55:美しき女王
いつの間に建てられたのか、翠の島へと続く道には高い門が設けられその門の上部には見張りが立っているのが見えた。伝者はそこに向かって碧の王国の使者であることを示す旗を掲げて見せる。
見張りは旗に気付くと、慣れた様子で下で待機している門番へと合図を出した。門番は開門の指示を受け、急ごしらえには見えない重々しい扉をゆっくりと押し開く。
伝者は恐る恐る馬を中へ進めた。それまでの道と同様、ほんの数ヶ月前まではそこら中に生い茂っていた植物の類が姿を消し、代わりに人々の住む家が増え半島の入り口から遠くに見えている"城"らしき建物まで、何重にも門が設けられていた。
ーまるで前からこの土地に根付いた城があったかのようだ。一体、いつの間にこんな風に島を変えたのか。
しかし通りから見える人々に変わった様子は無い。寧ろ魔物が出ないせいか、どの人も和やかに安全な暮らしを営んでいるように見えて、それがまた違和感を醸し出している。
ー女王か。どのような人物なのだろう。
まだ見ぬその人物に思いを巡らせながら伝者は4つ目の門を潜る。それにしても守りが厳重だ。魔物もいないというのに、何を恐れているのか?
5つ目の門の向こうにようやく今まで城だと思っていた建物が姿を現した。否、その建物は予想に反し”城”と呼べるようなものではなかった。これまでの門の多さからして堅牢な城を想像していた伝者は、その大きめの小屋といった風情の建物に面食らった顔で門を叩く。
しかし今回は見張りが中に入ったきり、門が中から開く気配がない。
ー様子がおかしい。
一刻ほど待って伝者は、しびれを切らしたように声を張り上げた。
『碧の国王より伝文を預かっている。武器など持たぬが、身を検分めてもらっても構わない。ここを通していただけないか。』
伝者は丸太を繋げて作られた門の隙間から中を窺うが、門の中を行き来する人は皆虚ろな顔で伝者の声を気に留める様子も無い。警戒しているわけでもなく、好奇の目を向ける者もいない。
ーここの者達は皆こうなのか?
ここに来るまでに見た街の人々とは違う。その様子に伝者が不安を覚えた時、ようやく城の中から案内人らしきー見慣れぬ衣装を着た男が見張りを従え出て来た。
伝者は少し安心して姿勢を正し、出迎えに応じる。見張りの者と別れたスーツの男は伝者に向かい深く一礼した。
『我が”女王”の島へようこそ。』
ーーー
やはり急ぎ造られたように見える簡素な木造の城の中は昼間というのに薄暗く陰気だった。中へ入るとしばらくは狭い廊下が続き、突き当りのドアが開けられ、スーツの男に入るよう促される。
通されたのは応接間のようだった。
伝者はキョロキョロと周りを見るがスーツの男以外は誰もいない。
『あの、・・・”女王”殿は?』
思わず不安が口に出た。スーツの男はチラリと伝者を見ると、無表情でその問いに答える。
『ここでお待ち下さい。』
とはいっても、なかなか姿を現さないではないか。いつまで待たせる気だ。伝者は不満を顔に出さないように努力しながら待った。部屋に入って既に小一時間が経過している。
『何かお取り込み中でしたかな?』
ついに嫌味混じりな一言を伝者が漏らした時、突然背後から鈴のような声が聞こえた。
『こんにちは。』
伝者は驚き背後を振り返る。ーまさか後ろから来るとは。そしてその声の女性を見て目を見張り、直ぐさま片膝を突き頭を下げた。そうせざるを得ない何かが感じられたのだ。
『碧の王国より、”招待状”をお持ちしました。』
伝者の朗々と響く声に"女王"は眉をひそめる。伝者は懐から恭しく招待状を出して、もう一度ちらりと女王を見た。
美しく垂れる長い黒髪に、透き通るような白い肌。不快そうに細めた切れ長の目に紫色の瞳。
小さく尖った濡れた唇。
ピタリと体のラインに沿ったドレスで顔と手以外の全てを覆っているが、その曲線美がスタイルの良さを想像させる。
美しいお方だ。伝者は一瞬でその魅力に囚われた。女王をひと目見た瞬間から動悸が止まらないのは、美しさのあまり、恐ろしさをも感じているからだろうか・・?伝者は自問しながらクシドの作った招待状を読み上げる。
ー真実は違ったのだ。
女王ー桜良の吐息に混ざった僅かな毒は、目の前に立つものを全て、少しずつ、毒していた。
人々が感じる”動悸”は、抑えながらも漏れ出すその麻痺毒による影響だった。
『この大陸に降り立った新たな”王”と盃を交わしたい。我が”碧の国王”がそう申しております。是非とも良いお返事をいただきたく、こちらに馳せ参じた次第でございます。』
伝者は震える声でその内容を伝えた。
桜良はその伝者を見下ろし、高鳴る胸を押さえる。
・・・一国の王が、私にー?
この辺りのものが、桜良のことを女王と呼んでいるのは勿論知っていた。
最初に出会った人間、今は”執事”として側に置いているマジョルドが桜良を女王と呼び始め、その周りにどんどん人を増やしたのである。桜良が何をしなくてもその毒と美貌により支配はどんどんと広がった。
ここでは、全てが上手く行く。
しかし今度こそ、”失敗”するわけにはいかない。桜良は人と会うことを極力避け、人前に出る必要があればなるべく”女王”らしく振る舞った。
この世界での私は、まごうことなき”強者”だー。
それは確かな実感として、病んだ桜良の心を少し歪めたまま満たしていった。
『あぁ。それは嬉しいお誘いね。』
桜良は跪いたままの伝者に、薄く微笑んで答えた。
前話少し修正しています。