87:戻らないもの
ラウルが目を覚ますと、そこは見慣れない部屋の中だった。天井を見たまま数回瞬きし、壁を見ていると誰かが部屋のドアをノックした。
『はいよぉ。』
ノックに返事をした人物はラウルのすぐ横の枕元からふらりと立ち上がり、怠そうな素振りでドアを開けに行く。
『・・・ヨザ。』
ラウルがその背中に呼びかけると、丸まった背中が急に見違える程真っ直ぐ伸び、ヨザは驚いたようにラウルを振り返った。
『起きたのか坊や。』
その声と顔には、安堵と悲しみが入り混じるように存在している。ラウルはその表情を不思議に感じながらも、ヨザに話し掛けた。
『ここは、宿?』
するとその声に答えるように、ドアが向こうから開き知った顔がひょっこり覗いた。
『起きたのか!!』
アルマだ。ここはやはり、アルマの宿か。ラウルはそのことに気付き少し安心した。しかしアルマの変わらず快活なその声の中にもどこかラウルを気遣う空気がある。ラウルは困ったようにアルマを見た。
『僕、どれくらい寝てた?』
その質問にアルマは慌てて答える。
『今日で3日目だ。大丈夫か、気分悪くないか?』
『うん。大丈夫。』
ラウルは咄嗟にそう答えて、また困ったようにアルマを見た。
『って言いたいけど、何だかとっても辛いんだ。』
『つらい?』
アルマは心配そうに聞き返す。アルマもヨザも、あの夜何が起こったか知らないのだ。・・・いや、ヨザは知っているのだろうか?
ラウルはヨザを見た。随分とぐったりしている。あの男との闘いで消耗したのだろうか?一瞬で決着が付いたように見えたが、その後から覚えていないのだ。
『迷惑かけて、ゴメン。』
ラウルはヨザとアルマを真っ直ぐ見て、頭をペコリと下げた。しかしヨザはとんでもない、と言うと余計に悲しみを深くした顔でラウルを見返す。そして悔いるように小さく呟いた。
『もっと早く行くべきだった。・・・坊や、すまねぇ。』
ヨザはあの夜何があったか見てはいなかった。しかし、何が起きたかには気付いてしまった。
回復魔法により、ラウルの体力は回復した。
しかし、魔力が戻らないのだ。
見た目はエルフそのままだったが、ラウルの本質・・・”魔物”であった部分が、失われている。
ー・・・こんなこと、あるだろうか?
ヨザはラウルが眠っていた間、出来得る全ての方法を試してみた。しかし性質を戻すことはおろか、人間でも持てる魔力すら戻らない。
ヨザの苦しい表情を見ていたラウルが、突然納得したように声を上げた。
『そういうことか。』
ヨザはハッとし、アルマは不思議そうにラウルを見ている。
ラウルもまた、自分の魔力が戻っていないことに気付いたのだ。
そして、失ったものがどうやら魔力だけではないことにも。
それは強いて言うならば、いままで当たり前のように感じていた”自分自身”が消えてしまったかのような感覚だった。
ラウルは、まるで夢から覚めたように突然理解した。
『僕・・・。』
『”エルフ”じゃなくなっちゃった。』
明るく聞こえるように努めたが、その声は悲しみで満ち溢れていた。
ヨザは黙って泣くラウルの肩を抱き、アルマはその様子を見て、静かにドアを閉め去った。
ーーー
それからまた3日程経つと、アルマが突然食事を持って部屋を訪れた。いつもはアルマの母が食事を持ってくるので、アルマに会うのは3日ぶりだ。
『おい・・・調子はどうだ?』
部屋に入ったアルマはおもむろにラウルに尋ねる。部屋の隅で鳥になり羽を繕っていたヨザは怪訝な顔でアルマを見て、ラウルはベッドの上に体を起こし、申し訳無さそうにアルマの方を向く。
『・・長居しちゃって、ごめんなさい。』
アルマは今度はラウルの側まで来て、顔を覗き込むようにしてもう一度尋ねた。
『そろそろ、外に出られるか?』
『・・・アルマお前、何だってんだよ。』
ヨザが人に戻り、不愉快そうにアルマを押し退けようとするがアルマは頑として引かない。
『部屋に籠もりっぱなしじゃ、良くなるもんも良くなんねぇぞ。』
ラウルは困ったようにヨザを見たが、間に入ったヨザと押し問答を繰り広げるアルマを見て、しばらくするとプッと可笑しそうに小さく笑った。それに気付いた2人がラウルを見ると、ラウルはまた申し訳無さそうに眉を下げ、アルマに頷いて見せる。
『そうだね。そうかもしれない。』
ラウルの返事を聞いたアルマはそうか!と嬉しそうに大声を上げ、勝ち誇った顔でヨザを見た。
そして不満げなヨザを横目に、満面の笑みでラウルに告げた。
『今からとっておきの場所に連れてってやるから、元気だせ。』