75:姉弟
前話を投稿しそびれていたので今日は続けて。
勇生は身体を揺さぶられているのを感覚のどこかで感じながら、見たくも無い夢の中をひたすら漂っていた。
つまらない顔で教室へ集う同級生。同じ屋根の下でぎこちなく朝食を摂る両親。まだ家の周りをうろつくメディア。暗い部屋でブツブツと愚痴を吐く教師。そのどれもが、もうどうでもよかった。
どうせだったら、メルルの夢がいい。
勇生が不満げにぼやくと、世界はまた目まぐるしく変化した。
右へ左へ、様々な景色が急速に流れていく。
その変化について行けず、勇生が目を瞑っていると突然はっきりとした声が聞こえた。
『うっ。うう・・・。』
苦しそうなその声に勇生は眉を潜める。先程から声が響く度に調子が悪いのだ。
今、勇生の周りは真っ暗だがそこはとても温かく、安全だということはわかる。もうここから出たくない。勇生は本気でそう思っていた。
でも、世界はまた勝手に変わっていく。どんなにいたくても、ずっとここにはいられないのだ。勇生の小さな身体を誰かが揺さぶり、世界が急速に弾けようとしている。
わかるが、嫌だ。
勇生は抵抗した。
『あ゛ああ・・・!!!』
勇生の抵抗と合わせて頭に響く”声”もまた、悲鳴のように大きくなる。
勇生は観念した。
どちらにせよ長くそこに居られないのなら、諦めた方が楽だ。
その温かな世界を、自ら離れるため勇生は強く壁を蹴った。蹴って蹴って、旋回するように暗いトンネルの中を進んでいく。
この先には、何があるんだろう。
きっとそれは、楽しいものではない。
長い長いトンネルを抜け、ようやく新しい世界の光が瞼の裏まで届き、勇生はしぶしぶ目を開けた。
ーその目にぼんやりと映った少女が、大きく口を開け驚いたように勇生を覗き込む。
しかし目がよく見えないのだ。知った人のように感じるその少女が、息が届く程顔を寄せ、勇生を見て呟く。
『お母さんー・・・赤ちゃん、可愛いね。』
その少女は、勇生を見て微笑んだ。
勇生が知るはずも無かったその時間は、確かに存在していたのだ。
勇生は少し大きく目を開き、その人物を凝視した。少女もまた負けじと大きく目を開き、食い入るように勇生の目を見つめる。その時、急に誰かが勇生をバチンと叩き、勇生は大きく声を上げたー・・・。
ーーー
桜良は随分昔の記憶に、驚きながら目を覚ました。
今更、どうしてこんな夢。
もしかすると、戦場で見た勇生も、夢だったのだろうか。
桜良は刺されたことを思い出し、そっと脇腹を押さえてみた。そこは固い布で縛られ止血されていた。
やはり、間違い無く私は負けたのだ。
あの、金髪の美少女に。
『何故、生かすんだ。』
桜良は生気の無い曇った目で、目の前の兵士に尋ねた。桜良の身体は網のようなもので縛られ、荷台の上に寝かされていて身動きが取れない。
マジョルドは、死んだのか?
桜良は黙っている兵士に重ねて問いかけようとして、止めた。
マジョルドの気配が無い。どこにも感じない。
ああ、そうか。
マジョルドは殺されてしまったのか。
桜良はそれに気付き、首を僅かに動かし兵士の背中を見た。この兵士に復讐しようか。いや、それに何の意味がある?
この世界では、魔物や魔力により人が簡単に殺される。死なない方が難しい、そういう世界なのだ。
私も大勢殺したじゃないか。その世界でまた1人死んだだけだ。
戦いに敗れ、私を慕う人はもうここにいない。
私の居場所はどこにもなくなってしまった。
『う・・っゔああぁぁぁぁぁーー!!!!』
桜良はありったけの憎しみを込めて空を睨み付け、叫んだ。
何故私は、一緒に死ねなかったのだ。
その悲痛な想いが、遠くの山までこだまし空気を震わす。
桜良の叫び声が聴こえたのかはわからない。
そのすぐ後ろに続く獣車の上で、懸命な治療を受けていた勇生が息を吹き返した。
『・・ごほ、ごほっ・・。』
突然目を開き、咳き込んだ勇生にメルルが驚き、わあ見て!!!とテサに叫んだ。
テサがそれに気付くよりも残念ながら手の動きの方が速く、ようやく自力で動き始めた勇生の心臓はテサにより殴打され、不自然に呼吸が乱れる。
『カハ・・・ッ。』
かろうじて息を吸い、テサの手を振り払った勇生はメルルとテサの顔を見て安心したようにため息をついた。
テサがぐいと手で顔を拭い、黙って手渡した水を一口飲むと勇生は周りを見回す。
『勝ったのか・・・?』
獣車はゆっくりとした足並みで王国へと帰還していた。勇生の問いに、嬉しそうなメルルと渋い顔のテサが頷いた。
『勝てたんだ・・・。』
勇生は驚き、その反応を見てメルルは苦笑いする。テサは当たり前だ。と怒ったように言った。
勝ったと言い切るには、犠牲者が多かった。しかし、間違い無く勝ったのだ。
メルルは静かに座り、勇生の顔を見た。
『”女王”はどうなっちゃうんだろう。』
心配するかのような口調でメルルがそれを言いテサに小突かれる。
『王国の敵を心配するな。犠牲者がいるんだ。』
メルルはごめんなさい。と素直に謝ったがその後は黙って勇生の隣に座っている。
勇生はその様子を見ながら、ゆっくりと倒れる前の出来事を思い出していた。
出撃からの長い道のり。
ゾンビのようになった島民。
突然現れた”女王”。
あれは、本当に桜良だったのだろうか?
あれが桜良だとして、何故?
何故こんなところにまで現れるんだ。
願わくば、幻であって欲しい。
黙り込んだ勇生とメルルを見ながら、テサはボソリと呟く。
『あの女に同情するな。どのみち”処刑”されるんだ。』
メルルはその言葉にビクッとして自分の胸を押さえた。自分のせいで、人が処刑される?
そのメルルの肩を、テサが叩く。
『殺すのはお前じゃない。忘れろ。』
そうは言っても、忘れられそうにない。メルルは不安な目でテサを、そして勇生を見た。
勇生は虚ろな目をして、テサに尋ねた。
『女王と話すことは出来る?』