17.新生活
ドキドキしながら大学寮の門をくぐると、200人の学生が住める寮はレンガ造りで、寮と言うよりマンションに見えた。
石畳の短い通路を進むとガラスの自動ドアが開き、ガラス張りの通路が玄関まで続く。
左右の花壇にはペチュニアが美しく咲いていた。
2つ目の自動ドアの上には監視カメラがあり、ドアが開くと玄関ホールだ。
中に入るとタイル床にスリッパが並び、右手奥にあるホテルのフロントデスクような受付で3人の女子学生がおしゃべりをしていた。
3人は私に気付くとおしゃべりを止め、こちらを見た。
「こんにちは、新1年生ですか?」
「はい、伊藤麻紀です。よろしくお願いします」
私は慌てて靴を脱いでスリッパに履き替え、フロントに近づいた。
1人の女子学生が名簿を差し出した。
「ご自分の名前の横に〇を書いて下さい。これは本日のスケジュールと寮生活についての注意事項です」
はい、と緊張しながら名簿に〇を書き込み、注意書を受け取った。
「私は3年の三村です。お部屋までご案内しますね。19時から食堂で説明会を兼ねた歓迎会がありますので、それまでお部屋で自由に過ごして下さいね。伊藤さんのお部屋は4階の412号室です。同室の1年生3人はもうお部屋にいらしてますよ」
「そうなんですか……」
ちょっと疲れた表情で答えると、先輩の三村さんは私の気持ちを察したらしく優しく言った。
「緊張するわよね。私もそうだった。4人も知らない人が急に一緒に暮らすんだもの。私は嫌で嫌で仕方なかったけれど、今ではここから出るのが寂しいくらいよ。困った事があったら相談してね」
「はい、ありがとうございます」
優しい先輩の言葉に少し安心し、スリッパをパタパタと鳴らしながら、三村先輩の後ろについて行った。
左手奥に階段、その右隣にエレベータが1機あるが、階段で移動した。
階段は各階のロビー横を通過する。
階段を上りながら、各階ロビーの様子を横目で見ると、寮生達が長ソファーに座って楽しそうにテレビを見たり、談笑したりしていた。
4階に到着し、ロビー脇の廊下を歩くと、ロビーで談笑していた先輩達がこちらを見て
「こんにちわ」
と笑顔で挨拶してくれた。
大きな荷物から、私が新入生だと分かったのだろう。
私は緊張しながら軽く会釈し、小さく
「こんにちわ」
と挨拶を返した。
ロビーは大きな窓のお蔭で明るく、壁には50インチ程のテレビが取り付けてある。
そして病院にあるような長ソファーが5列並んでいて、寮生達がくつろいでいる。
三村先輩は廊下を歩きながら、ここがトイレ、そこは自習室と説明してくれた。
時折スリッパのパタパタという音と先輩達の楽しそうな声が廊下に響くと、再び緊張感が高まり息苦しく感じた。
長い廊下にはいくつものドアがあり、私が住む412号室は一番端にあった。
突き当りは非常口階段のようだ。
ここよ、と三村先輩がドアをノックすると、
「はーい」
と明るい声がして、少し太った女子がドアを開いた。
ドアの中を覗くと3人分のスリッパが玄関に並び、その先に10畳ほどの畳の部屋がある。
2人の女子学生が、畳の上に座ったまま、興味深そうにこちらを見た。
建物の外観とは違って部屋は和室で、もう1室あるのか、奥のふすまが閉まっていた。
「同室となる伊藤さんが到着されました。あとはお願いします」
「はーい!」
深呼吸し、私は案内してくれた三村先輩にお礼を言うとドキドキしながらスリッパを脱いで畳の部屋にあがった。
「はじめまして。伊藤麻紀です。よろしくお願いします」
「はじめまして。理工学部の清水千佳よ。さあ入って!」
元気のいい清水千佳は、明るく私を出迎えてくれた。
「こっちが理工学部の菊池友紀で、こちらは法学部の志藤薫」
「菊池友紀です。よろしくね!」
友紀は女の子らしいサラサラのロングヘアにロングスカート、細見でいまどきの娘という感じだ。
「志藤薫、同じ法学部よ。よろしく!」
髪をひとつに束ねた志藤薫は、化粧っ気がなく地味だが、目鼻立ちがはっきりした美人で、すらっとした長い脚はジーンズをかっこよく履きこなしていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
薫は、私の手からバッグを掴み取ると歩き出し、部屋の奥のふすまを開けた。
ふすまの向こうには、えんじ色のカーペットが敷かれた、6畳ほどの洋室があった。
左右の壁には学習机が2つずつ並び、青い布張りの、キャスター付き学習椅子が、机の中に納まっていた。
部屋は明るく、大きな窓とベランダがあり、窓に近づいて外を眺めると、ベランダの向こうにはグラウンドが見えた。
大学のグラウンドだろうか、ラガーシャツを着た男子学生達が走っている。
志藤薫は窓側の学習机の上に私の荷物をどんと乗せた。
「ここが伊藤さんの机よ。そしてクローゼットはあっち」
畳の部屋には和室だが、布団も入るクローゼットが4つあった。
それを確認すると、理工学部の清水千佳が、仕切るように話を始めた。
「さて、これで全員そろったわね。えーと、こちらが先ほどお話した伊藤麻紀さん。伊藤さんは初めましてなんですが、私達はお母様とは既に打ち合わせ済みです」
「え? 母と? 母をご存じなんですか?」
驚いた私に、千佳も驚いた様に言った。
「聞いてないの? 私達、本当は大学生じゃないのよ。麻紀さんを警護する為に大学生になったの」
私は目を丸くした。
「大学生になった?」
ロングヘアーの菊池友紀がはしゃぐように言った。
「そうなの、突然 『来週から大学生になってくれる?』 だもんね、しかもこんな名門校。私嬉しくて即引き受けたわ。どう? この大学生っぽい髪型と服! 大学1年生に見えるかしら?」
友紀がクローゼットを開き、クローゼットの扉の裏面にある全身鏡を見ながらそう言うと、志藤薫が畳に胡坐をかいて笑顔で言った。
「まさかこんな形で大学生生活が経験できるなんてね」
「私達UGCの依頼で来たのよ。聞いてないの?」
そう言って千佳も畳に座り込んだ。
私は自分のクローゼットの前で立ったまま驚いて言った。
「UGCから? 本当ですか?私、何にも聞いていません!」
「そうなの? じゃあ説明はこちらに来てからで十分だとお母様が判断されたんでしょう。数日の間に色々あったんだもの。頭の中の整理が出来ていなうちに、また引っ越しだもんね」
「皆さんは私の母を知ってるんですか?」
「よく知ってるわ。子供の頃からね。私達、施設育ちだから」
「ええっ?」
驚く私に、ロングヘアーの友紀が近づいて言った。
「由美さん、いいえ、お母様のお仕事は知っているでしょう? 由美さんにはとってもお世話になったの。あなたが由美さんの娘さんだなんて。会えてうれしいわ!」
友紀に両手を引っ張られ、私も畳に座り込んだ。
「友紀は由美さん大好きだもんね、薫も私もそうよ。とにかくあなたが狙われているらしいという話はだいたい聞いた。同じ法学部の薫が常に麻紀さんと行動を共にするわ。私達も出来るだけ見える範囲にいる。慣れるまで暫く鬱陶しいかもしれないけど我慢してね」
こうして予想外の展開で寮生活が始まった。
夕方には食堂に全寮生が集合し、千佳達が「顔つきからして厳しそうなおばさん」と噂していた寮長先生から寮の規則などを聞き、長い説明の後はケーキ付の夕食で歓迎会となった。
3人は既に知り合いという事で打ち解けている様子だったが、私は初対面で、しかも彼女達にとって私は警護の対象だった事を知り、どのように接したら分からないまま、ぎこちない会話を交わして過ごした。
何とか歓迎会を乗り切って部屋に戻ると、私は早々に布団を敷いて床に就いた。
翌朝6時半、寮内に流れるシンコペイデット・クロックの音楽で目覚め、掃除にとりかかった。
412号室は自習室の掃除当番で、私は手にした事のない掃除機を持って薫と4階にある自習室全室を掃除して回った。
掃除の後は食堂で朝食を取り、大学のオリエンテーションが始まるまで部屋で4人で過ごした。
オリエンテーションも入学式も学部別に行われ、理工学部の千佳と友紀とは別行動となった。
同じ法学部の薫と一緒だったが、まだ友達もいない私には1人で行動するよりはそばにいてくれる人がいて少し心強かった。
薫は物静かで、男の子っぽくさばさばしている。
大人っぽい落ち着きもあり、素敵な女性だった。
会話はなくとも、ぺらぺらとおしゃべりな人といるよりは、ましだった。
この人はどんな人なんだろう。
この若さで、どんな経緯でUGCに所属し、私を警護する事になったのだろう。
聞きたい事は色々とあったが、まだ突っ込んだ質問が出来る仲ではなかった。
私は、大学のオリエンテーションと慣れない寮生活の日々を、たんたんと過ごした。




