110:自己中
田中は周りの慌ただしさに紛れるようにして、水を汲み布を湿らせ、隊員達の物理的な世話に専念した。
回復を施している他の隊員はメルルのことを気にかける様子も無く長い長い呪文を唱えている。
『癒やしの光よ、傷付く全てのものに等しく注ぎ給え。傷付くものを包みその傷を癒やしあたたかく・・・・。』
メルルはそれを聞くとも無しに聞きながら、真似て回復呪文を唱えるフリをした。
『癒やしの光・・・。』
しかし嘘の言葉を呟けば呟くほど、激しい自己嫌悪に苛まれる。
”僕”はこんな人間だったのか。
そしてぼんやりと、ある出来事を思い出していた。
僕はずっと、いろいろな人から嫌われてきた。
家が貧しすぎると、学校で必要な道具すら揃えられない。持ち物が足りず給食費も納めていないと教師にも嫌われる。教師に嫌われると、当然のように同級生にも嫌われる。
もちろん貧しいせいだけじゃないことはわかっている。僕個人が嫌われる素質を持っていたのだ。
同級生はいつだって残酷で、僕を虐めて鬱憤を晴らす。僕はいつでもやられる側で、でもだからきっと、やる側には回らない。
僕は悪い人間にはならないんだと思っていた。
だけど小学6年生だったある日、思ってもみない出来事が起こった。
連れて行かれた暗い倉庫裏に、先客がいたのだ。
1つ下の学年の子供達だった。
子供同士だというのに、その標的の子は僕も目を覆う程のボコられ具合で同級生達はチッと舌打ちすると素早く顔を見合わせ、解散した。
僕はその場に残され束の間ホッとした後、先客である年下の子供達と目が合い恐怖に襲われ、その場を逃げるように去った。
僕は、見捨てたのだ。
つらさを知っていたのに。
痛みを知っていたのに。
僕だけは、わかってあげられたのに。
走り去りながら、いつもと同じく教師を呼ぶことも出来なかった。大声を出すことも出来なかった。
自分はその日”彼”のおかげで助かったのに、助けることを勝手に諦めた。
あの日の僕も、今の僕も同じ。
自己中なのだ。
自分が助かればそれでいい。
僕は、何も変われていないんだ。
『ごめんなさい・・・。』
田中は何度も呟くと、震える指で小さな胸を押さえ苦しそうに俯いた。
ーーー
1番隊隊員達はメルルの自責の念を知る由もなく、順調に連携を取り徐々にビオーネに迫っていた。
最初は面白そうに逃げ回っていたビオーネにも次第に焦りの色が見え始めた。
ビオーネは隊員達の手から放たれた風や水撃をギリギリのところで避け高く上昇したかと思うと、轟音を轟かせ海底から防壁を創り上げたのだ。ビオーネが明らかな防御に回ったのは初めてだった。
『ったく・・常識外れな力を持ってやがる。』
テサは海面にそびえ立つ岩壁を見上げながらぼやき、素早く隊員達に指示を出す。
『一点集中だ!!!砕くぞ!!!』
テサの号令に合わせ、隊員達は岩壁の中心に向かって一気に力を放つ。
水、火、風、地・・・そして、雷。
『雷孤剣!!!』
勇生もまた、剣を振るい何度目かわからない雷撃を繰り出した。
いくつもの光の筋が同時に岩壁にぶつかると、光は激しい爆発を起こし、岩壁を中心から粉々に打ち砕いた。
『やったか・・・?』
煙の向こうへ目を凝らすテサの目に、虫程小さくなったビオーネの姿が写る。
・・・あいつ。
『逃げる、だと?』
低い声でテサは呟く。その額には血管が浮き上がり怒っているのが見てとれる。
ビオーネは、岩壁を創り出すと同時に高速で海上を飛びながら、目的を果たそうとしていた。
『ここらで、いいか。』
そして追っ手がすぐに来れないところまで飛ぶと、ビオーネは小さく呟いてピタリと宙に止まった。
自分に出された”受入れ”条件の1つは、アイツらの足止め。そしてもう1つの条件がコレなのだ。
全ては、”外島”で優雅に愉快に暮らすため。
外島の大使ーカルマンとやらは、ある日突然、揉み手ですり寄って来てこう囁いた。大男から見上げられるのも悪くない。
『あなた程の能力者。外島ならば望めば”王”にもなれましょう。』
カルマン自体はどうでもいい。しかし、王国での暮らしには飽きていたのだ。ビオーネにとってはちょうどいいタイミングだった。
『重力、均衡。』
ビオーネが空中で両手を上げると、遥か遠くの海中に仕掛けられた物理網の杭が1本1本、ズルズルと引き上げられ持ち上げられていく。
『さすがに重労働だぜこれは。』
まぁ逆に言えば、こんだけやってんだから相当な待遇だろうよ。
ビオーネはブツブツと呟きながらも力を弛めない。
テサ達船上の隊員達は、突如灯台の警備兵から届いた伝達でそれを知った。
『防衛網を敵船が突破!!!敵船が侵入!!!』




