24-Ⅲ 史子叔母さんの告白【移住】
UGCに忍び込んで以来、私は監視されているはずだ。
いいや、それより以前から、監視されていた。
きっと監視の目は厳しくなっているはずだ。
私達が真相に近づくのを、UGCが黙って見ている訳がない。
しかし私は、逆にそれを利用しようと考えた。
常に監視されても一向に構わない、真相を、UGCと共有できれば、それでいいと思った。
必ず真相に近づいて証拠を掴み、まだ真相を語っていない、黒田総理の口を割らせようと考えた。
まず安藤の周辺を調べた。
安藤がレギュラー番組を務めるテレビ局の、エキストラとアルバイトを利用し、私と青木君は、それぞれテレビ局内に侵入した。
私達は、安藤について聞きまわった。
すると、安藤は取材のため、A国へ発っていた。
彼の周辺に警察が来た形跡はなく、児嶋君の逮捕後、安藤はマンションを引き払い、ホテル住まいをしていた。
私達は彼の行きつけの店にも足を運んで、安藤について話を聞いて回った。
そして安藤の行動を調べるうちに、安藤に続いて、後発でA国へ発つテレビクルーの荷物リストの中に、安藤の私物、おそらく「装置」があるらしい事を突き止めた。
安藤は撮影用機材と偽り、装置をテレビクルーの荷物に紛れ込ませていた。
厳重に保管された機材に、私達が近づくのは難しかった。
私と青木君は、疑問に思った。
素人の私達が調べられる事を、UGC程の組織が知らないはずがない。
UGCなら簡単に調べる事が出来るはずだ。
いつでも忍び込び、装置を回収出来るはずなのに、
何故それをしようとしないのか。
安藤が出演する番組は、国際情勢に関するクイズを企画し、A国で軍を取材する予定になっていた。
安藤はその番組で、解説や司会を務め、人気を集めている。
その取材の取り付けや下見のため、安藤と数人の番組スタッフが、先発組としてA国へ発っていた。
軍との交渉は、予想外に話が進展し、取材許可が難なく下りると、後発組のスタッフが日本を発った。
その後を私と青木君も追った。
クイズの企画や、軍の取材は、安藤の提案だったという。
安藤は、軍の関係者と知り合うきっかけが欲しかったのだ。
安藤はその機会を利用し、装置を軍に売り込もうと企み、チャンスを狙ったに違いない。
現地で彼らの後をつけるのは、難しかった。
スタッフの会話を立ち聞きし、彼らの交わす会話から推測して先回りしたり、彼らがバスに乗れば、私達も乗り込んで同じ停留所で降りた。
彼らがホテルからタクシーに乗った時は、ベルボーイに、私達は彼らの仲間だ、と乏しい英語で伝えると、ベルボーイが勝手にタクシー運転手に行き先を伝えてくれた。
運よく追跡できても、私達には、遠くから彼らの様子を伺う事しか出来なかった。
ある日、安藤が単独で出かけた。
後をつけると、本屋の中にあるカフェに入った。
すると、珈琲を飲んでいた3人の日本人男性が、安藤を見つけると立ち上がり、安藤に近づいた。
安藤のファンで、安藤にサインでも求めているのかと思った。
ところが安藤は、3人と共に、カフェの外にでた。
そして4人は歩き出し、近くの高級ホテルに入っていった。
4人はロビーにあるレストランに入っていった。
吹き抜けロビーのレストランは壁が低く、彼らの様子がよく見えた。
どうやら食事のようだが、椅子が一つ空いている。
もう一人、誰か来る予定なのか。
すると、ひとりの外国人男性が現れ、4人は立ち上がり、握手を交わし、着席した。
外国人男性の、がっちりとした体格から、軍関係者と思われた。
私達は観光客を装って、シャッターを切った。
5日間で、全ての取材と撮影が終了し、安藤を残して、スタッフは全員帰国した。
ひとり残った安藤をつけると、彼は大きな荷物を持って地下鉄とバスを乗り継ぎ、高級住宅街へと入っていった。
そして、ある大きな家を訪れ、インターホンを鳴らした。
玄関先に姿を現した彼のがっちりとした体格に、見覚えがあった。
安藤と食事をしていた外国人男性だった。
捜査に不慣れだった私達には、ここまでが限界だった。
私達は帰国した。
成田空港に降り立つと、私達は空港内を急ぎ足で移動し、トイレに立ち寄った。
男性トイレの入り口付近をうろつくUGC職員に、トイレから出てきた青木君が、声をかけた。
UGC職員は驚いた目で青木君を見た。
その場を離れようと、くるりと青木君に背を向けたUGC職員は、真後ろに私がぴたりと張り付いていたことに気が付いておらず、私と青木君に挟まれた彼は青ざめた。
「ずっと監視されていたのは分かってるわ。装置がA国に渡るのを、黙って見ていたのはなぜかしら? 説明出来ないのなら、私を黒田総理に会わせて」
児嶋君が亡くなって1か月以上が経っていた。
職員に、UGCにいる黒田総理の所まで案内させ、私は少し感情的になって、総理に詰め寄った。
「あなたは知っていた。装置が軍の手に渡る事を」
そう言って児嶋君の手紙の一部と、安藤が会っていた外国人男性の写真を見せた。
黒田総理は手紙に青ざめ、知っていた事を認めた。
当然、私達の行動は職員から報告を受けていたはずだ。
しかしまさか私達がここまで調べあげ、こうして乗り込んで来るとは、夢にも思っていなかったようで、不意を喰らった黒田総理は、困った表情を浮かべた。
真実に近づいた私達に、黒田総理は真相を打明けた。
私達は手紙では知り得なかった、児嶋君の死について、知る事ができた。
海老原教授は釈放後、UGCが監視していたという。
安藤が主犯だという証拠を得るため、海老原教授と安藤が、接触する機会を窺っていた。
釈放後、自宅から一歩も外に出ようとしない教授の元に、宅配業者から小さな包みが届いた。
隠しカメラで確認すると、中身は紛失していた教授の携帯だった。
アンテナ付きの、初期の携帯電話だ。
携帯電話を持っている者が、まだ少数派だった時代から、誰もが持つ時代になりつつある頃だった。
突然、その携帯電話が鳴り、教授は電話に出ると黙ったまま、誰かの話に聞き入っていた。
一言も発する事なく、海老原教授は携帯を切り、机に置いた。
UGCの調査で相手は公衆電話だと分かった。
恐らく安藤からだ。
数日後、釈放された児嶋君が、教授の自宅にやって来た。
そして2人は車で外出し、そのまま帰らぬ人となった。
黒田総理は、教授と児嶋君を泳がせた事を後悔していると言いながらも、その後も、安藤を拘束しようとはしなかった。
安藤は帰国していない。
黒田総理は、A国に捜査協力を依頼したのだと、言い訳した。
安藤の行動は監視され、装置の行方は追跡中だと説明する黒田総理を、私は素直には信じられず、半信半疑で話を聞いていた。
黒田総理は、A国のケリー大統領に、装置が軍に売られようとしている旨を直接伝え、装置がもたらす危険性を知らせてていた。
大統領は「装置」と「アイテム」について、興味深く話を聞き、関心を寄せたものの、現物を実際に見ない事には、また、事件でも起こらない限り、公の協力は難しい、との見解も示したという。
それでも大統領は念の為に、安藤を監視し、その結果次第で対応を決める、と返答した。
そこまで聞くと、私は、児嶋君の手紙を証拠に、安藤を拘束できるはずだ、UGCなら装置を回収するのは簡単なはずだ、回収すべきだ、と強く交渉した。
しかし総裁は手紙では弱すぎる、安藤が違うと言えばそれまでだと言って、積極的に介入しようとはしなかった。
私は総裁の言葉に不自然さを感じ、A国で撮った写真を見せ再び詰め寄った。
そこには装置にかけられたと思われる、大学生3人と安藤が写っていた。
「児島君の不可解な洗脳計画書を読んだ? 匿名電話が警察にかかってきたでしょう? M村の人々が洗脳され大学生3人が拉致され装置にかけらたって。彼らはその大学生ではないかしら?」
と、私は持論を述べた。
「洗脳計画書」という言葉に、黒田総理の眉がピクリと動いたのを、私は見逃さなかった。
私が知っているはずのない「洗脳計画書」という言葉を、私が口にしたから驚いたのだろうか。
私は児島君の手紙から、計画書の存在を知っていた。
なんとなく、黒田総理が、「洗脳計画書」という言葉に、今までとは違う反応を見せ気がした。
私は黒田総理を攻め続けた。
アイテムの可能性がある大学生3人まで、なぜ放置するのかと再び詰め寄ると、黒田総理の顔色が再び変わった。
「少し時間をくれ」
そう言って退席した総裁は、暫くして戻ってくると、驚くべきことを口にした。
「君が安藤を監視し、装置とアイテムの存在をA国に証明しなさい」
黒田総理は私に、思わぬ提案をした。
なぜか黒田総理は、A国に私の対応について電話で協議していたようだ。
提案は大統領からの要望らしく、日本語が分かる私に、A国の情報機関と協力しながら、安藤と大学生3人を監視し、報告して欲しいというのだ。
私はケリー大統領の計らいで、A国版CIAと言われる情報機関の研修生となり、A国に移住できる環境を整えてもらう事になった。
要するに、捜査のノウハウを学びながら、安藤とアイテムを監視しろ、と言うのだ。
大統領の言う事にも不自然さを感じ、何か、からくりがあるのではないか、と勘繰りながらも、私は大統領の申し出を引き受ける事にした。
とにかく真相を調べるため、まずはA国に滞在できればそれでよかった。
しかしCIAはかつて、洗脳作戦で非人道的な人体実験を行った、苦い経験があると噂に聞く。
装置は人を洗脳しコントロール出来る。
私はCIAの洗脳作戦のようにA国CIAとUGCが、装置を利用しようとしているのではないだろうか、或いは、日本がA国に兵器を譲ったと国際問題に発展したりしないかと、不安になった。
しかし大統領は、装置については、まだ公に話す段階にはないとし、大統領が信頼を寄せている捜査員に、内密に、安藤らの監視を要請しただけだと言った。
その手伝いを、私にしろというのだ。
大統領としては、得体の知れない「装置」と「アイテム」というものがどんなに危険なものか、その目で確認しないと、正式な捜査は出来ないと言うのだ。
危険と判断すれば、正式に捜査を依頼する、それまでこの事は他言しないように、と、私は釘を打たれた。
安藤を野放しにしたまま、この件を公けにしたがらない黒田総理とケリー大統領に不自然さを感じずにはいられなかった。
私は2人にとって便利な、ただの使い走りにすぎない。
2人は、都合よく現われた私を、A国版CIAの手伝いと言いながら、小間使いとして利用するつもりだろうが、私も2人を利用しようと考え、暫く2人の言いなりになる事にした。
私は大統領の指示通りCIAの研修生となり、A国に協力するふりをして、装置を見つけ次第、私が奪い返し、安藤について告発しようと決意した。
私はCIAの研修生でありながら、CIAに監視されている様だった。CIAは警察や連邦捜査局と違って大統領直属の機関だ。
要するに、私はまだA国に信用されていない。
大統領がどんな理由をつけて、私を監視させているのかは分からないが、大統領はCIAに私を監視させ、その監視下で、私が安藤を監視する、という奇妙な形での捜査が始まった。
私にとって、黒田総理は強力なパイプ役ではあったが、そのパイプで送られた私が、捜査のノウハウを知らないど素人では、A国も「ようこそ」という訳にいかないのだろう。
UGC総裁である黒田総理の顔に泥を塗るのも、私としては望む事ではなかった。
私は必死で研修を受け、監視されるのもやむを得ないと諦めた。
研修生であろうと、CIAの監視下で利用されようと、どんな形であれ、装置を奪い返し、安藤が真犯人であるという証拠さえつかめれば、それでいいと思った。
もし私が証拠を掴めば、大統領とCIAも “ 同時 ” に、それを目の当たりする事になる。
個人的に調査するより、ずっといい。
私は青木君と峰准教授と移住した。
永住権に続いて国籍も取得し、研修を受けながら安藤を監視し続けた。
移住直後は苦労の連続だった。
峰准教授は現地R大学の講師となって私をサポートしてくれた。
青木君は英語を習得しながら安藤に近づこうとした。
ケリー大統領と黒田総裁は、私達がすぐに根を上げ帰国するだろうと期待していたかもしれない。
しかし彼らの予想に反し、私達はどんどん突き進んでいった。




