61:すれ違い
桜良の唇には、王のものではない冷ややかな金属の感触が当たった。
桜良が驚き目を見開くと、王の後方にいた”女”がいつの間にか剣を抜き、桜良と王の顔の間に割って入るようにその大剣を突き出していた。
『ちょいと待ちな。』
偉そうに喋る”女”は、一気に武器を構えた衛兵達に言い放つと、桜良に顔を近づけその顔を覗き込む。
『これも仕事なもんで、邪魔して悪いねぇ。』
よく見ると女は人間では無いようだった。耳の先が尖っているのだ。その綺麗な顔とドレスとは裏腹に、桜良の腕を捻り上げたその手の力は途轍もなく強い。
『手を放せ。』
桜良は女を睨むが、女・・・エレーヌは首を振り、残念そうに呟いた。
『顔は良いけどアンタ・・・”女王”の器じゃあ、ない。』
ー王の首を狙うなんて、やめときな。
エレーヌはそう続けたが、その言葉はカッとなった桜良の耳には届かない。
ー”女王の器じゃない”って?
なぜこんな世界に来てまで否定されなくてはいけない?
いや、私がこんな”女”に侮辱されていい訳がない。
許せない。許せない許せない許せない。
ー皆、殺してやりたい。
桜良はその”言葉”にとらわれ、怒りに我を忘れ、腕を捻られたまま一気に”毒”の分子を周囲に飛散させた。
周りの人間が喉を押さえ胸を掻きむしりバタバタと倒れる中、”国王”は複数の衛兵に守られ、支えられるようにして奥のドアから連れ出されようとしている。
ー絶対逃がさない。
桜良はその後ろ姿に怒りをぶちまけるように毒を放出する。
目には見えないはずの毒の霧が、その強い魔力のせいか黒い粒の塊となって、まるで生き物のように蠢いて王を追いかける。
桜良は毒を放出した後、突然我に返ったように真顔になりマジョルドの元へ駆け寄ると、その手を取り入って来たドアから急いで廊下へ出た。
部屋の中では今まさに国王の背後に毒霧が迫っていたが、そこにまた立ちはだかるものがいた。
エレーヌだ。
桜良はドアの閉まる間際、振り返りエレーヌと毒霧が対峙するのを確認したが直ぐに興味を失くしたように顔を戻し、そのまま早足で部屋を離れた。
『チッ。気が乗らないけど・・・。2人分稼ぐって、決めたもんでね。』
エレーヌは苦い顔をして呟いた。
廊下の方からは、桜良を捉えようと迫った衛兵達が次々に呻き声を上げ倒れる物音が聞こえる。
『四方の壁よ!!!』
エレーヌが久しぶりに詠唱したのは、それを使える者も数少ない、光の大魔法だった。
化物と化した毒霧は床や壁、天井から突如現れた大きな光の壁に取り囲まれ、箱のようになったその中に一瞬で閉じ込められる。
囲んだ中にあるもの全てを”消滅”させる光の箱。
女王と名乗る黒髪の女が使った魔術を、エレーヌ最大の力を持って閉じ込めたのだ。
・・・なのに。
『嘘だろ。』
エレーヌは驚き、頬をひくつかせながら笑った。
黒い化物はその大きさすら変わることなく、箱の中でまだ形を保ち蠢いている。
ー閉じ込めている光の壁は一刻しか持たない。この得体の知れない毒の化物と、戦うしかないのか。
ーまあ、アタシの役目は”国王”を逃がすことだ。どうせすぐに他のヤツらも駆け付けるだろう。
エレーヌは化物の動きでガタガタと揺れる箱を睨みながらどことなく投げやりな表情を浮かべると、自分も苦しそうに息を付きゆっくりとその場に倒れた。
部屋の中には桜良の毒が撒き散らされ沢山の者が倒れている。
衛兵に侍女達。付き人の老人。
『・・・全く、ざまぁない・・・。』
エレーヌは横目でそれを見ながら、悔しそうに呟いた。
その頃、先に帰国した3番隊、テサと勇生、メルルは門番から事態を聞き大急ぎで城へと駆けつけていた。
遠征帰りで隊員達は疲れきっているが、それどころではない。
『国王が襲われたって、誰に。』
テサは前方でベルタと話している。
『わからんが、民の暴動の類では無さそうだ。』
『"外"の奴らか。』
勇生とメルルはその後方で会話を聞いているが、勇生は討伐戦の疲れが取れていないのか顔色も悪くぐったりとしている。
城までは残りわずか、目の前の坂を上がるだけだ。高速獣車の脚も悲鳴を上げているが、御者は手綱を緩めない。
突然、先頭で車を引く魔獣が驚くように嘶き、前足を高く上げ立ち止まった。
『おい、どうした!!』
御者は慌て、乗っていた勇生達はバランスを崩し隊員達から怒声があがる。
『走れ!!』
御者は焦り鞭を打つ。その獣車の横を、反対方向へ、城から急ぎ出て来て通り抜けようとする馬車があった。
ー何だこの嫌な感じは。
不穏な気配に顔を顰めた勇生は、獣車の縁を掴み傾く車体の端から目だけを覗かせ、かろうじてすれ違う馬車を見た。
どことなく不気味で違和感のある馬車だった。誰かが乗っているであろう部分に日除けのような黒い垂れ幕が掛かり、その下からは、踝までの長い裾のドレスが見える。その隣には黒いスーツのようなズボンの脚と、革靴が。
ー”スーツ”?
この世界では見たことがない、その足元はスーツのように見える。
『あれ。』
勇生が訝しげな顔をする横で、メルルが獣車から身を乗り出しその二人を”凝視”していた。
”この人たちだ”。
メルルは大きく目を見開き、口をパクパクさせている。
ー間違いない。前にも感じた、ダダ漏れの”気配”の正体だ。
誰かに言った方がいいかな?
メルルがそう思い後ろを向いた瞬間、その馬車から突然”悪意”の塊のような魔力が放たれ反射的にメルルは手の平を突き出し、叫んだ。
『疾風よ!!』
馬車から放たれた毒霧がメルルの風に掻き回され飛び散るのと同時に、黒い馬車の垂れ幕がフワリと舞い上がる。
その瞬間、勇生は驚いたようにメルルを見ていたが、”風”によって一瞬姿を晒された垂れ幕の下の”ドレスの女”は、憎悪のこもったどす黒い瞳でメルルの方を睨んでいた。
恐ろしい程の美女だ。
メルルはその女の顔を見てゾッとし、思わず獣車の縁に隠れるようにしゃがみ込んだ。
『メルル・・・大丈夫?』
馬車が走り去るのを確認して勇生が声を掛けると、メルルは脚を震わせながらも立ち上がり、車の縁からそっと顔を出し小さくなっていく馬車を見て、ぽそりと呟いた。
『あれは、ヤバイよ・・。』
馬車の女ー桜良は、碧の紋章を付けた獣車が後ろに去って行くのを見ながらチッと舌打ちした。
ー金髪の娘。邪魔をしやがった。
獣車の幌に付いた碧の紋章を見て問答無用で毒霧を仕掛けたが、あろうことか小娘1人に邪魔をされた。
ーあの国のヤツら。つくづく憎たらしい。
桜良は鬱憤を晴らすように王国内に毒をばら撒きながら、悪態をつく。
『まあいい。手を取る必要が無いなら、面倒なことは何も無い。』
揺れる馬車の隣では、桜良の毒に侵され瀕死の容態に見えるマジョルドが、ニコリと笑う。
『それでこそ、我が女王です。』
2人は王国を出るとそのまま碧の島へ戻った。
愛しい、我が島をもっと強く女王に相応しい島にするために。
難しいですね。すれ違いの表現が・・。