79:4人と1人
『そんな・・・。』
セロの妻だったという人の名を聞いて、ラウルとヨザは思わず目を見合わせた。ラウルは明らかに戸惑って、ヨザは取り繕うように慌てて笑う。
『エレーヌとか何とか・・・どっかで聞いた名だが、まさかな。』
セロの妻と国王ブルーセスの愛妾は同一人物かもしれない。名前も同じなうえ、セロが見せてくれたがどう見てもエレーヌ本人なのだ。ヨザの知る姿よりは若く見えるが、ここまで似ていると疑いようもない。
そしてラウルが戸惑っているところを見ると、ラウルの母ともやはり似ているのだろう。
どちらにせよ、ヨザはいらんこと言っちまった、とすぐに後悔した。
『あんた達俺の奥さん知ってんのかい?!』
セロが凄い勢いで食い付いてきたのだ。先程までの穏やかな様子とは打って変わってヨザに言い寄るその顔は痛々しい程切羽詰まっていた。
『いや俺はな、同じ名前のやつを知ってるだけで。あれは人間だったかな?エルフじゃあなかったかもな。』
何とか話を逸らそうとするヨザの手を握りしめ、セロは食い下がった。
『知ってるんだろ?!何で隠すんだよ!』
ヨザは困ったように頭を掻きながら、チラリと子供達を見た。
『けどよぉ。』
母親が愛妾だなどと言ってよいものか?良くは無いだろう。何故エレーヌが砂漠を離れたかは不明だが、事情があるに違いない。3人も子供がいたのだから相当な事情が。
『あんまり良い情報じゃねえからな。』
ヨザは言葉を選びながら慎重に話す。そのヨザの言葉に重ねて、ラウルが突然思い付いたように大きな声を上げた。
『ねぇ、もしかして僕の母さんのこと知らない?』
セロは驚いたようにラウルの顔を見る。
『もし知ってたら、情報交換しようよ。』
ラウルはニッコリと笑って言った。
『何か教えてくれたら、教えてあげるよ。』
・・・坊やはほんと、意外としっかりしてんなぁ。ヨザがこっそり感心したようにため息を付くと、セロは困惑した顔でラウルを見た。
『お前さん・・・母ちゃん探してんのか?』
ラウルは曖昧に頷きまだ小さなその手を広げて、立ったままの3人の子供達を見る。
『僕はさ、兄弟もいないし父さんも母さんもいなくなっちゃったんだけど。』
ラウルの言葉にセロは驚き、思い切り同情した顔でラウルを見た。子供達はそれぞれ複雑な顔をしている。
『おばばもいたし、”エルフ”ってそうなんだと思ってたよ。君達はずっと家族で砂漠にいるの?』
『何てこった、可哀想に。』
セロはラウルの肩に手を置き、泣きそうな顔でラウルの顔を覗き込む。しかしラウルは珍しく真面目な顔で首を横に振った。
『可哀想じゃあないから。』
そして肩に置かれたセロの手を取ると、少しだけ口調を強くして続けた。
『だって僕はエルフの子だから。そんなことより僕の父さんと母さんを知ってたら何か話を聞かせて欲しいんだ。』
ラウルの言葉にセロはああ、と小さく呟きながら目の端を拭い、取り乱してすまない。とヨザとラウルに頭を下げた。ラウルの父と母の名には心当たりが無いようだったがセロは2人に椅子を勧め、子供達に食事の支度を指示すると自分も2人の向かいに腰を下ろし、深いため息と共に口を開いた。
『俺は生憎お前さんの両親を知らないが、俺の身の上話で良ければ聞いてくれよ。』
そう言うとセロは昔話をするように、ぽつりぽつりと自分の住んでいた場所のこと、突然いなくなったという妻のことを語り始めた。
ーーー
・・・セロとエレーヌは元々砂漠でなく、海沿いの漁師町に住んでいた。セロは弓師で、エレーヌは町の酒場で働いていたという。2人はお互いにエルフということもあり、歳も離れていたがよく遊ぶ仲だった。
美しく、しっかり者のエレーヌに求婚する者は絶えなかったがセロは自分こそがエレーヌの運命の相手だと思っていた。同族なうえ自分とそっくりで、気も合うのだから完璧だ。
そんなセロの求婚に、エレーヌは当然のように応じてくれた。セロは周りにも羨まれ高い鼻を更に高くし、まさに幸せの只中にいた。
しかしその結婚は、条件付きだった。
条件とは”旅”をして暮らすこと。
子供が出来るまではずっと旅をしていたいと、エレーヌはセロに言ったのだ。旅をするなら一生を共に。旅を望まないなら結婚は出来ないと。
セロは産まれてからずっと同じ町で育ったため最初そう言われた時は驚いた。しかしセロに選択の余地はなかった。2人は漁師町を出て、あてもなく旅を続け、行き着いたのがこの砂漠だったのだ。
ここに辿り着き、朝晩の厳しい気候、水の無い環境を見てエレーヌは呟いた。
『あぁ、何て刺激的なんだろう。』と。
しばらく砂漠で暮らしてみる内に子供・・長男のルキが出来、2人はここに住むことにした。それほどここが気に入っていたのだ。
『・・・何でだろう。』
そこまで聞いてラウルは理解出来ないとでもいいたげに呟いた。
何故砂漠だったんだろう。何故ここを離れたんだろう。エレーヌという女の行動は謎だらけだった。
セロは少し微笑んで答えた。
『話してみて思ったけどな、やっぱりエレーヌは刺激を求めてたのかもしれない。』
3人の子供がいて、魔力を消費しないと水すら無くて、ただでさえ過酷な生活の中、時には砂嵐にまで襲われる。そんな刺激的な砂漠の生活にすら飽きてしまったのかも。
セロは子供を置き去りにしたエレーヌを恨む様子も無く、寂しそうに呟いた。
『何でここを出ないの?』
ラウルの疑問にセロは驚いたような顔をした。
『家を動かしたら、帰って来れないだろ?』
セロはまだエレーヌを待っているのだ。国王の愛人をしているかもしれないその女を。ラウルは驚いた。
『よかったら、エレーヌについて知ってること教えてくれよ。』
セロの頼みに、ラウルは目を逸らした。かわりに答えたのはヨザだった。
『すまん。話を聞いたらやっぱり人違いみてぇだ。』
ヨザは頭を掻きながら謝った。
あぁそうか。とセロが小さく呟いたところに食事が運ばれてきた。
干し野菜のスープに魚の干物。
温かいスープを一口啜り、ごくりと飲んでラウルは複雑な表情で顔を上げた。やはり、料理の味までも似ているのだ。
前を見ると、ラウルが食べる様子をじっと見ていたセロと目が合いラウルは慌てて礼を言った。
『美味しい。ありがとう。』
セロは照れたように笑って、どんどん食べな。と2人に料理を勧めた。
ーーー
食事も終わる頃には日が落ちかけていた。ヨザを誘って外に出たラウルは、サラサラとした砂の上に腰を下ろし、ぼんやりと落ちる日を眺めた。
2人が黙っている間に空は端からグラデーションのように刻々と色を変え、傾く日によって砂の小さな隆起一つ一つに影が生まれる。
その影が少しずつ伸びるのを見ながら、ようやくラウルが口を開いた。
『知ることって、こんなに恐いんだね。』
ラウルの言葉の意味を図りながら、ヨザは悩むように唸り声をあげた。
『ううむ。そうかもなぁ。そんなことわざがあった気がするけど・・・こんな時に思い出せねぇなあ。』
『何それ。』
ラウルは少し笑うと、立ち上がって背伸びをしながらヨザを見た。
『明日は海沿いに行ってみたいな。』
ヨザは老人を酷使するなよぅ、とぼやきながら自分も立ち上がりラウルの顔を覗き込んだ。
『大丈夫かい?坊やの方は。』
ラウルは少しの沈黙の後こくりと頷いて、2人はまた4人の待つテントの中へと戻った。
この章は時期的に少し更新ペース落ちるかもしれませんがよければ気長にお付き合い下さい。