる準備をしてはいましたが、この日は収録を控え、動けず、安藤は焦りました。
不安を覚えた安藤は、石塚君と竹本君にも児嶋さんを捕まえるよう命じ、児島さんを捜しに急ぎ行かせました。
ちょうど私達3人が、児島さんを追ってエレベーターに乗り込んだところを、海老原教授は目撃しました。
そして、私達が乗ったエレベーターが最上階に止まったのを確認し、後を追って来たのです。
海老原教授は、私の腕を掴んだ見知らぬ男性を「邪魔する者」と判断し、安藤の指示通りに殺意を持って思いきり殴りました。
海老原教授は、安藤の言いつけを忠実に守り、殺人鬼となっていました。
私達が倒れた男性を介抱している間に、海老原教授は児嶋さんを追って、消えていました。




