8:骨と鞄とナイフと
そういえば魚は捕れたが、火が無かった。メルルは名乗った後、悩ましげな顔で捕った魚と勇生を交互に眺めた。勇生は昨日から木の実しか食べていないはずなのに、魚を見て喜ぶ気配もない。空腹を感じないのか。刺身にでも出来れば少しは喜ばれそうだが、もし生でかぶりついたりしようものならこの容姿であっても、不気味な少女という印象になってしまいそうだ。ちなみに自分がこれだけ変化しているのに比べ、勇生の外見の変化は些細なものだった。髪と瞳の色が薄くなり、印象の薄かった顔をどこか異国風に変えている。
『ワタシ、ココがどこなのかはわからないんだけど‥水のある場所を見つけたんだ。そこへ移動しない?』
メルルは恐る恐る提案した。飲み水は重要だ。魚も捕れる。食べるかどうかはさておき、近くへ移動しておきたい。
勇生はメルルの提案に頷いた。その手に持った黄色の魚を見る限り、水があるのは間違い無さそうだ。それに、メルルは森に詳しいように見えた。
黙って後を付いて行くと、メルルは途中途中でしゃがみこんだり上を見たり、忙しそうにしている。その手元を見て勇生は感心した。どんぐりのような小さな実や蔓。どうやら食べられるものにも詳しそうだ。曲がり角では服の切れ端が巻いてあるのも見た。目印なのだろう。見た感じは美しい少女であるメルルだが、こういう生活を普段から送っているのだろうか。勇生が周囲よりも少女に目をとられていると、その背中が急に目の前で止まった。
ー水の気配がするな‥。水辺に着いたのか。
勇生が目線を上げると少女は沢へと降りる道を目前に足を止め、左の茂みを見ていた。つられて勇生もそちらを見るとその奥には大木があり、大きく盛り上がった木の洞には鞄のようなものが挟まっている。それを食い入るように見ていたメルルはいきなり、ガサガサと強引に茂みを抜け洞の前に座り込んだ。勇生もやむなく後に続き、何とか茂みを抜け出ると既にメルルは鞄を手に取って開けているところだった。
『ウッ‥。』
座ったメルルを後ろから覗き込むようにして、勇生はその洞の中にあるものに気づき顔をしかめる。
それは朽ち果て、骨だけになった「何か」だった。鞄の持ち主だろうか。気味が悪い。
『なぁ、やめよう。』
死人の荷物なんて。勇生がメルルにそう言おうとしたとき、メルルがバッと顔を上げた。その勢いに押され退くと、メルルが興奮した顔で持っているものを目の前に翳した。
『見て、ノート。ナイフもある。』
メルルが持ったノートは今にも土に還りそうな程ボロボロだった。ところどころに茶色の染みが付き、紙の端は折れ、幾つかのページは外れかけている。しかし間違いなく人間のものであるそれは、この場所を知る重要な手掛かりかもしれなかった。勇生は黙ってメルルを見て、メルルはそれを慎重に開いた。
そこには文字や絵が薄い色のインクで記されていて、その文字は知らない文字だったが、何故か意味は理解できた。
”第六感のようなものか”
”魔物”
魔物・・・?余白に描かれた絵は奇妙な動物に見える。
また、矢印とともに五感を表す文字が綴られている。
”視↓””聴↓””嗅↑””味→””触↑”
”変化”
メルルは黙って次々とページを捲る。勇生も後ろから覗き込んでいるうちに2人は徐々に近づき、あと少しで髪が触れる程になっていた。魔物の絵。特徴。呪文のような言葉のメモ書き。呪文は読めなかったし内容はまるで子供の落書きなのに、急いで書かれたようなその字が妙にリアルだった。
最後のページには、小さく畳んだ紙が挟み込まれていた。その紙は広げると大きく、大陸のようなガタガタとした輪郭が描かれていて輪郭の中央には”森”、その右上の方には、”王国”。そして数か所に×印がつけられていた。
『この”森”は‥ココのことかな。』
勇生がぽつりと呟くと、メルルもまた小さな声で答える。
『ココが森だとして‥あまり安全では、なさそうだね。』
”魔物”が本当だとしたら。メルルは手にしたナイフをそっと勇生に渡した。自分にはこんな物騒なものは扱えない。勇生は何も言わずそのナイフを受け取り、腰のベルトに差した。
2人とも黙り込み、勇生は受け取ったナイフを何度も握って見てはノートに書かれた文字の意味を考えていた。
メルルは座ったままノートを再び開き、やはり気になるのか、魔物のページに目を落としている。
ー考えても埒があかない。
勇生が何度目か握り直したナイフから手を離しメルルに声をかけようとしたその時、どこからか突風が吹きメルルの手からノートを奪った。驚いて顔を上げたメルルは、勇生の方を見たまま声も無く宙に浮かぶ。
勇生は持ち上げられたメルルを見て思わず口を開けたー。
魔物、登場です!