57:静かな夜
魔物討伐隊が野営地を設営したその日は、不思議なことに魔物が一切現れない静かな夜になった。そのおかげでテントの中で横になっていた勇生は、見張りの交代時間まで仮眠をとることを許された。
薄暗いテントの中でしばらく目を瞑っていると、またあの吸い込まれるような感覚に襲われて次に勇生が目を開けたのは、生まれ育った家の、自分の部屋の中だった。
ーこの部屋、こんなに物がなかったっけ。
勇生は部屋の中をゆっくりと見回した。机やベッドなど家具の配置は変わっていないはずだが、”住人”がいなくなったせいか、部屋はがらんとしてどこかもの寂しい。
そして勇生の部屋と、たった1枚の壁を隔てた向こうが、姉・・・”桜良”の居場所だった。
勇生はそっと壁に近づき気配を探るが、壁の向こうもまたシン、として何の音もしない。
寝てる・・・?いや、居ないのか。珍しい。
勇生は驚いた。いつも姉が居ることが嫌で、寝る時以外ほとんど部屋に帰らなかったのだ。学校が終われば何かしら”イベント”があったし、夜の"誰もいないリビング”の方が気楽で良かった。
ー外の明るさからして昼間だろうに、姉がいない。
夢だからか。いっそ姉がいなければ、もっと普通に毎日を楽しく過ごしていたんだろうか。勇生は憂鬱な顔でその壁を見る。
世間的には、姉はいないも同然だったが勇生にとっては違った。
小さな頃から、自分を憎む存在としてずっと近くにいて、常にその威圧感を感じていた。
姉は弱い人間などではないのに、勇生以外の誰もそこに気付いていない。
壁を睨んでいると不意に階下から声が聞こえてきて、勇生は細くドアを開けた。
”母”と、誰かー”父”だろうか?久しぶりに聞いた2人の声は何かを言い争っている。でも父がたまに帰って来た時はいつもこうだった。それ自体は珍しくもない。
『オマエはそれでも母親か・・・!?』
『あなたはそれで・・・!?』
勇生ももう中学生だ。長く帰って来ない父親に”女”がいることは気付いていた。
そんな父が帰って来ても結局”荒れる”だけなのだ。母の中に残ったエネルギーは全て、父を攻撃することに使われる。
ただ、少し会話の中身が気になって勇生はドアをもう少し大きく開けた。
母は必死に父を糾弾している。その声が甲高く耳障りだが、ついさっき・・・何て言った?
勇生は気配を殺して耳を澄ませる。"声"は何重にもなっていて、集中してようやくはっきりと聞こえた。
『もう何年も私は・・・あの子のことなんてわからないわよ!!』
父は感情を押さえるように低い声で、母を愉すように応える。
『わかった・・よそう。こんな時だ。』
『こんな時・・・こんな・・・2人共、こんなことするなんて。・・・私には訳がわからない!!!!』
母の声は次第に嗚咽となり、何も聞き取れなくなった。
父はその母を慰めているのか、ずっとボソボソと囁いているのが、かろうじて聞こえる。
『・・・も、・・・も。大事な子に変わりはない。』
最後の言葉だけ嘘のようにくっきりと聞こえたが、その前の、何かが気になる。
勇生は思わず身を乗り出し、その拍子にドアの前に積み重なっていた荷物がガラガラと音を立て崩れた。
音に気付いたのか、突然階下の声が止む。
ーああ、何で。くそ。
勇生は悔しい思いを抱きながら気を失うように、また狭いトンネルへと吸い込まれた。
父と母はまた喧嘩していた。それは少なくとも、勇生が消えても変わらなかった。でも他に何か言っていた気がする。
ー何だった・・・?
勇生はトンネルを潜り抜けながら、記憶を手繰り寄せる。
ー2人。そうだ。”2人共”。
ー確か、そう言ってなかったか。
曖昧になった記憶に混乱しているところで、勇生は肩を叩かれ目を覚ました。
『おい。交代だ。』
夜はもう、明けようとしていた。昨夜は身を潜めていた魔物達がまた、徐々に動き出そうとしていた。