22:メルルの夢
次の日もメルルはまだ眠っていた。勇生はその姿を見てまたそっとドアを閉じ、おばばに向かって気になっていたことを聞く。
『この訓練って・・メルルもするのか?』
おばばは片方の眉を上げ、何か言いたげにしていたが首を振った。
『アレには教える必要もない。』
何故だ。おばばの言い方が微妙に引っ掛かる。メルルにはもっと別の訓練があるということか?勇生はそれ以上聞くことはしなかったが、湧いた疑問に首を傾げた。メルルはもう、"魔力"を使いこなしているということだろうか。
どちらにしろ、この理不尽な暴力を受けなくて済むのだ。良かったと思う。
勇生は恨めしい顔でおばばを睨む。脚。背中。腕。また脚。一応頭は蹴らずにいてくれるが、この訓練はおばばのストレス解消ではないか。そんなことさえ頭をよぎる。
ーでも今日は、一発返してやる。
勇生は不穏なことを心で呟き、拳を握りおばばに向き直った。
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メルルは何日も何日も暗闇の底にいるような感覚に覆
われたまま、その中をあてもなく彷徨っていた。
そこへ突然、日が差したように瞼の裏が暖かくなり、メルルは急いで目を開けた。
目を開けるとそこは太陽の光に照らされた明るい道の上だった。
住宅街から少し離れ、鄙びた通りの水路の脇。その道に三棟並んだ古い貸家の一つ。この時代にまだ残っているのが不思議なくらいに年季が入ったその建屋が、まさしく田中の住む家だった。
田中は自分の姿を見下ろしてみる。僕は・・・女の子になっていなかったっけ?しかし、自分の姿なのに薄っすらと透けてよく見えない。僕は死んだのか。幽霊になったのだろうか。
家族はどうしているだろう。
母さん。父さん。それに兄ちゃん。姉ちゃん。あと、真凛。
妹の名前を呼ぶときはいつも躊躇する。田中は苦笑して家の中へと目を向けた。静かだ。-平日なのだろうか。まるで元々留守かのように静かで誰もいない。
田中はそっと玄関の横を通り過ぎ裏へと回ってみる。記憶の中と何も変わらない家。枠が歪み開かない窓は、両親の喧嘩で割れてガムテープで補修されたまま。植木鉢で栽培しようとして失敗した人参の干からびた残骸や、かろうじて生えているネギ。そんなような物が雑然と並び、家の裏に回ると洗濯物が干してあった。
ーああ。そうか。
それを見て田中は理解した。
日差しの下揺れる、家族の洗濯物。
父の、擦り切れた作業服に母の派手なシャツ。兄のパンツ。姉の体操服。それに真凛の服。
平和な日常。だけどそこに、僕のものは無い。
僕はたった1枚しか持たないシャツをいつもズタボロにして帰っていた。それを文句も言わず、母さんは毎日洗い乾かしてくれていた。
洗剤を余り使わないからか、シャツからはいつも箪笥の古びた匂いがしていた。
田中は洗濯物を干す母の後ろ姿を思い出しながら、並んだ洗濯物の前にずっと立ち尽くしていた。
ー逢いたいなあ。
もう、会えないのだろうか。声も聞けないのだろうか。そう考えると途端に寂しくて、声を押し殺して飲み込んだ涙が、やけに熱く喉を流れていく。
僕は、死んでないと思ってたんだけどな。あの不思議な世界は、三途の川の向こう側だったのだろうか。
田中はそっと目を閉じた。
死んだとしてもこんなに悲しくては、成仏なんて出来そうもない。地縛霊とやらになって僕は家族にすら疎まれるのだろうか。
ーそれも嫌だなあ。
田中はすぅっと意識が遠のく感覚に身を任せた。
せっかく、奇跡のような夢の中で、楽しくやれそうだったのに。
あの、・・・同級生と。