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私はアイテム  作者: 月井じゅん
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15.人体実験

 祖母はアイテムだった。

 話は児嶋事件が起こる前にさかのぼる。

 祖母は自らアイテムになる事を志願した。

 当時はまだ「アイテム」という呼び名ではなかったが、アイテム1号は重度の認知症だったひいおばあちゃんだった。


 曾祖母は、前日の出来事や人の名前は忘れても、日常生活は完璧にこなせたそうだ。

 腕力がなくなり、寝たきりになるまでは、自分で洋服を脱ぎ着し、トイレを汚す事もなければ、シャワーも一人で浴び、皿の洗い方も完璧で、食器をしまう場所も間違えなかった。

 迷子になった事もなかった。


 通常、重度の認知症になると、着替えの仕方すら忘れ、不潔も平気になる。

 トイレの仕方も忘れて汚し、大便をつかみ、汚れた手をあちこちで拭いたりすると聞く。

 そして夜は徘徊する。

 重度になると誰かが付きっきりで見ていなければならない。


 ところが祖父が開発した装置のおかげで、曾祖母は重度の認知症でありながらも、介助なしで長年、日常生活をこなす事ができた。

 装置は一つ一つの動作を細かくプログラムする事が出来、そのデータを患者の脳に送り込む事で、患者はアイテムとなる。

 アイテムの脳は何かを要求されると、指定された情報や動作を探し出し、その情報を体に伝達する。

 情報が神経を経由して筋肉に伝えられると、体はプログラム通り、完璧な動作をする。

 例えば、トイレに行きたいという要求を脳が察知すると、その要求に見合った動作を脳が探し当て、命令を出す。

 体は勝手に動き出し、患者は無意識にトイレに行く事ができる。

 しかしその間、本人の感情はなくなり、まるでロボットの様だと言う。

 この装置で曾祖母の介護はとてもスムーズに行えたそうだ。

 ある意味、人体実験的ではあったが、曾祖母は92歳という大往生で人生の幕を閉じた。


 次に祖母が、将来認知症になる疑いがあるMCIという障害がある事が分かった。

 自分がMCIだと知ると、自分を装置の実験台にして欲しいと、祖母は自ら、実験台となる事を志願した。

 祖母の家系は認知症家系で常に自分の将来を心配していた。

 そして日常生活だけは、曾祖母の様に自分で出来る様にしてほしいと、常日頃から祖父に頼んでいた。


 祖父はためらった。

 祖母はまだ認知症ではない。

 将来に疑いがあるだけで、今は健常者に近い。

 装置はまだ研究途中で、プログラムを脳に書き込むだけの一方通行で、脳の記憶力を高めたり、失った記憶を取り戻すなど、記憶障害を改善できるような機能にまで達していなかった。

 しかし祖母は祖父に懇願した。


 「認知症には段階がある。私の様に将来認知症が疑われる初期症状であるMCI、そして軽度、中度、重度。全てに臨床実験が必要よ。私はこれから認知症になる疑いは濃い。段階に応じて私で実験して欲しいの。私と私の母の為に開発された装置で他人様に間違いがあってはならない。私の介護で皆に苦労もさせたくない。それに、装置は認知症以外の患者さんにも役に立つかもしれないわ」


 そう押し切られ、祖父は祖母を装置にかけた。

 まずは基本的な情報からインプットした。

 周辺の景色、地図、家の中、そして家族など、普段目にする物や場所、人の画像を、名称等詳細と一緒に脳に送り込んだ。

 そうする事で家族の顔を忘れたり、迷子にならないようにした。


 祖母は装置にある疑問を持った。

 もしも健常者に特別な才能をインプットしたらどうなるか、あるいは認知症患者に特別な才能をインプットしたら、健常者よりも認知症患者のほうが能力が上回るという事はないのかと。

 そこで映画好きだった祖母は英語が理解できる様になりたいと希望を出し、英単語を脳に送り込んだ。

 祖母は英文法を独学し英語の本を読み、あっと言う間に字幕なしで海外ドラマや映画を楽しめる様になった。

 これは装置の驚くべき能力、あらゆる可能性を目の当たりにした瞬間であった。

 祖父は祖母の変化を観察し続けた。


 数年後、定期検査や経過観察で、祖母はMCIではなく認知症を発症した可能性があると判断された。

 予定を忘れ、すっぽかしてしまうのだ。

 そこで、スケジュール帳に必ず予定を書き込み、それを毎朝確認する習慣を脳に追加する事で、問題は改善された。

 次にしまい忘れが始まった。

 そこで寝る前に片づけの習慣を追加した。

 すでに家中の写真を記憶させていた為、物のあるべき場所、しまう場所は分かっていた。

 こうして毎晩寝る前に決まった場所に物をしまう習慣ができ、しまい忘れの問題も改善した。

 また、祖母の強い希望で、祖母お得意の料理レシピも追加したそうだ。

 認知症になっても、家族が喜ぶ料理を作ってあげたい、という祖母らしい提案だった。

 祖母は認知症でありながら、美味しい料理を作る事もできるのだ。

 その後、トイレやお風呂などの情報も追加され、祖母の認知症の症状は改善し、研究もいい方向に進んでいた。


 その最中、児嶋事件が起きた。

 装置を失い、祖母の治療が出来なくなった。


 ところが、

 祖母の認知症の症状は進行していないという。

 まだまだ検証は必要だが、祖母いわく、ある程度の治療が済んでおり、必要最低限の動作はすでに脳に記憶させてある為、最低限の事は一人でこなせる。

 その上、ちーちゃんと斉藤さんの世話をする事で、生きがいと楽しみができ、それが脳にいい影響を与えているそうだ。

 確かに、趣味を楽しんだり、土いじりをしたり体を動かす事は、脳にいい刺激を与え、認知症対策になると聞いた事がある。


 装置は認知症患者のために生まれた医療機器だ。

 全ての始まりは、重度の認知症だった曾祖母が、人間的な生活を送れるように、そして介護をしていた祖母の負担を軽減させてやりたい、という祖父と父の想いからだった。

 曾祖母と祖母の協力がなければ、装置の実用化は、遠い未来の話になっていたかもしれない。

 実際に今、装置のおかげで、認知症の祖母がこうして自立した生活を送る事が出来ている。

 認知症患者用に限れば装置はほぼ完成したと言っていいのかもしれない。

 祖母は福山さんにも


「自分の身はすべてUGCに委ねたい、自分を研究の実験台にして欲しい」


と伝えてあるそうだ。


 その素晴らしい発明だったはずの装置が盗まれ、悪用された。

 劣化した装置は人格を破壊するという。

 事件は祖父母を苦しめた。

 私の家族はずっと苦しんできた。

 私は心の底から装置を奪った犯人を憎いと思った。

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