21:おばばと修行
次の日は、早朝からおばばに起こされた。訓練とやらは不本意だったがここには食べるものも寝るところもあり、昨日は久しぶりにゆっくり出来たのも事実だ。身体も洗えて正直ホッとした部分もある。少しの間流れに従うのも悪くない。勇生は生まれて初めて、衣食住の有り難さを感じていた。
メルルはというと、まだ眠ったままで昨日も時折おばばが水を持って部屋に入っていった。勇生はおばばとラウルの隙を見て1度部屋を覗いたが、当初よりはその寝息が安らいでいるようで、安心すると同時に布から出た部分のひどい傷跡を見て恐怖を感じた。
ー今はとにかく、強くならなくては。
勇生は暗い瞳に秘かな闘志だけを宿して、おばばの待つ部屋のドアを開けた。
その部屋は強いて言うならば体育館のような、ひたすら広くて何も無い部屋だった。窓も無く、ドーム状に壁を作る枝の隙間から光りが差し込むがそれ以外は明かりも無い。
その真ん中に、おばばがいた。
『訓練って何するん…。』
勇生が話しかけながら近づくと、おばばは思いも寄らぬスピードで滑るように後方へ動いていく。
『え?』
動きに戸惑い勇生が瞬きした一瞬で、いつの間にか回り込んだおばばに背後を取られていた。気配に振り向くと同時に鋭い蹴りを喰らい勇生は蹌踉めいた。
『馬鹿め。』
おばばはいけしゃあしゃあと言い放ち勇生を見下ろしている。
『くそ。説明しろ。』
勇生はおばばに毒づきながら立ち上がる。
おばばは再び瞬く間に距離を取り、それ自体が呪文のように聞こえる声で勇生に向かって囁く。
『力を感じろ。儂の力。おぬしの力じゃ。』
何のヒントも無い。勇生はチッと舌打ちして目を閉じ耳を澄ませてみる。おばばの姿を目で追っても自分の動きが追いつかない。ならば音はどうだろう。
感覚を耳に集中する。
しかし、おばばの服が床に擦れるわずかな音がするのみで、距離感が全く掴めない。
目を閉じている間に嘲笑うかのように足を払われ、勇生は思い切り床に尻餅をついた。
『っ痛・・・。』
目を開けると、そこには勇生を覗き込むおばばの顔があった。驚いて後ずさりするとおばばが勇生に向かって指を突き付ける。
『ここだ。力を捉えるのは目でもなけりゃ耳でも無い。ここを使え。』
その指は勇生の頭を差している。頭を使う・・・?勇生は足をさすりながら立ち上がり、おばばをもう一度睨んだ。
『何を言ってるのかわからない。』
おばばはそんな勇生を見て何も言わずまた離れた。
『わからんならそれまでだ。』
そしてまた気まぐれに足や背中を蹴ったかと思うとまた離れる。その繰り返しだった。
勇生はイライラとして立ち上がるのを止めた。
胡座をかいて床に座り込むと、不思議と先刻までよりはおばばの気配に集中出来た。
わずかな音。空気の流れ。吐息。
そして聞こえていた音が一瞬途切れる。
ビシッ!!!!
その痛さに勇生は顔をしかめたが、手に掴んだ服の裾は離さなかった。
おばばは一瞬、驚いた顔をしたがすぐにまたその手を払う。おばばは老婆の見た目から想像がつかない程、力が強かった。
『耳で聞くな。受けてからでは遅い。』
おばばは嗄れた声で檄を飛ばす。
朝食の用意が出来たとラウルが呼びに来るまで、およそ数時間で勇生はボロボロになっていた。せっかく回復していたのに、また体のあちこちが痛い。
おばばも肩で息をしていたが、ぐったりしている勇生を見ながらその横を毅然と通り過ぎる。
『明日は自分で起きな!!』
おばばの捨てゼリフを聞いて余計にくたびれた表情の勇生を見て、ラウルはニコニコと話しかける。
『順調そうだね。』
何がだよ。勇生はそう思ったが、その声も出ないほど疲れている。何だあの老婆は。勇生はおばばの後ろ姿をまた目で追いながら、やっとのことで訓練部屋を出た。