02.目覚め
夢を見ていた。
そこは鬱蒼とした森の中だった。視界がとても低い。そのせいか、その森がとても大きいものに感じられた。
自分はとても小さな生き物になっていた。
小さな体で、ゆらゆらと前に進む。
真っ直ぐ進むことができない。どうやら自分は怪我をしているようだった。
しばらく歩いていると、少し開けた場所に出た。小さな池がある。日の光が水面に反射してきらきらと輝いていた。
眩しさに目を細めて、ゆっくりとそちらに近づく。どうやら自分は喉が渇いているようだった。
池のふちに身を寄せ、水面をのぞき込む。その時、自分の体が水面に反射して見えた。
自分は薄汚い獣になっていた。黒っぽい色の毛並みはぼさぼさとしていて、ひどく汚れている。
一心不乱に水を飲み、人心地ついていると、背後から何かの気配を感じた。急いで近くの岩陰に身を隠し、気配を伺う。
じっと見つめていると、真っ黒な髪の女の子が姿を現した。
とても綺麗な、青い瞳の少女だった。
◇ ◇ ◇
ふわりと、意識が浮上する。
また、温かい毛皮を背中に感じた。
何が夢で何が現実なのか、もうわからなくなってきていた。
身体の痛みは僅かに和らいでいるように感じる。
ゆっくりと目を開けた。今は昼時のようだった。眩しい陽光に怯んで、また目を閉じる。ぐっと目を閉じて、瞼の裏の明るさに目を慣らしてから、またゆっくりと目を開けた。
青い空が見える。雲一つない快晴だった。
夢では、ないのかもしれない。
受け入れがたい現実を、半信半疑ながら受け入れている自分がいた。
ぱしぱしと瞬きをして、身体をゆっくり起こそうとするが、力が全く入らない。まるで木偶を動かしているようだった。所々ビリビリとした痛みはあるが、比較的ましになっている、と思う。
目を閉じて意識を内側に向けると、心臓がどくどく脈打っているのを感じた。ああ、生きている、死んでなかった。
なんとか力を籠めなおして、頭だけ少し上げることができた。視線を下に向けると、自分の身体の状態が視界に入り、ぎょっとする。
着ていた服は、何が起きたのかわからないくらいズタボロだった。特に酷いのは上着のほうで、胸部から腹部にかけて斜めにざっくり破れている。そして、着古して柔らかい触感を保っていた筈のジャージは、ゴワゴワと硬くなっていた。意識が向くと、それがとても不快に感じる。
服からは僅かに鉄のにおいがする。
思い当たるのは血だったが、これだけの出血量で人間が生きていられるとは思えない。他の動物の血としか思えないが、自分の服がぼろぼろに破れているのが引っかかる。
じわじわと恐怖を感じながら、背後の毛皮に意識を向ける。
獣は、想像していたよりも小さいように感じた。いや、十分大きいといえば大きいのだが、人間をパクっと一飲みできるほどのサイズ感ではなさそうである。
それは、真っ白な大きい獣のようだった。尾の形はふさふさしていて、飼っていたゴールデンレトリバーに似ている気がする。
どうにか動くようになった首を反対側に向けると、青い瞳と目が合った。
「……」
「……」
目が合ったまま、固まる。一瞬で死を覚悟した。
動かない、未だ激痛を訴える体に鞭打ち、前屈みに地面に倒れこむ。衝撃が全身に走り、思わず呻き声が漏れた。腕に力を入れると、なんとか右腕だけ動かせた。
歯を食いしばって右腕で前に這って進む。どんなに痛くても死ぬよりはマシだ。
その背中に、どすんと衝撃が走る。ぐえっと潰れた声が出た。
――目が覚めたようだな。
背後を振り返ると、獣とまた目が合った。背中に前足を乗せて、こちらの動きを封じたようだった。
獣がゆっくりと瞬きをした。口元がゆがみ、顎が上がる。その表情がどことなく、こちらを嘲笑しているようで、なんだか腹立たしいものを感じた。
――随分と生命力が強いと見える。逃走する前に、こちらに対して感謝の意くらい伝えたらどうだ?
声がどこからともなく聞こえてくる。意識を手放す前に聞こえてきたのと同じ、頭に直接響く声だった。あの時は、どこかに誰かが隠れて声をかけているのだと思っていたが、獣の表情を見て確信する。
私に声をかけているのはこの獣だ。
「……と、よく、わ、……」
ちょっとよくわからないんだけど、と声を出そうとしたが、ガラガラにかすれた音が微かに喉から漏れただけだった。
獣は、片眉を上げるような表情をする。なんとも人間臭さを感じさせるものだった。
――声に出さぬともよい。少々事情は複雑なのだ。先に体を万全なものにしたほうがいいだろう。
獣は私の背中から足を外し、ビリビリで何とか服の形を保っていたジャージの裾を咥えて持ち上げると、服が破ける前に自分の背中に放り投げた。
――掴まっていろ。
釈然としないまま、右手を伸ばして手頃な毛を掴む。
この状況を何も理解できていないし、なんで獣がテレパシーしてんのかもわからないし、ここがどこなのかわからないし、疑問は尽きないが、ひとまずこの獣についていくしか手はないようだ。
獣は一度フンと鼻を鳴らしたが、それからはこちらが話しかけても何も言わず、ゆっくりと森を歩き出した。