122:魂の行く先
ー死ぬ瞬間、最後の記憶が”誰かの腕の中”って、何か、いいよね?少しだけ、人生悪くなかったかもって、思える。
田中はどことも知れない暗闇の中を漂いながら、そんなことを考えていた。
ー死んだら”あの世”に行くとか言うけれど。だったら、既に別世界に来てた僕は、これで帰れるのかな?
フワフワ。フワフワ。
流れに身を任せ進んで行くと生温い風が吹く場所があり、そこに微かな匂いを感じて田中は小さく鼻を動かした。
ーああ、良い匂い。
母さんの作る、肉無し肉豆腐。いやこれは、肉無し肉じゃが?
・・・食べたいなぁ、最後に。
田中はぐるると鳴ったお腹を押さえながら考えるが、漠然と、その望みは叶わないだろうということも知っている。このまま進めばそれで終了ということが何となくわかるのだ。
ーでもここで逆らうことなど、出来ないのだ。
周りは見えないが、ここでは微塵も危険は感じられない。歩くでも、泳ぐでもなく、ただ身を任せれば進んで行く。
この先には、何の不安も存在しない。
なのに突然、田中は不安に襲われたようにキョロキョロと周りを気にしたかと思うと首を下に向け、自分の服装を確かめた。
急に気になったのだ。
ー僕は今、”何”を着ている?
そして隊服に身を包んでいることを知るとおもむろにズボンを下げ、その下にまだソレが無いのを見て感心したように呟いた。
『・・・まだ女子だ。』
本来、この虚無の空間で喋るものなどいない。
しかし田中はひとり言を呟き、ピタリと立ち止まった。
『・・・何だ・・・?』
ーーー
船上に立つ大男は、ビクビクとまだ脈打つ臓器を片手に満足気に笑っていた。
『これはいい。』
その臓器は先程、自分に仕掛けてきた王国軍の兵士から奪ったものだ。持っているだけでその溢れんばかりの魔力が感じられる。
心臓を食べれば”生き血”を飲むより遥かに魔力を養えるのだ。
活きのいい内に食べるか、それとも・・・新たな魔物でも創ろうか?
カルマンはちらりと後方の魔物を振り返り、楽しそうに微笑む。
ーアレをもっと、王国軍に見せてやりたかったが・・・仕方ない。呆気なくカタがついてしまいそうだ。
濁ったその瞳には、まだヨザ達の存在は写っていない。ただ向こうの空を優雅に飛ぶ、大きな鳥が目障りでカルマンは不機嫌に舌打ちし手にした心臓を一息に飲み込んだ。
ーーー
黒銀の羽を持つその魔鳥は、背に3人も乗せているとは思えない程軽やかに空へ上昇しあっという間に雲間へと隠れた。
ー背に3人。そして更に腹の中に1人。
ヨザは”全員行く”ことが決まるとメルルを腹に取り込んだ。どういう仕組みかはわからない。
『この姿の時はバリアは張れないからな。』
ヨザは念を押すように3人へ伝え、雲の上へと飛び上がった。
・・・雲越しとはいえ、狙われたら終わりか。テサはビリビリとした空気を纏わせながら白く霞む下界を視た。
『今、狙われたら大変だね?』
横のラウルが考えを読んだかのようにテサに話しかけ、テサは苛立ったように答える。
『あぁ。諸共串刺しだ。』
少年は所詮、魔物だ。まるで他人事のように”死ぬ”ことを考えている様子が不快だが仕方ない。
バディスも同じだったのだろうか。くそ。ー所詮は母国など持たぬ魔物か。
近づくに連れはっきりとしたが、敵船の数はテサの予想をはるかに超えていた。テサは顔を曇らせながらもカルマンの正確な位置を探る。
・・・どこだ。くそ。
視ることに集中しながらも浅く呼吸を繰り返し、自分の魔力を身体の隅々へ巡り渡らせる。
上空には雲がある。”水”を集めることも容易いが水撃では遅い。
『・・・あと少し。下がれるか?』
テサの頼みに応え、ヨザは雲の中へ入り高度を下げた。
雲のせいではっきりと相手の位置が特定出来ないが、それは向こうからも狙えないということだ。
どうか気付くな。ー雲よ、留まってくれ。
テサは息を殺し目を凝らしながら、祈る。
どこだ。カルマンめ。
ー何だ、この気配は?
テサがその異様なモノに気付いた瞬間、風が動き雲が切れ、視界が突然くっきりと開けた。
『ーヨザ、来るぞ!!!!』
叫んだテサ達の真下に位置する船上に、その魔物はいた。見るだけで凍りつくような異形の魔物が、今まさにギリギリと弓を引き絞り真上に狙いをつけていた。
ー元となった魔物は間違い無くバディスであろう。奇妙な兜から出た口元と、その立派な体躯からそれだけは判る。
『バディス・・・。』
横から覗くラウルが小さく吐息を漏らし、背の弓を取る。
『待て!!!』
テサの制止も聞かず、ラウルは瞬時に矢を番え、バディスと相対するように弓を構えた。
ー父さん。
ーーー
勇生もまた、前方でテサが叫ぶのを聞いたがそれと同時に呟いたラウルの声だけが、やけにはっきりと耳に入った。
『ーバディス。』
父さん、だって、アレがか?
勇生は目を見開きその魔物を見下ろした。
身の毛がよだつとはこのことだ。
被った兜からは幾本も太い螺子が突き出ている。その下の眼は見えないが、既にその眼でこちらを捉え狙っているのだ。殺気が尋常ではない。上半身は剥き出しで、鍛え抜かれた裸体には不釣り合いな3組の腕が生えそれぞれがギリギリと弓を引き、下半身は船上に置かれた砲台と一体化しまるで砲台からヒトが生えたようになっている。
まさに殺戮機械。
アレが父親ー?
勇生は魔物を見つめ、もう一度ラウルを見た。




